*...*...* Division 3 *...*...*
『柚木先輩。遅くにごめんなさい。今から、屋上に集合してくれませんか? そんなに時間はかからないと思います』

 夕方6時少し前。
 今日は自分の予定していたところまで練習できなかった苦々しさも手伝ってか、俺の口元は笑顔を作る前に ため息をついた。
 やれやれ。
 生徒会のヤツらは、いつまでも俺に頼るということをしないで、
 もう少し自分の頭で考えるということを覚えた方が良策だろう。
 自宅の部屋が防音だとはいえ、今日はお祖母さまが早く帰宅する日。
 そんな中でフルートを吹くことは、火種を作りその上に風を送るようなものだ。

 それにしても日野の用事はなんなのだろう?
 今から2人練習をするというには時間がなさ過ぎる。

『集合』とあるのは、このメールは俺だけに出されたメール、というワケでもない、ということか。
 
*...*...*  Division 3 *...*...*
「やあ。みんなそろって一体どうしたんだい?」
「あ、柚木! これで全員そろったことになるのかな。あのね、大変なんだよ!」

 早足で屋上に滑り込むと、そこには日野を中心とした大きな輪ができていた。
 土浦と加地が、日野の顔を覗き込むかのように背を丸めている。
 意外なのは、この場にアンサンブルメンバーではない、天羽さんが混じっていること、くらいだろうか?
 陽がかげって、屋上の自動照明が重い腰をあげるかのように ゆっくりと点灯した。
 日野は、唇を噛みしめて厳しい表情を浮かべている。

「とまあ、こんな感じなんだ。ほとんど香穂の聞きかじりだけどね」

 天羽さんは簡潔に告げると、悔しそうに眉をひそめている。

「ねえ、本当なの? ウチの学校が無くなっちゃうって」
「違いますよ。火原先輩。普通科と音楽科が別々の学校になる、ってことだろう? 天羽」
「土浦くんの言うとおりです。具体的にどんな風になるかはまだ青写真が見えないんだけどね」

 俺は状況を分析する。
 ── ふぅん。なるほどね。日野が誰かになにかを提案された、ということだろうか。

 学院云々と言うからには、学生ではない。……とすると。
 まだ10月に入ってすぐのころ、天羽さんの口車に乗ったフリをして理事室で見た『収支会計報告書』や『財務診断書』が目に浮かぶ。
 あのとき見た学院の赤字がようやくここへ来て、発覚した、ということ、か。
 この学院を分割して、経営難の方を 体よく転売するのだろうか。

 俺は日野に告げた人間を想像する。
 俺たちより、立場が上で、情報通で。……いや、情報発信者かもしれない人間。
 この学院に新風を起こす人間、……となると、最近になって学院に足を踏み入れた人間、ということになる。
 土浦は、やや長くなった髪の毛を書き上げるとサバサバした調子で言った。

「俺だったら、音楽科をここに残して、普通科を別の場所に移すな。
 その方がより専門性の高い授業が受けられるだろう? お互いに」
「おれはそういうの、いやだな。だってさ、普通科のみんなと今みたいに会えなくなっちゃうじゃん」

 火原は口を尖らせて土浦に反論する。

「そうなんですよ。そこで、みんなにこうして集まってもらったんだ」

 天羽さんは良く通る声でその場を取りまとめた。

「香穂の話を要約すると、学外でコンサートを開いて、あんたたちの実力を認めさせればいい、ってことになるよね?」
「う、うん……。その、あのね。『君たちの音楽が、学外でどれだけ通用すると思っているのか』って言ってたような……?
 だから、天羽ちゃんの言うとおり、学外でコンサートを開いて、それが成功すれば、その、吉羅さんっていう人も……」
「おいおい。本気か? そんなことしたって、大人の思惑ってもんは変わらないんじゃないか?」

 日野は苦い表情を浮かべた土浦に頭を下げた。

「土浦くん、その……。私、ダメでもいい。やってみたいの。
 だけど、学外コンサートは私1人じゃできなくて。それに、みんなが協力してくれたとしても、
 私が1番足をひっぱっちゃうこともわかってるから、余計頼みにくいんだけど……」

 火原は助け船を出すかのように、大きな声を挙げた。

「いいね。それやろうよ。みんなでさ」
「火原先輩……?」
「だってさ、おれたちのアンサンブルって、うちの学院そのものじゃない。
 普通科の子も音楽科の子もみんな一緒になって練習してさ」

 いかにも火原らしい意見に、俺はここでようやく口を開いた。

「火原がそう言うなら、僕も特に異論はないよ。一緒に頑張っていこう」
「……学外のコンクールについては俺も協力しようと思う」

 どういう思惑があるのかはわからないが、月森もアンサンブルに参加するらしい。
 とたんに天羽さんの顔がパッと明るくなった。

「そうだよねえ。月森くん! 志水くんも冬海ちゃんもいい?」
「……はい。またみなさんと一緒に演奏できるの、あの、すごく楽しみです」
「……僕も、楽しみです。みなさんの演奏」
「僕も、賛成。僕としたことが失策だよ。火原さんより先に香穂さんに賛同の意を唱えたかったのに」

 天羽さんは晴れ晴れとした表情で全員を見渡すと、嘉穂に笑いかけている。

「これで周囲の合意は取れた、と。会場の確保は私に任せておいて。あんたたちはあの男が、ぐうの音も出ないような演奏聞かせてよ」

 空から吹いてくる突風に、みんな身を縮めて、校舎に入るドアを開く。
 加地と火原は空腹だ、ということで意見が一致したのか、今から行くラーメン屋のことで、意見を戦わせている。
 お互い一歩も引かない様子は、アンサンブルの解釈の違いを埋めていくときの会話のように、ひどく熱気が籠もっている。

 日野は、といえば。
 今日1日、吉羅理事に言われたこととこれからの展開が不安だったのだろう。
 ぼんやりと疲れた横顔を見せ、みんなの一番最後について階段を下りようとしている。
 俺は薄暗闇の中、ひらひらと舞う日野の手を引っ張り上げて、ドアを閉めた。
*...*...*
「な! な、なにするんですか? いきなり」
「いろいろ確認したいことがあってね」

 まあ、あの場ではああいって治めるしかなかったが。まったく日野は一体何を考えているのだろう。
 日野は俺にとって未だに謎めいている。
 なぜ、こいつは自分にとって益とならないことにまで、こんなに夢中になるのだろう。

 仮にこの星奏学院が普通科と音楽科の分割の憂き目にあったとしても、大人の話というのは長丁場だ。
 分割が実現するのは多分、俺も、そして日野もすでに卒業してからの話だろう。
 大体構想を練ってから1年も経たないうちに分割する、なんていう理事の口車に乗ることもないだろうに。

「えーっと……。今、みんなの前で、天羽ちゃんがお話したとおりですよ?」
「俺はお前の口から聞きたいんだよ。
 日頃こんなに世話になっている先輩に対して、もう少し付加情報を出そう、っていう気はお前にはないの?」

 たたみ込むように言うと、日野は、ふらふらと視線を揺らした。

「……言ったら、現実になっちゃうような気がして、なかなか言えなかった、です……」
「は?」
「音楽科と普通科が別々になったら、もう、柚木先輩や火原先輩と会えなくなるんだな、って。
 ……えへへ。なに言ってるんだろ……。先輩たちとは、来年3月で別々になること、わかってるのに」
「日野……」
「自分に自信がないことも、悲しかったです。
 もっと、私にヴァイオリンの技術があったら……。もっともっと強かったら。
 吉羅さんの言うことなんて笑い飛ばせるくらい、実力があったら、って」

 日野は泣き笑いのような不思議な表情を浮かべている。
 ともすれば、笑い顔を作ることで必死に涙を押しとどめているような。

 どうしてこいつはこんな風に強いのだろう。
 俺は日野の明日の様子を手に取るように思い描くことができる。
 けろりと何事もなかったような顔をして。俺の小言にも笑って言い返して。

『── ヴァイオリンさえあれば、幸せですよ?』

 そう言いたげな顔をして、学院のどこかで練習を繰り返している姿を。

「ごめんなさい。もう遅いですよね? 私たちも帰りましょう?」

 強がったような笑みを浮かべて、日野は俺を見上げる。
 俺は、その白い頬に触れたいと思った。

「日野」
「はい?」




「お前。ほかの男に、そんな顔、見せるんじゃないよ?」
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