*...*...* 遙かなる時空の中で3 覚え書き (2010/07/01) *...*...*
どんなときも、『知識は自分を助けてくれる(の、では、ないか…?)』という希望的期待を持っているので、
ウキウキと遙か3メモを作成してみました。
いや、知識云々というのは、ただの詭弁に過ぎなくて、私、こういう調べ物が単純に好きなんだと思います。
大したことは書いてないのですが、お時間のあるときにでもよろしければ。

玉葉、吾妻鏡、面白いですね。遙か3の世界を超えて、実際の史実が知りたくなります。

出典は以下です(遙か3設定集/Wiki/吾妻鏡/玉葉)

史実と異なるところが多々あります。明記してありません。お気を付けくださいませ。

メニューはコチラ:【ゲーム内章立て】/【年表】/【人物




ゲーム内章立て】(ごめんなさい。弁慶さん十六夜ルートのみ、です)
章名 場所 季節
1章 宇治川、霧に惑う
2章 京の花霞 春(桜)
3章 三草山、夜陰の戦場 兵庫、播磨 晩春
4章 熊野参詣 熊野 初夏
5章 福原事変 兵庫、福原 盛夏
6章 鎌倉、平家の暗躍 鎌倉
7章 屋島は赤く染まる 香川
終章 壇ノ浦決戦 山口 冬〜春

年表】 (の箇所は、書きたいなと思っている事柄です)
月日 場所 出来事
1118年

平清盛、誕生
1147年
源頼朝、誕生
1155年

リズ時空跳躍してくる。
1156年

保元の乱(崇徳上皇VS後白河天皇)(義朝、清盛は後白河方)
1158年 3月5日 鎌倉 梶原景時、誕生
1159年

平治の乱(後白河天皇VS二条天皇)(清盛、信西VS頼朝、信頼)
1160年 1月3日 尾張 義朝、暗殺(リズが助ける)

2月9日 頼朝、清盛に捕らえられる。

2月11日 熊野 弁慶、誕生

3月
頼朝、伊豆に流罪

9月23日 京? 平知盛、誕生

9月24日 京? 平重衡、誕生


平泉 藤原泰衡、誕生

11月
九郎、誕生

12月
常磐御前、清盛に連行。
1167年
鎌倉 朔、誕生


敦盛、誕生
1168年
熊野 湛快(ヒノエ)、誕生
1169年 6月17日 後白河法皇、出家
1170年 5月25日
藤原秀衡、鎮守府将軍となる。
1171年 12月14日 徳子、後白河法皇の猶子として入内、女御に。
1174年
熊野 湛快、死去


熊野 敦盛、熊野で生活するようになる。

4月 月食
1175年 4月15日 皆既月食
1176年
平泉 九郎、弁慶、平泉に着く。弁慶平家への接触を繰り返す。


清盛、熊野参詣とともに敦盛、帰京。
1177年 3月5日 重盛、内大臣
1177年 9月1日
日食
1178年 11月12日 安徳天皇、誕生。
1179年 7月29日 平重盛、薨去
1180年 1月 リズ、誕生

4月 敦盛、死亡

4月 安徳天皇、紫宸殿で即位

4月 敦盛、怨霊として復活。

6月2日 福原 清盛、福原遷都

8月 伊豆 義朝、朔と景時を監視下に置く。

8月 熊野 湛快が別当で熊野を制覇。

10月6日 鎌倉 頼朝、鎌倉入り

10月20日 富士川 頼朝VS維盛。維盛敗北

10月21日 富士川 義経、弁慶、頼朝と共に出陣

11月 福原 将臣、時空移動で福原に来る。

11月 弁慶、入京。清盛の使用している龍脈の種に、重ねて京の龍脈を止める呪詛を始める。

11月 龍脈が穢され、応龍は黒龍と白龍に別れる。白龍、神子を捜すために時空を移動する。

11月 菫が白龍と共に時空移動する。

11月23日 天皇、後白河法王と高倉上皇と共に福原を出発。26日に戻る。

12月 鎌倉 黒龍が朔の元を訪れる。
1181年 1月 弁慶の手によって、京の龍脈が止まる。黒龍と白龍が消滅する。

閏2月4日 清盛病死

閏2月14日 望美が六波羅の平知盛邸に時空移動する。

閏2月15日 重衡、頼朝討伐のため鎌倉に向かう。

3月 清盛怨霊として復活。八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、破損する。

3月10日 墨俣 源行家VS志下衡維盛、通盛、忠度、知度、平家が勝利。

7月20日 鎌倉 鶴岡八幡宮棟上げ。義経の馬引き事件。頼朝を狙った刺客、景時に預けられる。

8月13日 秀衡に、頼朝討伐の天皇宣旨
1182年 7月 静御前、後白河法皇に乞われ、神泉苑で龍神に雨乞いの歌舞
1183年 5月 倶利伽羅峠 倶利伽羅峠の戦い。平家、木曾義仲。平家敗北。平経正死亡。

7月25日 平家、三種の神器と神器を持ち、都落ち。

8月13日 平家一門を解官。

8月 厳島 弁慶と湛快、平清盛に挑み敗北

8月 熊野 ヒノエ、田辺別当になる。

9月 将臣、還内府と呼ばれる。

10月 西海 平家、九州を発つ。

12月22日
景時、上総広常討伐。

鎌倉 源範頼、義経とともに木曽追討に参加。
1184年 1月 福原 平家、福原に本拠を置く。

1月 義仲征夷大将軍に。

1月20日 宇治、京 共通A一章、共通A二章開始日。以降A三章開始日までA二章

1月20日 大津 宇治川の戦い。義経VS義仲。義仲死亡。

1月20日 義経、堀川に邸を賜る。

1月22日 一ノ谷 平家一門、安徳天皇を奉じて福原に至り、一ノ谷に居城を構える。

1月27日 鎌倉 頼朝、景時を高く評価。

2月5日 三草山の戦い。義経VS平資盛

2月7日 一ノ谷 敦盛死亡。景時、重衡を拉致。義経VS宗盛

2月19日 屋島 平家屋島へ移動。維盛が30騎で移動。

3月2日 重衡、義経預かり。

3月10日 重衡、景時に護送され、鎌倉へ。

3月 平惟盛、入水自殺

4月中旬 共通A三章開始日

4月 三草山 三草山の戦い。共通ルートの場合、平重衡、梶原景時に捕縛。

6月 共通A四章、共通E四章開始日。

6月21日 義経の官位希望を頼朝許さず。範頼を優先。

7月 壇ノ浦 共通E五章開始日

7月3日 鎌倉 頼朝、平氏討伐のため、義経を西海に使わすよう、院に申請。

8月初旬 熊野 共通A四章終了日

8月6日 義経、検非違使に任官。頼朝の怒りを買う。

9月初旬 共通A五章開始日。

9月初旬 熊野 共通E六章開始日

9月中旬 平泉 共通E七章開始日

9月中旬
鎌倉
倶利伽羅峠
共通B六章、C六章、D六章開始日

9月中旬 共通A六章開始日

倶利伽羅峠 リズ(5歳)時空空間

10月 鎌倉 共通Aルート、九郎たち鎌倉入り。

10月 鎌倉 共通Aルート。九郎たち、大倉御所訪問

11月 共通A7章開始日

11月上旬
共通B六章、C六章、D六章終了日

11月中旬
共通E七章終了日
1185年 2月19日 屋島 那須与一の扇の的当て。

1月初旬
共通E終章開始

3月中旬 壇ノ浦 共通B終章開始

3月24日 壇ノ浦 義経、平家に勝利

4月24日 義経、三種の神器の鏡と玉を持って帰京。

4月29日 鎌倉 頼朝、西国の武士に、義経には従わぬよう命令を出す(義経の独走を非難)

5月4日 鎌倉 頼朝、景時にも義経には従わぬよう命令を出す。

5月7日 鎌倉 義経、頼朝に二心なしと告げるも、平宗盛、清宗を連れて行くも、頼朝は許容せず。

5月24日 鎌倉 頼朝、義経の鎌倉入りを許さず。義経、腰越状を大江広元に送る。

6月21日 鎌倉 頼朝、平宗盛、清宗を斬首。

6月23日 鎌倉 頼朝、平重衡、斬首。

7月9日 京で大地震。清盛が龍になったという噂。

10月17日 頼朝、義経の堀川邸を夜討ち。

11月6日 摂津 義経、摂津の国大物浦で難破

11月6日 摂津 武蔵坊弁慶、静御前、摂津から逐電。
1189年 6月15日 岩手 衣川の戦い。義経自害。弁慶の立ち往生。


人物
人物 詳細
平清盛 公卿。政治家。伊勢平氏棟梁忠盛の嫡子として生まれ、平氏棟梁となる。
保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士では初めて太政大臣になる。
娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」と言われる時代を築いた。
平 時子 平清盛の正室(継室)。位階は従二位。二位尼(にいのあま)。
清盛との間に宗盛、知盛、重衡、建礼門院徳子らを生む。
平 重盛 平清盛の嫡男。
保元・平治の乱で若き武将として父清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身とともに累進する。
嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や徳子とは母が異なる。
政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場。
清盛の後継者として期待されながらも、父に先立ち病没。
平 知盛 平清盛の四男。母は平時子。同母兄弟に平宗盛、平重衡がいる。
平氏の全盛期に清盛の継室・時子を母として生まれ、わずか8歳で従五位下となり、その後も栄進していく。
清盛は知盛に期待をかけたらしく「入道相国最愛の息子」と呼ばれた。
壇ノ浦の合戦で平氏滅亡の様を見届けた知盛は、海へ身を投げ自害した。享年34。 鎧を二枚着てそれを錘にし、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水した。
平 重衡 平清盛の五男。母は清盛の継室平時子。
一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首。
その将才は「武勇の器量に堪ふる」(『玉葉』治承5年閏2月15日条)と評される一方、その容姿は牡丹の花。
平 維盛 平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。
平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。
武将としての力量はなく、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。
父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺。
平 忠度 平安時代の平家一門の武将。平忠盛の六男。平清盛、教盛、経盛らは兄。子に忠行がいる。
平 経正 平経盛の長男で、弟に敦盛がある。平清盛の甥にあたる。
一門の中の俊才として知られ、歌人、また琵琶の名手として名を挙げた。
藤原俊成や覚性法親王といった文化人と親交が深く、楽才を認められ琵琶の銘器『青山』を下賜された。
平 敦盛 平安時代末期の武将。平清盛の弟である平経盛の末子。位階は従五位下。
官職にはついておらず、無官大夫と称された。
梶原 景時 平鎌倉幕府の御家人。
教養があり、和歌を好み、武家百人一首にも選出されている。頼朝の信任厚い。
一方で、判官贔屓で知られる源義経と対立し、頼朝に讒言して死に追いやった「大悪人」と古くから評せられている。
鎌倉幕府では権勢を振るったが頼朝の死後に追放され、一族とともに滅ぼされた(梶原景時の変)。
藤原 秀衡 奥州藤原氏第3代当主。鎮守府将軍。藤原基衡の嫡男。
30代半ば頃に父基衡の死去を受けて家督を相続する。奥六郡の主となり、出羽国・陸奥国の押領使となる。
藤原 泰衡 奥州藤原氏第4代(最後)の当主。藤原秀衡の嫡男。
従兵数百騎で義経の起居していた衣川館を襲撃し、義経を自害へと追いやる。
頼朝は泰衡の助命嘆願を受け容れず、捜索を命じ殺害。享年25。
湛快 平安時代後期の熊野本宮大社の社僧で18代熊野別当。15代熊野別当長快の4男。
湛増 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した熊野三山の社僧で、21代熊野別当。
『平家物語』で武蔵坊弁慶の父とされるが、文学的伝承のみで確証はない。
安徳天皇 父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(後の建礼門院)、祖父は、平清盛。8歳で崩御。
武蔵棒弁慶 僧衆(僧兵)。源義経の郎党。
五条の大橋で源義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。怪力無双の荒法師として名高い。
熊野別当湛増の子で、紀伊国出身だと言われるが詳細は不明。
源頼朝 鎌倉幕府の初代征夷大将軍。
弟たちを代官として源義仲と平氏を滅ぼし、戦功のあった末弟・源義経を追放する。
諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦では奥州藤原氏を滅ぼす。
北条政子 源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。
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