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『あれがデネブ、アルタイル、ベガ。……三つを繋いで、夏の第三角っていうの』
『……そんな星の名前、聞いたことない』
『そっかぁ。そうだよね』
 
 ボクのぶっきらぼうな受け答えに、彼女は細い肩をすくめて笑う。
 この国ではあまり見かけない栗色の髪が、さらりと肩の上で揺れている。  
*...*...* 君が教えてくれたこと *...*...*
「ったく、お前はどうしてそう星読みに熱心なんだ? あんなもん、大体の周期がわかればあとは同じだろ? 日頃要領の良さを信条としているお前にしては珍しいこった」
「いいから。君はちょっと黙っててよ」
「ま、俺もさっさと課題を片付けるのに良い機会ってなもんだけどよ」
 
 悪友は言いたいことだけ言い募ると、こんな日は酒だなあ、と独りごちている。
 十五歳の春、ボクは叔父とともに南方の京という街に移った。彼女と一緒に過ごした短い時間の中で痛感したこと。それは『無知は罪だ』ということだ。分からないこと、知らないことは、なんの理由にもならない。逃げでしかない。そう考えたボクは叔父に頼み込んで高名な師の元についた。兵法、軍律、人心。学べば学ぶほどわからないところが増えていく。それを一つ一つ潰していくことで、この頃のボクはまた彼女に近づけたような気持ちになった。
 星読みは官吏としての基本的な学問の一つだ。だからというわけではないけれど、彼女が去ってからというものボクはいっそう星読みに熱心になった。
 いつも変わらぬ位置にある星。一刻ごとに動く早さ。季節ごとに現れる星。数年に一度の周期で現れる星。──── ボクが生きている間に二度と見ることのないだろう、珍しい星。
 彼女がこの世界にいた十年前、『帚星』と呼ばれる奇妙な星が夜ごとに現れ、それは黄巾党の勢力を後押しする吉兆と言われたけれど、こうして目の前に広がる空はなにも伝えてくれない。一年前と同じ暗黒の世界が広がっている。
 
(ボクは彼女に会えるだろうか?)
 
 あんな風に突然消えた彼女なら、また会うことも不可能じゃない。そう信じてる。必ず会える。
 だけど、黄巾党を解体して五年と少し。晏而や李翔とも離れた今、思い出は少し遠く、思い出すのに少しだけ時間がかかるようになっている。
 その事実は、ときどきボクをとても自分を心細くさせ、悪友に不愉快な態度を取らせたりする。
 
「で? 今日もお前の見たい星は見つかったのか? うん?」
「あー。まあ、ね」
 
 ボクは適当に言葉を濁すと、いつも一番最後に見ることにしている星に目をあてた。
 
『あの星はね、別名『織姫さま』って言うの。『彦星さま』があれ。七月七日の一度だけ、二人で会えるんだよ? 二人で天の川を渡るの』
 
 耳朶に残る優しい声は、いつも少しボクを安心させる。
 そうだ。今日見た星のことも、いつもの書簡に書き留めておかなくちゃ。
 あなたの声を感じたこと。あなたが教えてくれた星を今日も見つけることができたこと。
 あのときのあなたは、ボクが『あるたいる』や『べが』がどんな意味なのか聞いても教えてくれなかったね。どうして教えてくれないのか問い詰めたら、ごめんね、私も知らないの、って顔を真っ赤にしてたっけ。
 ねえ、花。
 ボクさ、明日死ぬことが不思議ではないこの世の中でね、信じてることがあるんだ。
 ──── あなたにもう一度会えるならそのときは、今みたいな星が輝く季節だって。  
*...*...*
 悪友はボクが作った資料を横目にさらさらと自分の書簡をまとめると、もう用はないと言わんばかりに立ち上がった。
 
「さあってと。じゃあ、亮。そろそろ行ってみるかあ? あいつらもとっくに酒場に行ってるぜ?」
「んー。悪いけど、ボクは止めとく」
「はぁ!? ってお前本気かよ? 酒も女も嗜まないなんてよ、官吏になってから出世に響くぜ?」
「いいよ。その辺は、君に任せるからさ。ボクは実務担当ってことで」
 
 ボクの意志が固いことを知っている悪友は、ポリポリと目の端をつまらなそうに掻くと気の抜けた顔で見上げてくる。そしていきなりがしっと肩を掴むと真正面からボクを見据えた。
 
「なあ、お前と俺とは長い付き合いだよな? そろそろしっかり教えろや」
「なに? どうしたの、突然……。あ!」
 
 ボクは彼の肩越しに、たった今目の端に捉えた星に夢中になる。あれは、吉兆? 凶兆? ボクのか、彼女のか。
 
「……間違い、か」
 
 見えた、と思ったわずかな光は、どうやらボクの見間違いだったらしい。……困るよね。目の前にある自明の理よりも、ボクの願望が見せる幻影の方が重いなんてさ。
 
「あ、ごめん、話の途中だったよね。なんだった?」
「……お前さあ、好きな女っているの?」
「は?」
「女の経験っていうのはいくらあっても無駄にはならん。いわば、すられる心配のない路銀みたいなもんだ。今のうちにとっとと筆下ろししておくのも悪くないだろう? ほら、この前行った店の女の子がさ、お前のことちょっと気に掛けていたみたいだぜ?」
 
 またしてもボクの頭は場違いなことを考え出す。彼女の住んでいた国ではどうだったのだろう。ボクと出会った頃、彼女はもう『師匠』とかいう人と経験してたのかな。……晏而に対するあの幼い態度を見ていたら、とてもじゃないけど考えられない。だけど、今の彼女はどうだろう。五年っていう年の長さは彼女の人生にも男の影が差すのに十分だったのだろうか。
 そうであって欲しくない。だけど、あのときだって彼女はボクにとっては十分大人の女性だった。だったら、多少男女の違いはあるにしても、彼女も、今ボクが直面している誘惑みたいなものはそれこそ降るようにあっただろう。──── もう、彼女は誰かのものになっているのかな。
 
「亮。りょーーー!? お前、むやみやたらに賢いくせに、ときどき目がどっか行っちまうことが多いよな? 大丈夫か−? なんだ? 賢いから、凡人が分からないことでも考えてるのか? おい、戻ってこーい! 亮!」
「……ああ。ごめんごめん。ええっと、女の子の話だっけ? じゃあ、その子は君にあげるよ」
「お前なあ。人の好意を無下に扱うもんでもないだろ?」
「とにかくボク、今日帰ってやることあるから」
 
 ボクはいそいそと帰り支度を始めると、悪友の罵声を背に帰路に向かう。
 早足で歩きながら、ボクの頭はあなたに出す書簡の文面を考える。
 あなたに対して書きたいことがまた増えた。とめどなく増えてくる。さっき見た星のこと。あなたの声。そして五年経った今のあなたの近況。
 
『ボクも同じ道を行く。だから──── 』
 
 幼いボクの声がする。
 駄目だな。彼女を思い出すとき、ボクは幼かった頃の自分に返るらしい。いささか舌っ足らずな声音が甘えてる。
『師匠が言ってたの。今までなにをしてきたか、なにができてなにができなかったか、これからなにができるか考えてみなって』
『知恵も知識も力になる。だからよく考えて経験して学びなさい、って。……亮くんもこれからそんな風に学んでいけばいいと思う』
 
 あなたが言ったこと、ボクは忘れてないよ。守ってる。守って、守ることで信じてる。
 こんな日日を繰り返すことで、ボクはあなたに会える。そう信じてるんだ。
 
 
 
 (BGM:君の知らない物語)
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