*...*...* つながる *...*...*
俺は、定規で測ったように揃えられている金色の髪を見てため息をついた。もしかして、俺、またメンドーなことに巻き込まれちゃったりしてる、ってか?
キャンキャン高い声で喚く後輩。
だけどこの都会で育ったからか、話し方はヤケに理路整然。
そんなとこが余計俺のシャクに障る。
だが今朝は、普段のコイツのイメージとはまるで違う。
やけに神妙な顔をして俺を見上げてくる。
「響也先輩。おはようございます」
俺は自分の腕時計に目をやる。7時5分前。
学校がある日だってこんな早い時間に俺が目覚めていることさえメッタにない。
なのにこの後輩は、そわそわと玄関から寮の中をのぞき込んでいた、ってワケだ。
「なにしてんだハル。寮になんか用か?」
「ええ、まあ。用事というほどではないんですが」
「いいって、いいって。ついにお前もこの俺に何か頼みたいことでもできたってか?」
「それは断じてありませんけど」
ちぇ。可愛くないヤツ。
だけど……。
昨日の律とコイツの演奏を聴いて思った。
コイツは、人に対して、ツンケンと情け容赦のないヤツだけど、
ちゃんとやることはやる。
人に厳しいだけじゃない、自分をもそれなりに律してるヤツだってこと。
ったく。律とはホントお似合いだぜ。
「ここで嘘を言っても仕方ないですね。僕、小日向先輩はの様子が気になってここに来たんです。
その後、小日向先輩はどうですか? 大丈夫ですか?」
「話、見えないんだけど。律とかなでがどーしたって?」
「ああ。いきなりすみません。結論から言ってしまって」
「わかればいいんだよ。いいから落ち着けって」
「僕は、いつもあなたより落ち着いていますが……。実は」
あーもう。コイツ、本気で可愛くない!!
ハルは俺の思いにまるで気づくことなく、ふっと声を落とした
ここ菩提樹寮には、俺の田舎と比べたら本当にネコの額もビックリなくらいの広さだけど、こぎれいに手入れされた庭がある。
シマトネリコの木を今日の住み処にしたセミたちが、一斉に今日の暑さを伝えてきた。
「響也先輩は聞きましたか? 昨日の練習室の件……。実は昨日小日向先輩と部長が」
「あー、もしかしてあれか。律の地獄のスパルタ特訓!」
ハルは深く頷くと、そこまで知ってるなら話は早いとばかりに早口で話し始めた。
「僕はオケ部の1年から話を聞いただけですが、小日向先輩、部長にかなり厳しく注意されていたそうですね」
「まあな……」
昨日のその現場に、俺は偶然居合わせたんだよな。
もっと正確に言えば、たまたまそのとき廊下を通りかかった、って言う方が正しいか。
律の、冷たい、とも言える声。
くぐもった、かなでの返事。
その会話の中、何度も詰まるフレーズが、伴奏のように響いてくる。
『このフレーズが弾けないのは、単なるお前の努力不足だ。もう一度弾いてみろ』
『……はい』
初めは律の無神経さに、怒鳴り込もうかとも思った。
だけど。
今、かなではどんな顔してるんだろう、とか。
あのヴァイオリンバカの兄貴は、どんな顔して、かなでにネチネチ言ってるんだろう、とか。
そう考えるウチに、なんだか聞いているのがいたたまれなくなって、逃げるようにその場を後にしたんだ。
かなでは、実際よくやってる、って思うぜ、俺は。
朝から晩までヴァイオリン三昧。最近借りたDVD、何度か見ようと誘ったけれど、
『ごめん、譜読みする』
の一点張り。
毎朝、眠そうな顔して食堂にやってくるあいつを見てれば、頑張っていることくらい、あのクソ兄貴でもわかりそうなもんだぜ。
だいたい音楽って音を楽しむって書くんだろ?
そんな格闘技みたいに、勝っただの負けただの。
おかしいよな。
「確かに部長に直接指導していただくのは勉強になります。
でもあまり厳しく言われると、萎縮してしまって却って弾けなくなってしまうことも」
「待て待て待て。そこにお前の認識の違いがある。
だいたい萎縮じゃねえだろ? いや普通切れるだろう。あんんだけシツコク言われたら」
あーー。言いながらだんだんあいつにハラ立ってきた。
そうだ。昨日の話にはまだ続きがあったんだ。
様子を見に、10分後にもう1度通りかかったとき、廊下にはもう、何の音も会話も響いてこなかった。
もう終わったのか? そう思って、ドアを開けようとしたとき、さっきよりももっと冷え切った律の声が聞こえてきたんだ。
『俺はこの場にいない方がいいだろう。……失礼する』
こんなところに出くわしたら、俺は律になにをするか自分でも自信がなかったし。
いや……。あれだけサンドバック状態で言いたいことを言われていたかなでを見るのが、やり切れなかったんだ。
「あいつは律のねちねち攻撃にも耐えて頑張ってきたんだぜ。
それなのに、律のヤツ途中で見切り付けて出て行っちまった。そういうのが1番堪えるんだ」
かなではいつ帰ってくるだろう。
もしかして、あいつ、思い詰めるタチだから。
だけど、律がいる菩提樹寮には戻れない。
だったら、帰り道、公園かどっかでベソかいてるんじゃないか。
昨日はそう思って、何度か玄関の前に出てもみた。
『いつ帰るんだ?』
なんてメールも送ってみたけれど、かなでからは、
『ちょっとスタジオで練習してから帰るね。おやすみ☆』
とかいうノンキなメールがやってくるし。
なんだか勝手にやきもきしている自分が情けなくなって、昨日はとっとと寝てしまった。
だからなんだよな。この俺がこんなに早起きしてるのも。
あー。ったく。俺はあいつに関しては心配性なんだよ。
これは幼馴染みの特性なんだ。もう仕方ないよな。
「大丈夫かな。もう辞めるとか言い出さなきゃいんだが」
「そんな! 今になって辞めるだなんてそんなこと無責任すぎます。今、小日向先輩に抜けられたら…」
「落ちつけって。別にまだ本人が辞めると言ってるワケじゃねえし。ま、玄関に入れよ。麦茶の1杯くらいごちそうしてやる」
「すみません。日差しが強くなってきましたね。入らせてもらいます」
ハルは行儀良く一礼すると、俺の後をついてくる。
意外にもキレイな身のこなしに、俺は改めてこの後輩を見つめ直した。
なんか、こいつって、一本筋が通ってるヤツなのか?
「僕が来たところで、なにか解決の糸口が掴めるという訳ではないんですが……。あ、小日向先輩!?」
2つのグラスと、それに、氷、と。
こう暑くっちゃ、朝から氷ってのもデフォだよな、と思いながら冷蔵庫の扉を開け閉めしていると、
トントンとリズミカルに階段を降りる音、それに続いてハルの素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「かなで? げ、お前、お前ヴァイオリン持ってやがる!」
「ハルくん、おはよう。響也もおはよう。どうしたの? 2人揃って」
「小日向先輩……。その、今から、どこへ?」
ハルはあっけにとられたように、かなでとヴァイオリンを交互に見つめた。
「えっと……。そう、そのね、これから練習しようと思って。夏休みっていいよね〜。あまり時間を気にしないでたっぷり練習できるもの」
俺とハルは顔を見合わす。
かなでの笑顔には、さっきまで俺たちが心配していたような暗い影はどこにもない。
むしろ、今日の空みたいにスコーンと明るくて、なんだかこっちまで楽しくなってくる。
俺は手早くかなでの分の麦茶をもう1杯淹れると、鼻先に差し出した。
「こういうときは、ちゃっちゃと聞くに限るってか。で、どうなんだ? 昨日律にシゴかれてたとこ、弾けるようになったのか?」
ハルは、一瞬慌てたように俺の顔を睨みつけたが、まあ、いい。
かなでは気恥ずかしそうに肩をすくめると、笑顔で応酬してくる。
「あはは。それがね、ちっとも! なの」
「待て。おい。開き直るなよ。でもそんなんじゃ律にまたシボられるぞ?」
「うん……。でもね、まだ今日って日は始まったばっかりだし、今日1日頑張れば弾けるようになるかもしれないじゃない?
悩むのは、それからでもいいかなー、って」
「お前、楽天的すぎ」
「そ、そうですよ! 小日向先輩」
ようやく状況を立て直したハルも口を開く。
「音楽は毎日の成果の積み重ねです。昨日弾けなかった旋律が今日弾けるようになることはありません。
1週間後ならまた状況も変わってきますが」
「そうだ。試しにちょっと弾いてみろ。そんでもって、ヤバそうだったら、対策考えてやるから」
「え? ここで?」
「大丈夫だろ? ここの住人は俺たちと、あとはあの報道部のオンナ、だったっけか? あいつなら、この時間はまだ夢の中だろうから」
「う、うん……。じゃあ、少しだけ、弾いてみるね」
かなでもやっぱり、昨日のことが気になってはいたのだろう。
そそくさとケースからヴァイオリンを取り出すと、肩の幅に脚を開いた。
細い指が、弦を押さえ、弓が静かに動き始める。
俺はかなでの作る身体の線をぼんやりと目で追っていた。
なんていうか……。こいつ。この街に住み始めてから、少し綺麗なった気がする。
「小日向先輩……! なめらかなポジション移動です」
「なんだよ。余裕で弾けてんじゃんか」
固唾を飲んでかなでの指を見つめていた俺たちは、昨日トチリまくっていたフレーズがノーミスで流れるのを信じられない思いで聞いた。
こんなこと、ってあるのか?
別人、という以上の変貌ぶり。人間と、CD、と言っても大げさじゃないくらいだ。
「一晩寝ると脳のシナプスがつながるんだろうな。突然弾けるようになるだろう?」
「って、律……」
「如月部長!」
音を聞きつけたのか、それとも起きる時間だったのか。
律は夏休みだってのに、普段どおりにきっちり制服を着て階段を降りてきた。
「うん……。本当、魔法みたい」
「ああ。ヴァイオリンは、練習すればしただけの結果が必ず返ってくる」
「って、おい、待てよ。律」
淡々とした律の言葉には無駄というモノがない。
むしろ、足りないところばかりだ。
だってのに、ハルはそんな律の態度に感銘を受けたかのように目をウルウルさせてやがる。
「それでは、部長はこうなるとわかってて繰り返し練習を……?
昨日急に練習を止めたのは、小日向先輩を見放した、という訳ではなかったんですね」
「見放す? なぜそんな風に考えるんだ? 俺は部員を……。みんなを信じている」
「部長!」
あーもう。なんか、勝手に盛り上がってる、律とハルは放っておく、としてだ。
だったら、最初から、昨日の時点でかなでにそう言ってやれよ!
と舌先まで出かかった声を俺は必死に口元で押さえ込んだ。
律の言葉の足りないのは、この件だけに限った話じゃない。
解釈して、付け足して、意訳して、理解しなかった俺が悪かったってか?
「本当の練習はこれからだ。きっちりつめていこう」
律は言いたいことだけ言うと、 『学院に行く前に楽器店に行く。その後で部室に顔を出す』
とハルに自分の予定を説明して、寮を出て行った。
すっきりとした横顔は、まるで悩みとは遠いところにいる、温度のない人形みたいだ。
「やれやれ。ったく絶対わかってねえぞ、あいつ。自分がどんだけ説明不足か」
「えへへ。弾けるようになったの、律くんのおかげだねー」
「はあ? お前どんだけお人好しなんだよ。ちょっとは怒れよ!」
俺はがっくりと脱力しながら気の抜けた声でかなでをなじった。
だというのに、援護射撃のようにハルも弾んだ声を上げている。
「やっぱり弾けるようになると気分がいいものですね。僕も安心しました」
「いや、こいつは昔からそうなんだ。なにかと言えば律、律って。
あの律の仏頂面が、お前の目には後光でも差して見えてんじゃねえのか?」
「うん……。後光は見たことない、かな?」
「は?」
「だって、律くん、背が高すぎて、私からは律くんの頭、見えないもん」
「って、かなで。そこでマジメに答えるな。ったく、バカバカしいよな。さっさと朝メシでも食うぞ、俺は!」
律への腹立たしさなのか。
かなでが弾けるようになったことへの安心なのか。
やれやれと思った途端、今度は自分たちの番だとでも言いたげに、腹の虫が自己主張し始める。
「本当に良かったです。では僕はこれで」
俺は、一件落着、とでも言いたげなさわやかな表情を浮かべているハルの襟首を捕まえた。
「やけ食いだ。お前も付き合え!」