*...*...* Mix 1 *...*...*
 秋の週末、私と香穂子は珍しく郊外まで脚を伸ばすと、彼女が行きたいと言っていた美術館へと向かった。
 香穂子は高3の夏になっても、出会ったころと変わらない熱心さでヴァイオリンに励んでいる。
 そんな彼女へのねぎらいの意味もあったが、なによりも真の目的はほかにあった。
 
(彼女の音が、より豊かになるように)
 
 日々、浮かんでは消えていく感情の波。
 それを柔軟に受け止め、響かせ、心の引き出しに入れておく。
 曲想。それに付随する、歴史的背景。自分の想い。
 それらを融合させて、音に響かせる。
 生まれが育ちがと小うるさいことを述べる気はない。
 だが音楽を含め、すべての芸事の、ある一点を超えた部分ではこういう素養も必要になる。
 17歳の香穂子なら、まだ十分伸びしろはある。
 
 黒のカットソーのワンピース。腰に巻かれたローズ色のリボンが彼女の清潔感をいっそう引き立てている。
 後ろから見ると、小さなリボンがアクセントになっている、中ヒール。
 作り物のような小さなバッグには一体何が入っているのか。
 香穂子が身につけているものはすべて私が贈ったもの。
 最近の香穂子はようやく自分の美しさに気がつき始めたようだ。
 学院帰りの彼女は彼女で可愛いが、こうして私服を見るのも、またいいものだ。
 新たな贈り物を考えるきっかけになる。
 
「あの首飾りの少女の絵、すごく素敵でした!」
「そうか。それはなにより」
「目にね、憂いがある、っていうのかな……。なにか遠いところまで見通してる、というか。
 モデルの少女、あのとき12歳だったんですって。雰囲気が素敵です」
 
 私は頷く代わりに香穂子の手を取ると、そのままギアを握った。
 車は個室、とはよく言ったものだが、こと運転している最中は香穂子に集中できないのが困りものだ。
 
「どうしたのかね? そんなに朱くなって」
 
 こんな些細なことにさえ、香穂子の顔は朱に染まる。
 黒というのはどんな年頃でもそれなりに似合う、いわば個性のない色だと思っていたが、
 香穂子が着るととたんに違う様相を見せる。
 首の際や手首の影など、いつもより彼女を妖艶に見せる効果があるらしい。
 
「吉羅さんは……、吉羅さんはどうでしたか? 首飾りの少女」
「……なかなか悪くなかったね」
 
 若い頃、夢中になって覚えた記憶というのは、どんなときも自分の中の物差しになっているらしい。
 中世の画家の年表を目で追いながら、私の脳内は、その時代にどんな作曲家が生まれ、どんな人生を送ったのかを忠実に辿っていた。
 なるほど、フランス革命の全盛期。グルックやモーツァルトが出てきて、宮廷を賑わしていた時期と重なる。
 
「星奏学院のことを、経営というフェイズでしか見ていなかった私が言うのもおかしな話だが、
 もう少し、この国全体が経済的に豊かな時代になるといい」
「豊かな時代、ですか……」
「芸術という金を生まない生き物に、溢れるほどの財を与え、自由な表現を許す世情といえばわかるだろうか。
 経済力が萎縮した今では、あのような芸術家はまず出てこないだろう」
「ん……。それは音楽の世界でも同じことが言えるのかな……」
「統計があるわけではないが、似通った結果が出るだろうね。
 未だに18世紀のクラッシックを越える音楽が出てこない今を考えるにね」
 
 香穂子は思慮深そうな目で私の横顔を見つめている。
 恋人同士になって久しいというのに。
 私たちの会話の中には、どこか師弟のような、透き通ったガラスが2人の間に入る瞬間がある。
 その空気を好ましく思い、また壊したいとも思う自分に説明のつかない苛立ちを感じながら、
 私は強引に路線を変更し、高速を降りた。
*...*...*
「今日は君に渡したいものがある」
 
 高速を降りた街には、なぜこんな風にラブホテルが散在しているのだろう。
 
『そりゃ、高速っていえば数時間は運転してるだろ?
 運転って気疲れするし、そんなとき隣りに女が乗っていれば、ふっと解放したいって気になるんだろうよ。
 社会のルールなんてのは、自分を照らし合わせてみりゃ、ほとんどのことはわかっちまうって』
 
 などと楽しそうに持論を展開していたが、あながち嘘とも言えない。
 けばけばしい色合いのホテルが建ち並ぶ中、私は一番落ち着いた色合いのホテルを選ぶ。
 そして部屋の一室に滑り込むと、手の平ほどの小さな紙袋を香穂子に手渡した。
 
「君が身につけるものは、この半年でだいたいあつらえることができたと思っているが」
「はい……」
 
 香穂子は目の端を赤らめ、黙って話を聞いている。
 ドレスに靴。鞄。それに下着。
 2人きりのときに身につけることを求め、そのままの香穂子を求める。
 何度か同じことを繰り返したことで、香穂子はこれから自分の身の上に起こることを察知したのだろう。
 吐息のようなため息をついた。
 
 夏の日焼けが落ち着いてきた季節の、真珠色の肌。
 今の香穂子は、人に慣れないカナリアが手の上で遊ぶことを覚えた、くらいの時期だろうか?
 
 紙袋を開けるように促すと、香穂子は細い指で丁寧に包装紙を取っていく。
 動作の端々に、私が贈ったものを大切に扱っている様子を見て、私はますます有頂天になる。
 
「わぁ……。これ」
「今日の美術館もそうだが、これからは君に、目に見えないものも贈ろう。そう思ってね」
「ありがとうございます。……なんて言っていいか……」
「勝手に贈っておきながらなんだが、香りには好みがある。無理にとは言わない。一度試してみるといい」
 
 人と会うことが多くなったこの1年。
 私は身につけるものに対して、より細やかな対処をするようになったと思う。
 ネクタイ。カフス。スーツの格。会合の相手は自分より目上か目下か。
 清潔感の一歩先。
 『香り』が気になるようになったのは、香穂子とこうして肌を合わせるようになってからか。
 
 ふと通りかかった店で勧められるまま、この香水を求めた。
 ボトルの愛らしさにも惹かれたが、それ以上に惹かれたのはこの香りだ。
 花束を集めたような優しくて甘い香りが、今の香穂子にぴったりだと思った。
 
「この香水の男性版もある。2つ合わせて『パートナーフレグランス』というらしい」
 
 私は香穂子への贈り物と一緒に、自分用にもこのパートナーフレグランスを求めた。
 元々もらい物のトワレを時折身につけることはあったが、こうして自分から買う、というのは珍しい。
 身に纏う香りが同じというのも、秘めたる私達の関係に相応しい。
 だが私の目を釘付けにしたのは、この商品のモチーフだった。
 
 『永遠の命を手に入れるよりも、彼女の夢を祈りながら永遠の眠りについた男』
 
 ……なるほど。
 姉の死を経てから、死ぬのはまだ先と漠然と思いながらも、私の周りにはいつも死の気配があった。
 生きていていいのか。生きているのなら、いつまでか。
 無作為に生きている私より、必死に生きることを願っている人がいるのではないかと。
 
 私は香水のボトルを見て微笑んでいる彼女に目をあてる。
 ──── 私が、姉が諦めた夢を、この女の子が叶えてくれるなら。
 
「試してみよう。君がこの香りをどんな風に昇華させるのかを」
 
 私は指に香水を染みこませると、彼女の形の良い耳の後ろに指を這わす。
 以前、贈り物の白い下着を身につけて行為に及んだとき、恥ずかしがるこの子を無理矢理抱いた。
 そのときの記憶が足枷になっているのか、香穂子は羞恥に固くなっている。
 
「……君は、甘いな。どこも甘い」
 
 口づけを繰り返しながら、胸の膨らみの下を指でさする。
 若さが実った白い肌は、私の手の動きの通りに形を変える。
 上気した香りは、私の鼻腔をとおり中心を熱くする。
 普段以上に立ち上がるそれは、服の上から窮屈そうだ。
 
「身体のこの部分につけるように、とは どの本にも書いてないが……」
「吉羅さん、なに……?」
「──── どんな風に混ざり合うかと思ってね」
 
 私はもうひとしずく、自分の指の腹に香水を載せると、それをそのまま香穂子の柔らかい毛に塗り込む。
 
「香水も、なかなか悪くなかったが……」
 
 恥部から溢れる香穂子自身の甘い蜜と、私の贈った香水。
 2つの混ざり合った香りを嗅ぎながら、私は香穂子の小さな突起を唇で愛撫する。
 
「あっ……」
「君の匂いも、いい」
 
 濡れることを恥ずかしがる香穂子は、いつも溢れさせる直前に脚を閉じようとする。
 それを男の力でこじ開ける。
 何度かそんな攻防が続いたころ、弛緩した彼女の中心からはじわりと蜜が溢れ出す。
 軽く彼女を高みに乗せたあと、私はゆっくりと彼女の中に入っていった。
 
「香穂子……」
 
 愛しい。
 いやそんな陳腐な言葉では、言い足りない。
 だが心の中に浮かぶ言葉は、どれも物足りなかったり、大げさだったりする。
 結局私がいつも香穂子に伝える言葉は、彼女の名前、それだけになる。
 
 
 
 
 
 
 
「ああ、そうだ。今度の日曜日の準備は万全だろうか?」
「日曜日……?」
 
 達したばかりの身体というのは、動かすことさえ物憂いのか。
 香穂子は私の胸の中にすっぽりと埋まると、微かに身じろぎする。
 
「市長と私の父親は大学の同期でね。
 大体この手の話は、親や家のコネクションから来ることが多いのだが。
 まあ、君も星奏のプロパガンダに付き合ってくれたまえ」
 
 市が主催で行う、音楽祭。
 運営側である市は、内外から多くのパフォーマーを集ってきたが。
 やはり市内のメンバーが催す、インパクトのある出し物が欲しくなったらしい。
 市長は父に、父は私に連絡をしてきた。
 今の香穂子の美しさ、実力。
 それに、この半年音楽科に移ってますます音に磨きをかけた土浦君の2人なら、さぞかし人の目も引くだろう。
 そう考えて、夏休み明けから2人には練習を依頼してある。
 
 香穂子を人前に出すのを誇らしく思ったり、隠しておきたいと感じたり。
 日によって私の気持ちが変わっていくのが困りものだが。
 この経験を通して、また豊かな音色を響かせるであろう香穂子を思うと、つい目尻が緩んでくるのがわかる。
 
「ドレスは何枚か持っているだろうが、この季節だ。
 季節を先取りして、グレーの濃い色のドレスもいいだろう。今日の黒のように、きっと君の肌に映える」
 
 ようやく呼吸が整ってきたのだろう。
 香穂子はうっすらを目を開け、私を認めると微笑んだ。
 
「──── 吉羅さん、大好き」
「……まったく。君という子は」
 
 可愛い言葉を紡ぐ口を覆う。
 
 
 
 
 香穂子と、この香りに囚われる。
 1人街でこの匂いを感じたなら、私は無意識のうちに香穂子を探し、この気怠さを思い出すに違いない。
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