*...*...* 告白 *...*...*
待ち合わせ10分前。私は、改札口の柱時計と自分の腕時計の針が、同じ角度を指していることを知って、ほっと息をついた。
松の内が終わったばかりの街は、どこか伸びやかな空気に彩られている。
ときどき和服姿の人が行き交うさまは、鎌倉の街に彩りを添えている気がする。
……和服、か。
異世界で私がお姉さんのように慕っていた朔は、熊野や京で何度か私に和服を着せてくれたっけ。
白龍の力が戻って、弁慶さん以外はみんな、元の世界へと帰って、もう1年が経った。
『あるべき存在があるべき場所へ秩序だって戻っていく。残念ですが望美さん。当然の帰結なんです』
弁慶さんは私が寂しがるたび、そうなだめてくれる。
だけど。
こうしてときどき感じる彼らの気配は、少しだけ私を励ましてくれる。
私が、みんなのことを想う分、もしかしたらみんなも。
私や、弁慶さん。そして将臣くんや譲くんのことを考えてくれているんじゃないかって。
「──── それにしても、私、そんなに伝えてないのかな?」
弁慶さんが大学受験に必要な『高認』──── 『高等学校卒業程度認定試験』に合格した日のこと。
あのときの私の勘違いっぷりは、今思い出すだけで、頬が熱くなるほど恥ずかしくなる。
私、不安だったんだ。
同じクラスでずっと仲良くしてるマキちゃんに、いきなり泣きながら相談をされたことに。
受験勉強でなかなか彼との時間が取れなかったマキちゃんは、いきなり彼氏さんから別れ話を切り出されたと、
私の胸の中で大泣きだったっけ。
『アタシ……。受験が終わったら、彼といろいろ行きたいところあったの。
それを楽しみに受験勉強、頑張ってきたところがあったから……。なんだか、納得がいかなくて』
なんとかもう一人の友だちのナツミちゃんと励まして、どういう結果になるにしてももう一度彼氏さんと話をする、ということで、
マキちゃんはとぼとぼと教室のドアを出て行った。
だけどマキちゃんが言っていたいろいろなこと……。
たとえば、彼からの連絡が少なくなった、とか、電話もあまりかけなくなった、という話は、私と弁慶さんとの関係にも同じコトが言えて。
ということは、マキちゃんの言ってた『別れ話』というのは、すぐさま、自分の身の上にも起きるんじゃないか、って。
気づけば私は、普段ならかけない時間帯に弁慶さんへ電話をかけていた。
電話越しの弁慶さんの、言葉を濁したような言い回しに、不安になった私は待ち合わせの喫茶店で、半分涙目で言葉をつなげた。
弁慶さんが私の世界に残ってくれて、すごく嬉しかったこと。
弁慶さんは私にとって必要な人だということ。
ずっと、好き。今までも、これからも。
だから、私と別れる、というなら、もう一度考え直してほしいこと。
こんなに好きなのに、別れるのはイヤです、って、子どもみたいなワガママも言った。
──── って、考えれば考えるほど、私ってば、恥ずかしすぎる言葉を大好きな人に言い続けていたんだ……。
私はそわそわと足元を見ては、雑踏に目をやる。
白いコートは、弁慶さんにとても似合ってたから、私、遠くからでも見つけられる自信があるのに、
どうしてだろう。今日は珍しく待ち合わせの時間に遅れてる、のかな?
「……君は本当に隙だらけですね」
「ひゃ……っ。だ、誰?」
「これが僕以外の悪い男だったら、どうするんですか?」
不意に背後から長い手が伸びてくる、と思ったら、2本のそれはなんなく私の腰に絡まった。
ミント、と、そして弁慶さん自身の体温を感じる。
……そう。このぬくもりを近くに感じられるようになってから、ちょうど1年。
死という不安も、怨霊という恐怖にもまみえることなく、私たちはこうして共にいる。
私は自分で気づくより先に笑顔になった。
「あ、あの、私ね、ずっと反対の方向を見て待ってたみたいです」
「驚かせてすみません。可愛い顔がさまざまに表情を変えていく様子に見とれて、僕もつい声をかけそびれてしまいました」
「さまざま……、ってことは、その、なんでしょう。私の顔をずっと見てた、ってことですか?」
ちょっとだけ咎めるような声を上げたにも関わらず、弁慶さんはさらりと口元に笑みを浮かべている。
「ええ。君の顔は以前、熊野の蔵で見た到来物の万華鏡みたいでしたよ?」
それほど大きな声というわけではないのに、弁慶さんの声は美しい。
弁慶さんの甘い言葉に、行き交う年配のおじいさんの目には、これだから近頃の若いモンは、と言いたげな光がともっている。
「と、とりあえず、場所、移動しましょうか? えっと、そうだ、今日は美術館、でしたね」
「ええ。高認の勉強をしていた折に得た、日本史の知識に今は関心がありますね。
特に、源平が終わって戦乱が落ち着いた『江戸』という時代に」
「わかりました。だから、徳川美術の特別展を見に行くんですね」
「──── 僕や九郎がやってきたことは、決して無駄にはなってなかったのですね」
私は大きく頷いた。
以前敦盛さんが熱心に図書館で字面を追っていた姿を思い出す。
『いつか戦いが終わること。……そのためなら、僕は源氏が勝っても平家が勝ってもどちらでもかまわないんです』
愁眉を寄せた弁慶さんの顔も浮かんでくる。
どうしてだろう。そのたびに、胸の奥を握られたような感覚に囚われる。
──── いつも私の近くにいてくれるこの人は、今、幸せなのかな、って。
この前の日、一生懸命伝えた言葉を、弁慶さんは申し訳なさそうにしながらも、嬉しそうに笑ってくれてたっけ。
じゃあ、私も、もっと、自分の気持ちをちゃんと伝えた方がいいんだよね?
その方が、弁慶さんも嬉しいんだよね?
……だ、だけど。ど、どうしたら、恥ずかしい、という気持ちは落ち着かせることができるの?
た、確か、『羞恥をなくすことができる陰陽術』を発明した、って景時さん、自慢げに話してたことがあったっけ。
あのときは試作品、ってことで、実際試す勇気はなかったけど。
うう……。今の私は、どんな術でも頼りにしたい気分だ。
マキちゃんの泣き顔も浮かんでくる。
『どうして、ちゃんと恥ずかしがらずに気持ちを伝えなかったんだろう。
お互いわかってるハズだもん、って、告げることを、アタシ、サボってたかもしれない』
そうだよ。私、ちゃんと伝えなくちゃいけないのに。
ドキドキする。どうして、上手く言えないんだろう。ううん、ごく普通の話さえ、できなくなってる。
ふと弁慶さんは街路樹の影で立ち止まると、お互いの鼻先が触れあうくらいの距離に顔を寄せた。
「……望美さん?」
「は、はい!! えーっと、はい? なんでしょう?」
「君の足向く先は、どうやら目的地に向かっているようですが、心ここにあらず、といった風体ですね」
「はい……。そうかもしれません」
「差し支えなければ、君の事情を聞かせてくれませんか?」
駅から少し離れたこともあって、周囲はさっきより閑散としている。
だけど、だからと言って、弁慶さんの顔が近すぎるのも、ちょっと、ううん、かなり困る!
私は弁慶さんの胸を押しやるように隙間を作ると、目をそらして早口で告げる。
「あの、この前のことで……」
「この前?」
「はい。……あの、私、普段ね、ちゃんと弁慶さんに気持ちを伝えてるかな、って思ったんです」
「僕に……、ですか?」
「恥ずかしいばっかりでなかなか言えなくて。でも、そう、クラスメイトが、伝えなきゃいけないって教えてくれた気がして」
「ああ、そのことですか。……可愛い人だな」
「……って、な、なに……?」
「君の隙を狙っている、僕も僕だとは思いますがね」
柔らかいものが2回、頬をかすめていく、と思ったとき、私の身体は大好きな人の胸の中にいた。
「あのときは嬉しかったな。君がそんなに僕のことを想ってくれていると知ることができたから」
「も、もう! そのことは言いっこなしです! 恥ずかしすぎます……」
「おや、そうですか? ……僕としては癖になってしまった、とも言いたいくらいなのに」
策が成った、とでも言いたげな口元に、反論を試みたけれど、それは弁慶さんの口の中に消えていく。
「もちろん君の気持ちを疑っているわけではないんです。だけど、僕は業が深いですから。
──── 何度でも、君を可愛がりたくなりますね」