*...*...* Future 1 *...*...*
「ちーっす。来たぞー」
「あ、兄さん、いらっしゃい! 寒かったでしょ? 入って入って?」
「あ、ヒロくんだ!!」
「おー。ぼうず、お前も元気だったか?」

 2ヶ月に1度、くらいか? それとも、3ヶ月に2度、くらいか。
 電車で約1時間足らずの距離に住んでいる妹から、こうやって夕食の誘いを受ける。
 甥っ子が、まだ赤ん坊の時代だった頃は、年に数回会う程度のさっぱりした付き合いだったが、
 やはり男は男同士、話が合う、ってのが幼い甥っ子にもわかるのか、
 最近はこいつからのたってのリクエスト、とかなんとか言って、妹は俺を呼ぶ。

 まあ、ダンナがこの4月から単身赴任になった、というのも多少は影響があるのだろう。
 甥っ子は恋人を迎えたような親しさで俺の手を引っ張ると、グツグツと湯気を上げている鍋の前に座らせる。

「今日はヒロくんが来るから、ママがおなべ、だって。ね、早く、食べよ?」
「おう。こりゃまた美味しそうだなー」

 甥っ子はちんまりとオレの膝の間に座ると、小さな手で鍋のフタを取った。

「まあ、もう兄さんのべったりなの? ごめんね、兄さん」
「いんや? こうなることは想定内だったしな。ほれ、これ、土産。
 明日にでもこいつのおやつにしてやってくれ」
「ありがと。わ、これ、アタシの好物だ!」
「お前さんも毎日、母親業、頑張ってるみたいだからな」

 妹はずいぶん若いウチに結婚を決めて。
 それまでは、それコンパだ女子会だと遊びまくっていたこいつを、俺を始め、両親はずいぶん心配したモノだった。
 それが子どもができた今は、ぷっつりと遊ぶことを止め、意外にも楽しそうに母親業をこなしている。

 一方の俺はといえば。
 大学を出たあと、自信満々にイタリアへ飛び。
 挫折して、帰国。
 あとは、必要最低限の仕事を淡々とこなす日々、か。
 まったく、若さってなんなんだろうな。
 ただの怖いモノ知らずのガキだったってことなんだろうか。

「お待たせ。じゃあいただきましょうか?」

 エプロンと、湯気。それにまとわりつく子ども。
 質実な暮らしをしている妹が、今日はやけに偉大な人間に見えてくる。

「兄さんが来てくれると助かるわ。いつも親子2人きりだと、なかなか鍋なんてできなくて」

 妹は白磁色のお玉に牛肉を入れると、愛おしそうに息子を見た。

「ってなんだ? 鍋くらい毎日でも親子でやればいいじゃないか」
「なに言ってるの。鍋ってたくさんの人間で食べた方が美味しいのよ?
 それに食べっぷりの良い男の人が入ると、俄然美味しくなるんだから。本当よ?」

 化粧っ気のない顔は、鍋の温かさに包まれるようにしてピンク色に上気している。

「ヒロ、くん……」
「あらあら。今日は兄さんが来るの待ってる、って言って昼寝を抜いちゃったから、もう眠くなったのかしら」
「って、ほとんど食べてないだろ? こいつ」
「いいわ。また明日ゆっくり食べさせるから」

 初めの一口二口を具を口にしただけで、甥っ子は俺の膝の中でことんと眠りについていた。

「ちょうど良かったわ。この子が寝てくれて」
「ん?」
「実はね……。お母さんの調子があまりよくなくて」

 そう言って、妹は一旦持ち上げた取り皿をテーブルに置く。
 両親もやっぱ、俺よりも妹の方が話しやすいのだろう。
 初めて聞く話に、俺の口は咀嚼することも忘れたかのようにぼんやりする。

「うん……。兄さんも、今年は自分のことで精一杯だから、心配かけるな、って口止めされてたの。
 ちょっと心臓の方がね」
「そっか……。その、なんだ、悪かったな。お前だけに負担をかけて」

 『今年は自分のことで精一杯だから』
 その言葉にちくりと胸が痛くなる。

 そうだった。
 今年の春先、俺は学校の休みをもらって渡米し、声帯の手術を受けてきた。
 だが、結果は思わしいものではなかった。
 いや、俺の期待が大きすぎたのだろう。
 医師としては自分に出来る最善を尽くしたという反論を繰り返した。
 ちょっとしたトラブルはすぐ法廷に持ち込むお国柄としては、そう言わざるを得ないのだと自分で納得はさせてみたが、
 あれ以来、……そうさな。あれ以来、か。
 俺は香穂との付き合いを続けていくことに、不安を感じていた。

 中年に差し掛かかった自分と、未来へ走り始めたばかりのあいつと。
 どうしたって、あいつとは釣り合ってない自分、か。
 ──── 俺は、あいつのそばにいていいんだろうか、なんてな。

 俺が鬱々と底辺をさまよっている一方で、高3になった香穂は、着実にヴァイオリンの実力をつけていった。
 ファータも認める才能がある上、努力家という要素も加味された香穂は、
 それこそ、神の吐息がかかったんじゃないかと思うほどの邁進ぶりだ。

 今年は、香穂の努力が見事に花開いた1年だったというべきなのだろう。
 夏と秋に開催された大きなコンクールに立て続けに入賞した。
 1回目の関東圏の大会では3位入賞。
 そして2回目の全国大会では、初出場、初優勝ときたもんだ。

 孤立無援だった吉羅の満足そうな顔を見ることができたのはいいが、
 有名人になった香穂と出かける機会というのは、今まで以上に極端に減ってしまったといってもいい。

 そしてさらに、新しい年を迎えた香穂には、星奏学院の附属大学の合格通知が舞い込んできた。
 これだけ才能ある生徒は一般入試を待たずして合格の判を押し、他の大学への流出を避けたい。
 そんな大人の事情がよくわかる人選だったように思う。

 難しい顔をしていた俺に、妹はからりと笑う。

「いいのよ、兄さんは仕事が忙しいんだから。負担って言っても週1回通院に付き合うくらいだし。気にしないで」
「……悪いな」
「ふふっ。ここは一発逆転! じゃないけれど、兄さんに吉報があればいいのかもね?」
「吉報?」
「そう。恋人、とか……。いっそのこと、その辺を飛び越えて結婚とか!」

 今の俺の状況を知らない妹は、気楽な口調で話し続ける。

「は? って、結婚? 俺が、か?」
「そう。一応、教育関係者ということで、子どもの面倒見は良し。収入もまあ安定してる。
 それに兄さん、ヒゲを剃れば、そこそこルックスもヨシ。ちょっと猫背だけど背もまあ高い、と。
 なかなかスペック高いと思うんだけどな」
「……ありがとさん。そんな風に言ってくれるのは、我が妹だけだなー」

 俺は注がれたビールを飲み干すと、甥っ子をベッドに運ぶべくゆっくりと腰を上げた。

 スペックか。考えたこともなかったな。
 妹が俺を元気づけようと、あれこれ持ち上げてくれるのは嬉しかったが。
 聞けば聞くほど、俺のスペックは香穂には釣り合わないと思えてくる。
*...*...*
「ありがとうございます。先生とこんなに長い時間過ごせるのは、えっと……」
「夏休み以来、か?」
「はい! すごく嬉しいです」
「ってお前さん、夏休み以降、すっかり有名人になっちまったもんなー」

 あいつが附属大学の推薦合格をもらった週末。
 俺と香穂はレンタカーを借りて、小さな温泉宿に出向いた。
 本当ならのんびり釣りができる長野とかの方がいいんだが、この季節だ。
 雪の心配のない暖かいところがいいだろうと、俺は関東圏を抜けて房総へと向かう。

『お前さんの欲しいモノで、俺が叶えられそうなモノってなにかあるか?』
『ん……。本当に、いいんですか?』
『ああ。お前さんの合格祝いだもんなー。俺ができることならやってやるぜ?』

 服か、時計か、アクセサリーか。
 それとも音楽に夢中になっているこいつなら、どこかの有名な楽団のコンサートか。
 年が改まってから入試まで。推薦とはいえ、香穂はよく頑張っていたと思う。
 少しくらい奮発したって、足りないくらいだ。
 だが香穂から返ってきた答えは、俺にとっては意外なモノだった。

『じゃあ……。私は、金澤先生と一緒に過ごしたいです』
『は? ってお前さん……』
『あの、……人目とかね、その、時間とか。そういうのを気にしないで。1日だけでいいんです』
『ってお前さんも馬鹿だなあ』
『はい?』
『……お前さんのそんな誘いを、この俺が断ると思うか?』

 房総の春は、関東よりも足早に近づいてくるらしい。
 宿の窓から見える梅は、散り急ぐかのように花開いている。
 香穂はといえば、次々と運び込まれる部屋食の料理に嬉しそうに声をあげた。

「こんな素敵な旅館、私、初めてです! ありがとうございます」
「おー、そうか? まあ、お前さんもファータに見初められて以来、2年間か。
 本当によく頑張ったもんなー。これくらいの贅沢、許されるだろ?」
「……あ、あの! 待っててくださいね」

 宿に着くなり、まず一風呂浴びてくださいませ、という女将の言葉に流されて、俺たちは食事の前に風呂に浸かって。
 宿の浴衣に着替えた香穂は、手にしていた箸を改めて箸置きに置くと、真剣な表情で俺を見上げた。

「あの……。今は、ごめんなさい。私、働いてなくて、その、車とか、旅行、とか、
 今は、全部金澤先生に出してもらってますけど、……、その、そのうち」
「そのうち?」
「はい! 私も働くようになったら、必ず先生を旅行に招待しますから!!」
「はは! お前さん、なに言うかと思えば」

 予想外のことを、真面目に言われて、思わず吹き出す。
 まったく……。本当に素直なヤツだよな、って思うさ。
 俺が年取って汚れてるのか、それともこいつが推さなすぎて無垢なのか。
 こういう香穂の律儀なところが、俺がすごく気に入っているところだったりする。

 (……本当に、俺にはもったいないヤツだよな)

 ツン、とまた胸の奥がイタくなる。
 ただ、性格的に、年齢的に、俺と釣り合ってない、って思うくらいならまだいい。
 俺にとって決定的なこと。
 ──── それは、朽ち果てるばかりの俺と、花開こうとする香穂の、音楽に対する才能の差だ。

「おっと。ちょっとアルコールを飲み過ぎたかもな。……お前さん、こっち来いや」

 仲居が場の雰囲気をわきまえたように……。
 もっと言えば、俺の状態を察したかのような手際の良さで、料理の皿を下げていく。
 俺は襖が閉まる音を聞き届けると、向かいに座っていた香穂の手を引いた。

「今日はどうにもお前さんを可愛がりたい気分なんだよな」
「え? あ、あの! 私、もう一度お風呂に入ろうって思ってて……。
 ほら、さっき旅館の女将さんも、3回入るといいですよ、って。だから!」
「なに、このあとで入ればいいだろ? そんで、明日の朝入れば、これで3回、と」
「だ、だけど……」

 俺は浴衣の合わせ目に手を入れると、ゆっくりと指に力を込める。
 下着に包まれていない頂きは、やすやすと俺の手のひらに収まると、自在にその形を変えた。
 水をたわわに含んだような弾力は、俺の手を簡単に跳ね返してくる。

「先生……っ」
「まったく、な……。すぐ隣りの部屋にある布団までも待てないなんて、俺もおかしいよな」

 血色の良い唇をむさぼったあと、香穂の首、鎖骨に唇を這わす。
 こんな身体を欲しいままにしている俺は、誰から見ても幸せ者なんだろう。

 ただ、自分は幸せだ。そう言い聞かせなくてはいけない状況というのは奇妙なものだ。
 好きな女が近くにいる。相手も俺のことを慕ってくれる。
 幸せであるはずなのに、ふと香穂子の未来を思うと不安になる。
 ──── いつか俺は、計らずして、こいつの枷になるんじゃないか、ってな。

「ん? なんだ、お前さんも可愛がってくれるのか?」
「ん……。前に教えて、もらった、から……っ」

 たどたどしい指遣いと唇で俺のモノを可愛がり始めた香穂を感じて、俺はあることを思いつく。

「そうだ。香穂。こっちに身体を向けてみな?」
「ん……。なにを……?」
「いいから」

 俺は半ば強引に香穂の身体を、俺の上に乗せる。
 そして両足を掴むと、俺の顔の前で大きく広げさせた。

「あ……っ!!」
「ほれ、お前さんはお前さんの仕事しなくちゃなー」

 はっとしたように香穂はまた俺の分身を口に含んだ。
 だが、どうにも俺の動きが気になるのか、なおのこと手や唇は緩慢な動きになった。
 淡いピンクの花びらのようなひだを、そっと指で押し広げる。そこには蜜が滴った朱い実があった。

「なあ、知ってたか? ここは、男のそこと同じくらい、気持ちいいんだってさ」
「ん……っ」
「興奮すると膨らむんだぜ」

 香穂の実を舌先でつつく。
 ひくひくと震える秘部を宥めるように指を入れると、香穂は嬌声をあげた。

「やだ……っ。せ、先生……。そこ、は」

 香穂の口が外れて、俺のされるがままになっている。

「ったくしょうがないなあ。お前さんは」
「だって、ムリ、です。そんなにしたら……」
「俺が欲しくなる、って?」

 もう幾度となく繰り返している行為にも関わらず、香穂は恥じらいを持ち続けたままだ。
 今日もどんな媚態を見せてくれるのかとからかうと、意外にも香穂の強い視線にぶつかった。

「……私、いつも、先生が欲しいって思ってるよ」

 どくんと胸が波打つ。

「今、お前さん、なんて……」
「……先生が好き。先生に抱かれるのが好き。全部、好き」
「って、お前さん、大人をそんなに煽ってどうするつもりなんだか」

 俺は香穂の蜜を自分のそれに塗りつけると、強引なまでに最奥に入り込む。
 こんなときは、過去に身に付けたノウハウなんてなんの役にも立ちゃしない。

「香穂、大丈夫か?」
「紘人さんが、名前で呼んでくれるのも、すごく好き……」
「ははっ。そうか?」
「ん……。すごく」
「って学院の中で、特定の女生徒だけ名前で呼ぶわけにもいかんからなー」
「はい……」
「まあ布団の中での秘めごと、ってか」

 俺が香穂の名前を呼ぶのが嬉しかったのか、香穂も安心したかのように俺の名を何度も呼ぶ。
 俺は自分の名前がこんな優しい響きを持っていることを知らなかったような気がする。





 お互いの身体を存分に堪能したあと、俺はぐったりとしている肩を起こして耳元に言う。

「香穂、汗かいたろ? 急いで風呂でも入ってこいや」
「ん……」
「ほれ。早くしないと、お前さん。俺の匂いがついちまうぞ」
「ついても、いいのに……」



 目がくらむような興奮が落ち着いたとき、いつも俺は、香穂に対して冷たい態度を取ってしまう。
 ったく、我ながらバカバカしいよな。
 ──── 好きになった分だけ、別れる準備を始めている、なんてさ。
↑Top
→Next