「探しました! 森の広場も、カフェテリアも。火原先輩、校舎から1番遠い観戦スペースにいるんだもの」
「ごめんごめん。最近仲良くなったヤツが、サッカー部でさ。
おれの『エンターテナー』聴くと勝てる気がする、っていうから、今、応援してたんだ」
「あはは。火原先輩らしいです」
「火原は誰を応援してるの?」
「ほら、あの、黄色のゼッケンの。あ、普通科の1年生だから、柚木は知らないかも。
穂積って言うんだ。なんか購買でよく顔合わせてるウチに、仲良くなってさ」
*...*...* Result 2 *...*...*
夏にはあんなに近くにいた太陽が、少しだけおれたちから距離を置いてる、って思うこの季節。時折、背中の汗をひんやりさせるような心地良い風が吹いていく。
夏休みが始まる前と終わった後。
何が1番大きく変わるかって、それは1年生の雰囲気だとおれは思う。
いかにも着せられてます〜、って感じの制服はあつらえたみたいに身体にしっくり合ってるし。
背も伸びる。
遠慮がちに使ってた学院の設備。音楽室やら観戦スペースやらをすごく上手に使い出す。
風を切って走る背中は、2年生と変わらない。
まるでおれたち3年生の鋭気を吸い取って、大人になっていくみたいだ。
── いいな。
こうやって、ずっとおれ、誰かを応援したい。
おれの音楽が好きだよって言ってくれるみんなと一緒に、音に囲まれて過ごしていたい。
柚木は、気持ちよさそうに風に吹かれながらグラウンドに目を当てている。
「火原先輩、すごく嬉しそうな顔してます……」
「えへへ? そう? そうかも」
「はい。とっても」
「えーっと。ごめん。なにか用事があって来てくれたんだよね。なんだった?」
おれは改めて2人を見つめる。
日野ちゃんはそのふっくらした頬をつつけば、言葉が溢れてきそうなほど、嬉しそうな顔をしてにこにこと柚木を見ている。
柚木は、と言えば、そんな日野ちゃんを困ったように横目で見ながら、どこかすっきりした顔をしている。
うーん……。なんだろ。
文化祭まであと1週間。すごくたくさんの時間があるわけじゃない。細部に注力を注ぐ時間。
最初はアンサンブルの誘いかな、とも思ったけど、どうもそうじゃないらしい。
だってそれなら、いつもみたいにケータイで連絡すればいいんだもんね。
だとしたら、なんだろう。
電話じゃ話せないこと。直接、顔を合わせて話したいこと。うーん……。
「あ! わかった」
「え? まだ何もお話してないのに、わかるんですか?」
香穂ちゃんはさっきよりももっと嬉しそうな顔をして、柚木を振り返った。
「ごめんごめん。おれ、加地くんとこの前、言い争いになっちゃったでしょう? 早く仲直りして? ってことだよね」
2日前。アンサンブルの練習をしていたとき。
今思えばなんでこんなことで? ってくらいつまらないことで、おれは加地くんと言い争いになった。
思い出しても恥ずかしい。どうしてアンサンブルの練習で、ハミガキ粉のことでケンカしなくちゃいけないんだろ。
あのときは、おれの力作マンガをけなされて、なんかヒートアップしちゃったんだよな。
だけど、甘い味のハミガキ粉なんて、おれは一生使うことはないと思う。だって、マズそうだよ。
そもそもハミガキって、口の中をすっきりさせたいからやるんだよね?
おろおろとおれと加地くんを見つめていた香穂ちゃんを思い出す。
あー。昼バスとか言ってないで、早めに加地くんと仲直りしないと、だよね。
「あ、あれ?」
うんうん。おれって気が利くよな、と自画自賛しながら香穂ちゃんを見ると、香穂ちゃんは、おれの笑い顔を見てしゅんとしていた。
なんか、たった今までしっぽを振ってた子犬が、食べ物をもらえなくて落ち込んでる、って感じ?
あ? おれってもしかして……?
「えーっと。おれ、なんか、ハズしちゃった?」
香穂ちゃんは困惑した顔で柚木を見上げている。
柚木はというと、いつものポーカーフェースで、おれと香穂ちゃんをずっと観察してる感じ。
ただ、穏やかに微笑んでいる。
「どう、しましょう? 柚木先輩」
「いいよ。お前から言って」
「は、はい! じゃあ、えっと……」
「なになに? 香穂ちゃん」
この2人のさっきの晴れやかな顔は、きっと良い知らせだ、って思う。しかも とびきりの。
おれはトランペットを近くのベンチに置くと、改めて2人を見つめた。
「あのね。柚木先輩のお家ね、もう、大丈夫なんだって」
「……とりあえず、危機を回避した、というだけだよ」
「それでね。柚木先輩、音楽の道に進んでくれる、って」
「……もう一度考えてみるって、言ったんだけど」
「ええと……。難しい言葉もあったような? 音楽の道に進まないと、バチが当たる、……でしたっけ?」
「……かなり強引な意訳だな」
香穂ちゃんは元々の性格が楽天家なんだろう。
じゃなきゃ、春のコンクールから続いて、アンサンブルの大役なんて引き受けられない。
香穂ちゃんが一言いうたびに、おれの親友は冷静に訂正を繰り返している。
ボケとツッコミみたいな2人の様子。それに親友の吉報。
おれは、だんだん嬉しいのを押さえきれなくなった。
「そっかー。やったじゃん。柚木。良かったね! おれ、すっごく嬉しい!」
「ですよね。私もさっき聞いたんです。聞いたとき、思わず泣いちゃいました」
「うー。わかるなあ。おれも女の子だったら、ウルっときてたかも」
「そうですよね? お話してる柚木先輩の方が冷静なんだもの」
うわー。なんか、香穂ちゃんの笑ってる顔を近くで見てたら、だんだん現実味を帯びてきた気がする。
ホントに? ホントに柚木、音楽続けてくれるかな?
だったら、本当に嬉しい。
また、柚木のあの華やかなフルートが聴ける、ってすごく貴重なことだし。
なによりも、音楽のことをとても大切に思ってる柚木が、ムリヤリ、音楽とは違う世界に行かなくて済んだってことは、
もう、これで、おれは親友の苦しそうな顔を見なくて済む、ってことなんだよね。
「あ、あれ……? どしたの? 柚木」
ニコニコ顔の香穂ちゃんとおれの間、柚木はグラウンドで走り回っている選手を見ながらつぶやいた。
「ねえ。火原。お前はどっちが嬉しかったの?」
「へ?」
「俺の家の事情が解消されたこと? それともその結果、日野の悩みが1つ減ったこと?」
「柚木……」
柚木って、実はかなり子どもっぽいとこ、あるのかなあ、っていうのが最近の俺の認識。
そうだな。創立祭のコンサートの後くらいかな。
あのとき以来。そして、おれと香穂ちゃんがいるとき、っていう限定条件がつくけど。
柚木はときどき、こうやって、たわいのないことで自分に向けられる気持ちの大きさを測ろうとすることがある。
ヘンだよね。
みんなが欲しがるようなたくさんの賛辞を、柚木は今まで、それこそ言葉のシャワーみたいにふんだんに浴びてきたはずなのに。
『子どものときの愛情のかけ方って、大切なのよねー』
そう言えば昨日、雑誌の編集で徹夜明けの母さんがハイテンションでおれに話しかけてきたのを思い出す。
多分、2ヶ月後。本屋に並ぶ表紙には、『特集:子どもへの愛情の注ぎ方』なんてタイトルが並んでいたりするんだ。
でもツッコむと10倍以上、散弾銃みたいに言葉が返ってくるからおれは黙ってる。
お金をゲットする。働くってなんだかむちゃくちゃ大変そうだ。
『毎日じゃなくていいの。週に1回。月に1回。極端なこと言えば、年に1度だっていいのよ。
子どもが『もうお腹いっぱい。ごちそうさま』って言えるくらいの愛情を注いであげるって大事なことだ、ってことを私は言いたいの』
『へえーー。じゃあ、ウチはどうなんだろ? おれ、そんなに愛情かけてもらったっけ?』
おれは夜明けのダイニングを見渡す。
あたりは雑然としていて、母さんが使ったコーヒーカップがテーブルの上、4つもくたびれた顔して並んでいる。
母さん、今日あたり、胃が痛い、なんて言いそうな気もする。明らかに、コーヒー飲みすぎだよ。
うーん。母さんからの愛情? もらったような、もらってないような?
いつも明るい兄貴がいて。そして、黙々と料理をこなすオヤジがいて。
あ、そうだ。友達の家に遊びに行って初めて、おれの家はあまり掃除をしてないのかも、と感じたことはあったなあ。
だけど、今まで取り立てて淋しいと思ったことは一度もなかった。
『あんたみたいなのはいいのよ。万年天然お子さまモードの子は』
『あー。なんか、面白くない。その言い方』
『心配なのは、一見イイ子、なのよねー。品行方正な感じの。
あ、あんた、ジョギングに行くんでしょ? ほれ。早く行って早く帰ってくる! そしてゆっくり母さんを眠らせてちょうだい』
一見イイ子。品行方正、か。
── 柚木が、まさか?
そう考えて、考え直す。
全部丸ごと、柚木は柚木だもんね。
おれは嬉しかったんだ。香穂ちゃんと、柚木、2人が笑っていたのが。
おれは親友の視線をまっすぐ受け止めると、自分の思っていることをそのまま告げる。
「そりゃ、両方とも嬉しいに決まってるよ。自分の親友や後輩が、嬉しそうな顔してるのって嬉しくない?」