「悪い! 金やん。そういうことなんだ」

 金やんの前でぱちんと両手を合わせて、一旦ぎゅっと目を閉じる。
 おそるおそる開くと、そこには『やれやれ』とでも言いたげな金やんの顔がある。

「ふぅん。ま、俺はお前さんの言ってることはわかったさ。あとで吉羅にも話を通しておく」
「うん! ありがと、金やん」

 珍しく金やんは、キリっと引き締まった表情を見せる。
 って、金やん、こんな顔にもなれるんだ。
 それもそっか。金やん、って一応教師なんだよね。

「だけどさ、お前さんに1つ忠告だ」
「へ? なに、金やん」
「お前さんたちは『お年頃』ってことだ。あまり騒ぎにするんじゃないぞ?」
「やだなあ。金やん大げさだよ。騒ぎってなに?」
「まあ、かみ砕いて言うとだな、余計なことを話すんじゃないぞ、ってことさ。
 昔の人も言ってるだろ? 『口は災いの元』ってことだ」  
*...*...* Fifty 1 *...*...*
 それにしても、昨日のCM撮影は本当に華やかな世界だったな、と今でも思う。
 最初は雑誌の編集をしている母さんのツテで、楽器が弾ける子を。それだけのオファーだったって話だった。
 息子が音楽科に行ってるっていうのに、ウチの母さんは音楽にウトい。
 楽器? 楽器って言ったらピアノしかダメかしら? ウチの子、トランペットだかなんだか弾けるわよ。
 そんなことを言ったらしく、話はすぐおれの耳まで入ってきた。

 別に芸能界に興味があるワケでもなかったし、正直撮影に行くのだって躊躇した。
 なにしろ今は、最終コンの練習で時間も取れそうになかったからだ。

 ところが母さんは予想外の粘りを見せた。

『和樹。まあ、アタシの顔を立てると思って! そうだ、ディレクターの方、少しだけど謝礼を出すって言ってたわよ?』
『ん……。って、謝礼、ってホント!?』
『アンタがその気になってくれるなら、母さんからも、特別に小遣い、支給しちゃおうかな?』
『行く! 行きます! 確定!!』

 なんて本当に軽い気持ちで行ったスタジオでは、今までおれが会ったことないような大人の人たちでいっぱいだった。

 小道具を確認する人。
 撮影道具。ライト。
 細かな光の洪水がキラキラしてると思ったら、それは人の動きに合わせて上下するチリだった。
 興奮してたおれには、そのチリさえ、ダイアモンドダストのように見えたっけ。

 座る場所も、立つ場所も。いや、もっといえば、おれ自身の存在の場所さえないところで、おれは相棒を取り出していた。
 ま、やることやったらさっさと帰っていいんだよね。

 と、そのとき、突然甲高い声が耳元で叫んだ。

『ねえ、君? 君だよね。トランペットの君!』
『え? は? はい! そう、だと思います』
『いいねえ。君、いいよ。すごくいい。ちょっと立ってみて?』
『は、はいっ』

 言われるまま、おれは操り人形のように遊び人っぽい大人の人の前に立つ。
 するとその人は、フレームのないサングラスを外すと、また改めておれを見た。

『君、身長いくつ?』
『はい? えーっと、確か、178センチくらいだったかな』
『ほい、決まり。ねえ、ハルキ〜、この子、被写体確定。引きアングルでテストして!』
『了解っと。じゃあ、君、あそこで立ってて』

 ……なんて。
 おれの名前なんて1人も知らないだろう、と断言できるような人たちの中で、あっさり撮影は終了して。
 ──── その後で、おれ、本当に、信じられないことを聞かされたんだ。

「あーーー、もう、おれ、ホントにバカだよ……」
「火原、大丈夫かい?」
「わ! あ……、柚木、か」

 2限目と3限目の間の中休み、親友が心配そうにおれの席まで来てくれる。
 穏やかな、優しい目。
 ホント、よく分からない。
 まるで性格の違うおれたちがどうして3年もこんな風に親友でいられるのか、って。
 だけど、柚木に見ててもらうと、おれ、自分の実力以上の力が発揮できるような気がするんだよね。

「ふふ。今日の君はいつもにまして心ここに有らず、といった様子だったよ」
「ははっ。そうだったっけ?」
「うん……。あと、人の集まりをなんとなく避けているようにも思えたかな。大丈夫かい?」

 親友の鋭い指摘に、おれはうなずき返すのが精一杯だった。

 そうだよ。
 おれが今の状態に居心地の悪さを感じているなら、それは、きっと。
 そうだ、昨日のあの撮影がおれにとっては刺激が強かったんだ。
 
 慣れてなかった、ってのもあるし。
 おれ、あんなたくさんの人たちの中で、真ん中に立つなんてこと今までしてこなかったから。

 いや、待てよ。
 してこなかったってことはないか。
 オケ部の集まりや、バスケの時、人がたくさん集まっちゃったときは、50人くらいの前で話をしたことだってある。

「そっか……」

 おれが今日、みんなの前で堂々とできなかったワケ。

 それは、おれ自身にやましいことがあるからだ。
 触れられたくないって思ってて、隠したいって思ってることがあるからだ。
 親友のなにげない追及のかわしようがなくて、ガリガリと頭を掻いていると、今度は廊下の方から聞き慣れた声が聞こえた。

「報道部3年天羽です。失礼しまーす。火原先輩、ちょちょっと取材だけさせてくださいね〜、っと」

 天羽ちゃんは、生き生きとした表情を浮かべると、早速小型マイクをセットしている。

「な、なに? 天羽ちゃん」
「またまた〜。時の人がとぼけないでくださいよ。CM出演! おめでとうございます!」

 『CM』という言葉に勝手に身体が反応する。
 ってどうして天羽ちゃんはそんなこと知ってるんだろ。
 まだオンエアにもなってない。
 それに学院に話したのって、今朝、金やんが話したのが最初だったのに。
 たった2時間で、天羽ちゃんまで知れ渡ってるって、どうして?

「天羽ちゃん、どこでそれ知ったの?」
「ふっふ。報道部の誇る新聞記者、早耳の天羽とは私のことですよ。で、早速CMについて」

 天羽ちゃんの声はよく通る。
 大体、普通科の子が昼休みでもない短い休みにこうしてマイクを持ってくることだって珍しい。
 今まで静かに談笑をしていたクラスメイトが『CM』という言葉にちらりとコチラを見たのが分かった。

「あちゃー。今朝、金やんに騒ぎにするなって堅く口止めされてたのに」
「っていうか、火原先輩、今朝金やんと大声で話してたでしょう?」
「え? ……あ、そっか」

 ってことは天羽ちゃんは誰かから話を聞いた、ってワケじゃなくて、単純におれと金やんの会話を聞いただけってこと……?

「さくっと教えてくださいよ〜。けっしてご迷惑はおかけしませんって。
 ではこのたびのCMに出ることになったキッカケはなんで?」
「そう? う、うーん、そんなたいしたことじゃないんだよ。本当に」

 おれは周囲になるべく聞こえないように、と声をひそめて説明する。
 だけど、おれの思いは届かないらしい。天羽ちゃんは普段どおり、しゃきしゃきと話し続ける。

「紅茶のCMなんだけどトランペットを吹く少年を捜してるって、知り合いのツテでおれに話がきて」
「ふむふむ、なるほど、じゃ今度のCMでは火原先輩の演奏姿が見られる、っと。それから次の質問」
「うわ、待って。本当にあんまりしゃべってちゃいけないんだ。ええとさ、おれ、秘密保持契約っていうの、結んだから」

 おれは昨日ディレクターさんに言われた単語をそのまま天羽ちゃんに伝える。

『いいかい? 少年。金銭の授受。これは君にとっては見返りだ。一高校生のアルバイトにしちゃ、破格のカネが入ってる。
 じゃあ、僕は君になにを求めるか? ……対価だよ。このCMの撮影シーンやデータのやりとり、その他。エトセトラ。
 ここで起きたことはすべて話しちゃいけない。わかったね?』

 すごむような、たたみ込むような言い方におれは何一つ反論できなかった。
 いや、デモテープをもらうまでは。おれがその事実を知るまでは、反論することがあるなんて思いもしなかった。

「なんて言ったかな、あ、そうだ。守秘義務っていったかな、守らなきゃいけないんだ」

 上手く説明ができなくて、おれの口数は少なくなる。
 言うことも、難しい。言わないでいることも苦しい。どうしたらいいのか、わからない。

 天羽ちゃんはふっとため息をつくと、おれの前にあったICレコーダーの電源を落とす。
 そして、また日を改めるから、そのときはもう少し情報をよろしくと言って、教室を飛び出していった。
*...*...*
 昼休み。
 普段なら長柄たちを誘ってカフェテリアに繰り出す、っていうのが、おれの定番のランチスタイルだけれど。
 今日のおれはみんなの視線を避けるようにこそこそと教室を出るとそのまま真っ直ぐ屋上へ向かった。
 ……おかしいな。全然腹が減ってない。
 このおれが昼休み空腹を感じないなんて、それこそ生まれて初めての経験かも知れない。

『これさ、デモテープ。明日からオンエアだけど、君だって年頃だもんね。クラスメイトのみんなとかに見せたいかな、と思って』

 おれは昨日スタジオの人から渡されたDVDを手に、息をつく。
 わざわざ学院に持ってきた理由が自分でもわからない。
 秘密を守りたいため?
 いっそのこと粉々に割ることで秘密も割れて無くなってしまえばいいのにと思うけど、それもできない。

 見なきゃよかった。いや、聴かなきゃよかった。
 もっと言えば、ちょっと小遣いや謝礼に釣られて、CMなんか出なきゃよかった。
 おれの頭はさっきから同じことばかり考えて、ため息をついている。

 きっとこの流れを修正する方法はいくらでもあったハズなんだ。
 演奏している男の子。それだけでいいなら、あんなにおれの顔をアップにして欲しくない、って言えばよかったとか。
 どうしておれの音を別人の音と差し替えてしまったんですか、って、聞けばよかった、とか。
 もっともっと言えば。
 おれの音を使ってくれないのなら、このCM出演はしません、って言えば良かったのに、とか。

 1つハッキリしてるのは、おれはまだあのきらびやかな世界では本当に子どもだったってことだ。
 映像と、音。それは別々に別撮りが可能で、あとでどうとでも修正できる、ってこと。
 そんなことまるで気が付かなかった。本当にウカツだった。
 昨日見たデモテープが目のウラに焼き付いている。それと同じく大人っぽいトランペットの音も。
 あれって、あのCMを見た人は誰だって、おれが演奏していると思うよね。
 ──── おれの音は、ああいう音だ、って思うよね。

 考えている最中に、屋上のドアが開く音がしたのは分かったけれど、おれはずっと額に両手を付けて目を閉じていた。
 誰とも、今は話したくない。
 なのに、おれの名前を呼ぶ甘い声は、いつも聞き慣れた彼女の声だった。

「あ、香穂ちゃん! な、なに? どうしたの? おれはその、練習しにきてて……」
「……あの、なにか、ありましたか?」
「え、べ、別に何もないよ。いつもどおりだって。はは、そうだ、珍しくお腹が空かない、かな?」
「火原先輩」

 どういうワケか香穂ちゃんは、おれの隣りにトスンと座ると、黙っておれを見上げてくる。

「ごめんなさい、火原先輩。少し、いいですか?」
「へ? な、なに……?」

 香穂ちゃんはそっとおれの額に手を当てると、改めてその手を自分の額に乗せている。
 小さな手は、季節外れの白い蝶みたいに儚げだ。

「熱はないみたい、ですね。……良かった。昨日も遅くまで練習してたし、身体、大事にしてくださいね」

 香穂ちゃんの手が、おれの身体の一部に触れたからかな?
 おれはずっと自分の中で答えのでないことを香穂ちゃんに対してぶつけていた。

「ねえ、香穂ちゃん。大人になるってどういうことだろ? イヤだと思ってもガマンすること?
 納得が行かなくても、そういうものだって割り切ることなのかな?」
「火原、先輩?」
「おれのトランペットはまだ半人前かもしれない。だけど、でも……」

 おれはそこまで言って唇を舐める。
 乾いた初冬の空気は、あっという間におれの柔らかいところを乾燥させていった。

(おれ、一生懸命吹いたんだよ? ちゃんとさ、採用されますように、って。ちゃんと弾いたんだ)

 って、待て。香穂ちゃんはCMのことは何も知らないかもしれないのに。
 こんなこと突然言ったって伝わらない。それより、守秘義務に反しちゃうかもしれない。

「あ、あはは、今のナシにしてくれる? なんでもないんだ。うん、ホントに」
「本当ですか? 火原先輩、なにか気になってることがあるんですね、私……」
「あっと……。昼休み、あと10分しかないね。おれ、練習してくる!」



 このCM話を引き受けたときは、おれ、ホントに何もわかってなかった。
 『守秘義務を遵守する』っていうのに、母さんから借りたハンコを押したのだって。
 ちょっと背伸びしてるのかな、くらいにしか思ってなかった。
 そして背伸びしてる自分が格好いいかも? くらいにしか考えてなかったんだ。
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