「あーーーー! もう!! どうしてあいつ、あんなこと言うかなあ!?」
「ほれ、和樹。雄叫びを挙げる。メシを食う。そのどっちかにしろよ」
「って、いろいろ考えることもあるし、腹も減ってるの!」
「ったく落ち着かないな。あ、お代わり、いるか?」
「あ! うん。もう1杯」

 今夜はおフクロの帰りが遅くなる、ということで、オレはアニキお手製のチャーハンを平らげていた。

「これでもうメシはないぞー。お前、4杯も食うなよ」

 アニキはやれやれと肩をすくめるとフライパンに残っていたチャーハンをよそってくれる。
 煮物系の料理はおフクロも得意で、よく作ってくれるけど。
 たまーに、こういうアニキの豪快な料理が食べたくなる。
 今日も粗めのベーコンと卵、刻みネギ。それに今回はゴマを隠し味に入れてみたというチャーハンはかなり美味しい。
 おれは最後の一皿を5口くらいで平らげると、放課後のことを思い出しては悶絶していた。

 あーーーー。もう。それにしても、あの悪友はなんてこと、香穂ちゃんに言ったんだろ。
 そして、とてもアンラッキーなことに。
 どうして香穂ちゃんはあの場に居合わせてしまったんだろう。
 ──── おれはあのとき、彼女にどんな言葉をかければよかったんだろう。  
*...*...* Believe 2 *...*...*
 昼休み、おれは午前中の終了ベルと同時に教室を飛び出すと購買に向かい、目に付いたパンを買うと教室に戻ってきた。
 胸の中に溜め込んでいること全部、廊下を蹴る足を伝って放り出せたらいい。
 そんなことを考えながら走っていたからだろう。
 教室に戻ると、ようやくクラスメイトたちはサイフを手に昼を調達しに行くところだった。

 おれは自席に着くと、ぼんやりとカツサンドの包みを開く。
 どんなときもカツサンドはおれに元気をくれてたのに、今日は調子が出てこない。
 日頃、人の多いところが好きなおれが教室で昼メシを終わらせるなんて珍しい、よな。

 でも、今日はどうしても香穂ちゃんに会いたくなかった。
 会って、どう言えばいいかもわからなかった。

(キズ、つけちゃったよね)

 毎日、一生懸命頑張ってる子。笑顔が可愛い子。
 ──── もどかしかったな。
 おれは香穂ちゃんの良いところをいっぱい知ってるハズで。
 彼女の音楽の素敵なところを挙げろって言われたら、たくさん伝えることができるのに。
 どうして芹川に対して、おれはあんなフォローしかできなかったんだろう。

 芹川が昨日、昼をオゴるって言ってたことも、覚えてないワケじゃなかったけれど。
 1度オゴれば、それで香穂ちゃんのフォローが終わりだ、って考えているだろう芹川にオゴってもらうのはイヤだった。

「よ、ひっはら〜」
「青山? こんなところまで珍しいな。どうしたの?」

 青山。青山人志。普通科3年。元陸上部。
 おれとも土浦とも昼バスの仲、って感じの悪友。
 それが、わざわざ音楽科の教室まで来るなんて珍しい。
 昼バスの誘い、っていうなら、別にケータイで連絡すればいいだけだし。……なんだろ?
 おれの不思議そうな顔に、青山はおまえの言いたいことはすべて分かってるとでも言いたげな顔で何度も頷いている。

「ま、オレも親友たちのために一肌脱ごうかな、と思ってさ」
「へ?」
「聞いたぜ〜。芹川から。なんでも昨日修羅場があったんだって? お前も大変だなー」
「修羅場?」

 修羅場と聞いて思いつくことはなかったけれど、芹川、と言えば、昨日の香穂ちゃんとのやりとりしかない。
 もしかして、あいつ、おれの態度にビックリして、青山に仲裁を取り持った。そういうことなのかな。

「べ、別にさ、修羅場なんてなかったよ。香穂ちゃん、落ち着いてたし」
「それは重畳」
「ははっ。おまえ、『重畳』ってなんだよ」

 青山ってすごくノリの軽い明るいヤツなのに、ふとしたハズみにすごく昔っぽい言い回しをする。
 『重畳』だとか、『良きに計らえ』とかさ。
 聞いてると、ときどきおれにまで口グセがうつっちゃって困るときがある。

 青山は、芹川に聞いていたよりも状況が深刻じゃないことに安心したんだろう。
 リーチの長い腕を組むと、少し真面目そうな表情を浮かべた。

「芹川もさー。お前のこと、ちょっと心配してるわけよ。
 最近、火原がラッパばっかり吹いてて、昼バスの付き合いが悪い、ってのは ともかくさ。
 もう12月だろ? 一応受験生のお前が受験勉強できないのは、お前がお人好しのせいじゃないか、ってさ」
「だ、だけど、彼女を悪く言うなんてヒドイよ。香穂ちゃん、一生懸命なんだ。
 学院を1つにしたいって、無理難題言う理事長に対抗して頑張ってる。
 おれ、彼女を見てると、なんていうか、応援したくなるんだよ。ガンバレ、って。おれが付いてるぞ、って」
「って、火原、それってさ、つまり……」
「うん? なに?」

 うっすらと悪友の頬が色づいてきたのを見て、おれは自分の言ったことに気が付く。

「わ!! 今の、なし! ナシ!! 青山、黙ってて!!」
「ってオレ、なにも言ってないだろ?」
「あ……。そっか、ごめん」

 おそるおそる周囲を見渡してみる。
 ──── よかった。
 おれのこの告白にも似た言葉を聞いてたクラスメイトは、どうやらいないみたいだ。

 青山はおれの様子にすっかり安心したらしい。
 ポン、とおれの肩をこづく。

「まあ、いい。芹川にはオレが上手いこと言っとくからさ。
 またあいつも含めて、一緒にバスケしようぜ? 土浦にも久しぶりに身体動かした方がいいだろ? って誘っておいて」
「オッケー。土浦とは今日の放課後、アンサンブルの約束してるから、言っておくよ」
「おう」

 青山はひらひらと手を振ると教室を出て行く。

 時計の針は昼休みがあと20分しかないことを伝えてくる。
 大丈夫かな、あいつ。昼メシ食べる時間、あるかな。

 せっかく空いた時間だから、とおれは昨日香穂ちゃんが練習していた『スケーターズワルツ』の楽譜を開く。
 この曲のメンバーは、柚木に、土浦。それに冬海ちゃんか。
 いいなあ。明るくて、これからの季節にピッタリのこの曲。おれも乗りたかったな。

「……あ、あれ? って柚木? どうしたの?」

 ふいに、見ていた楽譜に影が差す。
 冬の雪雲が太陽を隠したのかと思って窓を見ると、そこには普段と変わらない柚木の姿があった。
 ほっそりとした身体のライン。長い髪。
 だけど、逆光で、親友の細かな表情までよく見えない。

 多分、柚木のことだから、自分の乗り番の曲の練習は完璧なんだろう。
 柚木なら、この曲にどんな解釈をつけるのかな。

「あ、そうだ。今日放課後、『スケーターズ』の練習をするんだって? おれも聴きにいくよ」
「ああ。どうぞ。聴衆の様子を見ているとかなり仕上がってきたみたいだから。
 きみが聴いても大丈夫なレベルまで達してると思うよ」
「そうなの? おれ、すっごく楽しみにしてる!」

 そっか。耳の鋭い柚木がこんな風に言うなら、かなり香穂ちゃんも頑張ったってことだよね。
 ──── 本当に、よかった。
 もしかしたら、昨日のことがずっと気になって、香穂ちゃん、練習、捗ってないかと思ってた。
 だけど、あの子は頑張り屋だから。素直で、一生懸命な頑張り屋だから。
 だから、おれ、秋になってからあの子のことがもっともっと好きになったんだ。

 そうだ。
 今日は香穂ちゃんの曲、いっぱい聴いて。それでおれの思ってることをいっぱい伝えてみよう。
 昨日、言いたくて言えなかった分もたくさん。

 柚木はおれが見ていた楽譜のヴァイオリンパートを目で追っている。

「柚木……? どうしたの?」
「いや。僕も少し急いだ方がいいかもしれない、と思ってね」
*...*...*
 今週に入ってから練習もだんだん本格的になってきたんだろう。
 おれがみんなの練習場所である講堂を探し当てたときには、ちょうど『スケーターズワルツ』のアンサンブルが終わる頃だった。
 足を止めた聴衆が、パラパラと拍手を送る。
 土浦が満足げな表情で鍵盤から指を離した。
 どうやら、それぞれの課題を持ち帰って、またあとで合わせてみようという話になったらしい。
 冬海ちゃんは一礼すると、パタパタと楽譜台を戻している。
 練習室を予約してあるのかな。柚木も足早に楓館に向かうみたいだ。

 香穂ちゃんの周りは今、人少なになっている。
 話しかけるなら、今だよね。

 まず最初は昨日のこと、謝って。それで、気にしないで、って伝えて。
 どうしよう。香穂ちゃん、やっぱりショックだったよね。落ち込んでたり、するよね。

「香穂ちゃん!」
「あ、火原先輩! お疲れさまです」

 胸に思い切り力を入れて話しかけると、香穂ちゃんはいつもと変わらない笑顔でおれのことを見上げてくる。

「そ、その、さ、香穂ちゃん、元気?」
「はい? えっと……、はい、元気ですよ?」

 不思議そうに首をかしげている香穂ちゃんには、まったくと言っていいほど暗い影はなかった。
 うう、こういうとき、なに言えばいいんだろ。
 昨日からずっと、落ち込んでる香穂ちゃんを想像して、どうやって励まそう、って考えてはいたけど。
 元気な香穂ちゃんには、なんて言ったらおれの気持ちは伝わるんだろう。

「火原先輩?」
「あの、さ……。きみの音楽がこんなに素敵だってこと、早くみんなに伝わるといいな、って、おれ、そう思ってる」

 言おうとしたことが伝わったのかな。
 香穂ちゃんは笑顔を引き戻すと、答えを探すかのようにおれの目を覗き込む。
 透き通った目が、講堂のライトに反射してチカリと光った。
 泣いている女の子より、笑ってる女の子の方がいい。それはおれの持論。
 だけど、泣き出しそうになっている香穂ちゃんは、おれが今まで見てきたどの香穂ちゃんよりもキレイだった。

「香穂ちゃん、きっと大丈夫だから。コンサートは絶対上手くいく。気持ちは音に伝わるし、音は聴く人の心に絶対届くから」

 香穂ちゃんはふぅ、と深い息をつくと、一瞬だけ目を閉じる。
 そして再び目を開けたときには、いつもの明るい香穂ちゃんに戻っていた。





「ありがとうございます。火原先輩」
「香穂ちゃん?」
「昨日、火原先輩、私のこと、かばってくれたでしょう。それだけで私、すごく嬉しかったですよ?」
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