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*...*...* Farewell (2/2) *...*...*
「本当にありがとうございました。……私、圧倒されてしまって……」
 
 身体中にさっき聴いたアリアが反響している。 耳に残ったフレーズはパッヘルベルのカノンみたいに、身体の内側で輪唱するから、ほかのことはなにも考えられない。 劇場のすぐ上にある部屋の一室に来ても、足元が空を舞ってるように頼りない。 熱を持った頬は、化粧では隠しきれないくらい朱くなってるかも。
 『椿姫』。パリで一番人気の高級娼婦ヴィオレッタが、青年アルフレードとの真実の愛に目覚め て、愛する人のために身を引き亡くなるまでの物語。 原作は『道を踏み外した女』と聞いたけど、どうなのかな。 高級娼婦としては道を踏み外したことになるのかもしれないけれど、 アルフレードとの愛を貫いたという事実から見たら、『道を踏み外さなかった女』っていえると思う。
 
「ソプラノのアリアが……、えっと、ゲオルギューさん、ですね。第一幕の『きっとあの方なのね』っていうアリアがすごく素敵でした」
 
 『椿姫』で一番有名な曲は『乾杯の歌』。第一幕の最初でこの曲が流れてきた瞬間から、 私はこの舞台に夢中になった。今日聴いたのは、柔らかいピッコロがメインの軽やかな曲だったけれど、一昨年のコンクールで火原先輩が吹いていたのを聴いていたからかな。今の私はトランペットの華やかな音を真っ先に思い出す。
 
「ほう、君は春の精そのままに、恋の始まりの曲を好むのだろうか。私は、第三幕最終の二重唱『パリを離れて』に心惹かれた」
「最後の……? ヴィオレッタとアルフレードの二重唱ですか?」
「ああ」
 
 さっきの舞台の興奮を照り返しているのか、吉羅さんの目も熱く潤んでいる。
 ともに暮らし始めた2人には2つの問題が忍び寄る。1つはお金。そしてもう1つはアルフレードの 父親の反対だった。息子とどうか別れてほしい。因果を言い含めてヴィオレッタ、 あなたの方から振って欲しい。そう懇願する父親に負けて、 ヴィオレッタはわざとアルフレードに嫌われるような態度を取るようになる。 吉羅さんが心惹かれたという二重唱は、過去のすべての誤解が解け、ようやく二人は幸せに なれると、アルフレードは高らかに、ヴィオレッタは弱々しげに歌う歌。──── 自分の死がすぐ近くにまで来ていることを知りながら、アルフレードに今持っている愛情すべてを注ぎ込む歌だ。
 
(ヴィオレッタは幸せだったのかな?)
 
 アルフレードと出会ったことで、この上ない幸せを手に入れたヴィオレッタ。 自分の命と引き替えに愛を選んだヴィオレッタ。 愛する人を残して亡くなることに、不安はなかったの? 残されたアルフレードは?  死が2人を永遠に隔てても、それでも、ヴィオレッタはアルフレードと恋をしたことに後悔はなかったのかな。
 
「ごめんなさい、ぼんやりしてて。……まだ舞台の前にいるみたいで」
 
 私は胸に抱えていたパンフレットをテーブルに置くと、改めてお礼を言った。オペラってこういう感動を人に与えてくれるんだ。考えれば考えるだけ考えることが出てくる。だから、人は100年の時を経ても、国を越えても、こんな風に人から人に語り継がれてきたのかな。そんな気がする。
 
「君も、娼婦のように私を誘ってみるかね?」
 
 吉羅さんはベッドの深く腰掛けて私を流し見る。普段は、いつも私が失敗しないか、間違えないか、って緊張ばかりしているのに、二人きりのときにはとたんにのびのびと楽しそうな笑みを浮かべるから、ちょっと困る。
 
「で、できないと思ってるんでしょう?」
「どうかな? まあ色街の水で洗ったようなヴィオレッタと比べるのは酷というものだが」
 
 ……冗談なの? それとも本気なの? ここはまだ舞台なの? そんなことない。私は、ただの観客だったもの。舞台のヴィオレッタは、女の私が見ても、首筋から、袖口から、溢れそうな色香が滲んでた。……違う。私じゃない、私じゃないもの。
 
「やってみるといい。君は、高級娼婦のヴィオレッタ。私は、青年アルフレード。第一幕のまだ恋の苦さを知らない頃の2人だ」
「どうしても、その……、するの?」
 
 どうしたらいいのかわからない。話を続けようにも吉羅さんはそのまま目を閉じてしまう。このままじゃ、ノーとも言えないし、私の意見も伝わらない。
 第一幕。ヴィオレッタを一目見たアルフレードは、歓喜の中で愛を叫ぶ。
 
『ヴィオレッタ。あなたこそ私の待ち望んでいた人だった。やっと会えた。やっとこの手に掴まえられた』
『アルフレード。あなたこそ私の命。人生の憂いの中で、やっと見つけた宝石よ。あなたなくては生きていけない』
 
 どうしよう。吉羅さんを思う気持ちは誰にも負けないと思うけれど、芸術の中の恋の言葉は激しすぎて、オペラの中の2人のような言葉を伝えたことがない。
 
(吉羅さんがアルフレード。吉羅さんがアルフレード……)
 
「ヴィオレッタ?」
 
 低い、艶を増した声が、ゆっくりと耳朶を伝う。──── 恋をしているような熱い声。こういうときの吉羅さんの声はずるい。私の抵抗する力を取り去っていく。私は目を閉じると、これ以上吸えないくらい空気を取り込む。……吉羅さんはアルフレード……。私は第1幕のヴィオレッタ。
 
「……私、ずっと、アルフレードと一緒にいたいの」
「私もそう願っているよ、ヴィオレッタ」
 
 声だけでは今の想いが届かない気がして、私は彼のいるベッドに足を進めた。
 
「ほかの人が、私たちのことをどんな風に見ていたって構わないの。私はアルフレードが好き。多分、自分が思っているよりずっと、私はあなたが好き。……好きで、好きな分だけ、苦しいの。今が泣きたくなるくらい幸せな分、恋が終わってしまうことを想像すると苦しくなる」
 
 ヴィオレッタが乗り移ったかのように、私の指は舞台に忠実に、アルフレードのネクタイを 外そうとする。なのに、舞台の上とは違う。タイの結び目がきつくて、思うようにほどけない。 焦る指先を誤魔化すように、アルフレードの頬にキスをする。 舞台の上のヴィオレッタはもっと落ち着いた、しっとりとした魅力があった。 掠め取るようにアルフレードの唇を盗んで。さも美味しいケーキを食べたみたいに、 自分の唇を舐めて。放心しているアルフレードに妖艶に微笑む。どうしよう。 そんな余裕なんて、私のどこを探しても見つけられない。
 
「……私もあなたを信じている」
「……はい?」
 
 私の髪をかき上げる仕草に顔を上げると、そこには切なげに揺れたアルフレードの瞳があった。
 
「いや、信じていたい。……あなたが周囲の心ない助言に惑わされないことを。最後にあなたが行き着く場所は、私の胸の中だということをね」
 
 私の頭はせわしなく舞台の記憶を辿る。あれ? こんなセリフ、アルフレードにあったかな……?  確か、アルフレードのセリフは、青年らしく闊達で強引で、もっとわかりやすいものだった。
 『私が一生あなたを守る。誰にも邪魔させはしない』
 自信に満ちて、未来になんの心配もしていないような、明るいアリア。なのに、目の前のアルフレードは不安に揺れた目をしている。
 ……どうして……?
 
「私は君に乞うしかない。君がほかの男に振り向かないように。私だけを見てくれるようにとね」
「え? 君……? あれ? 吉羅さん?」
 
 吉羅さんは私の驚いた様子を見て、こらえきれない、とでもいいたげに破顔した。
 
「それにしても、なんとも可愛い娼婦だな。ネクタイをほどくこともできなければ、男への誘いが頬への口づけだけとはね」
「ま、まだ、これからです!」
「いや、私の方が限界だ」
 
 吉羅さんは早口でそう告げると、荒々しく私の身体を引き寄せた。
*...*...*
 何度こういうことをしても慣れない。どうしたら慣れる日が来るのかもわからない。なにも知らなかった頃の方が、まだ恥ずかしいって気持ちも小さかった、なんてぼんやりと思う。
 ひんやりとした春の花びらのような指が、身体の線をなぞっていく。ぴくりと震えるたびに優しい口づけが返される。
 
(こわい……)
 
 吉羅さんは私のよく知っている、ほかの同級生と違う、ずっと年上の男の人だっていうのはわかっているのに。男の人が男になる瞬間はいつも、少しだけこわい。きっとどんな言葉も通じないし、どんな抵抗も彼の前ではなんの力も持たないことを、今の私は知っているからだと思う。
 
「香穂子が無事に学院を卒業して……。これからは大人の男女らしく、おおっぴらに可愛がれるようになったからね」
「吉羅さん……。今日は、どうか、したの?」
「いや、別に」
 
 するりと背中のファスナーが外される。ふっと息が楽になったと思ったら下着も取り払われた。代わりに布よりも大きな掌に包まれる。まだ柔らかな頂きを二本の指が摘み上げた。唇や指と違う、熱を持った舌は耳朶を噛み、うなじへと落ちてくる。耳に注ぎ込まれる吐息が、舌が、こんなに身体を震わせるなんて知らなかった。
 
「こんなに胸を高鳴らせて。……まずいな。もっと乱してみたくなる」
「吉羅さん、待って。今日は、どうしたの?」
「──── 君が卒業したということで、私も浮かれているんだろう」
 
 私の反論はあっけなく吉羅さんの唇に奪われて、言葉にならない。 歯列を舐め、舌を絡められる。口移しで飲み込む蜜は吉羅さんの味がする。 懐かしいような、安心する匂いに目が細くなる。──── ずっと、この人に導かれてきた。 けして短くない間、ずっと。
 吉羅さんは鋭い目つきで見つめると、性急に脚の間に滑り込んだ。 
 
「……まだ、足りないんだ」
「あ……っ」
「……もっと、もっと君に快楽を与えて……」
「や、吉羅さん……」
「──── 君を、私なしではいられない身体にする」
 
 密やかに私の内側に忍び込んできた指は、溢れる蜜に誘われるようにして二本三本と質 量を増していく。いつもなら恥ずかしいっていう理性がどこかに飛んでしまってから触れ られる、水音を立てる場所。それが今日は強引なくらいに攻められて、 どうしていいかわからなくなる。
 
「や、吉羅さん、恥ずかしい、です……っ。あ……っ」
「そんなに身体をくねらしているとかえって逆効果だが。……この場所を、君は知っているだろうか?」
 
 吉羅さんは中を確かめるように何度か指を動かしたあと、一番奥を擦りあげた。
 自分も触れたことのない奥に、吉羅さんの長い指が届く。こりこりと内側が揺れる。触れられるたびに、自分の意志とは関係なくぴくりと腰が揺れた。じわりと熱い蜜が滲んでくるのがわかる。
 
「……な、なに。これ……、な……っ」
「固くなっている。……君の身体は私にここを弄られるのが好きらしい」
「や……っ。だめ、です。このままじゃ、私……っ」
 
 湖面を使ってピアノにしたらこんな音が出るのかな。柔らかな水音が部屋中に響く。
 否応なしに息が上がっていく。わからない。ヴィオレッタも、アルフレードとこんな快感を共有したの? わからない。
 私の身体のことを私以上に知っている男の人は、口の端を上げて笑っている。
 
「──── いい顔をしている」
「や、見ないで、ください。お願い……」
「一度イッた方が楽だろう。……イッてごらん。見ているから」
「いや、……私だけなの、いや……っ」
 
 吉羅さんはまるで冷静なのに、自分だけ乱れているのが恥ずかしくてたまらない。必死に首を振る私を吉羅さんは微笑みながら見つめている。
 
「私はあとでたっぷり楽しませてもらう。……いいから」
 
 言い終わらないうちに、吉羅さんの親指がぴたりと突起を覆う。そして激しい抜き差しとともにそこだけはいたわるような優しさで乱され続ける
 
「吉羅さん、……や、吉羅さん……っ!!」
 
 恥ずかしさとか、理性とか。見られてるとか。止めどない蜜。自分が作った音じゃないような水音。なにもかもが真っ白な快感に押し流されていった。  
*...*...*
「……おいで」
 
 数秒の空白のあと、吉羅さんは服を脱いでベッドに横たわった。気がつけば私自身もなに1つ身につけてないことに気づく。
 
「え? 上……?」
 
 いつもは吉羅さんにされるがままに乱されている私が、吉羅さんの上……? ダメ。頭の芯がぼんやりしてちゃんと考えられない。私は彼の手に引っ張られるままに彼に跨る。
 
「自分の指で、私を受け入れる場所を広げて。……そう、いい子だ」
 
 そろりと濡れそぼったところからは甘ったるい匂いがする。自分でも知らない匂いにまた顔が熱くなる。
 お腹につきそうなほど立ち上がった吉羅さんのものに手を添える。こんな風に動かして、痛くはないのかな? 私はおそるおそるその上に腰を落とした。
 
「……んんっ」
 
 自分の中から生まれた滑りが、吉羅さんの先端を受け入れる。なのに半分くらいまで腰を沈めたところで、それ以上進めない。
 
「無理です、私……」
「おかしなことを言う。……いつも君を喜ばせているものだろう?」
 
 吉羅さんの手が、ゆっくりと腰を撫で、くびれを辿る。そして2つのふくらみを柔らかく持ち上げた。それに釣られるようにして私の中が吉羅さんを受け入れていく。もうこれ以上は入らない、と思ったところで、更に吉羅さんは腰を突き上げた。
 
「や、深い……っ」
「入った、な」
「……ここまで来てるの。深いの」
 
 苦しいくらいに息ができない。私が身体の真ん中のくぼみを指さすと、吉羅さんはふっと眼を細めた。
 
「……すごく、いい」
 
 どんなときも自分の気持ちよさを一番最後にする吉羅さんの赤らんだ顔に見惚れる。
 ──── どうしよう、苦しいのに、すごく嬉しい。もっと吉羅さんに気持ちよくなってもらいたい。
私は吉羅さんの動きに誘われるようにして少しずつ腰を揺らした。吉羅さんは荒々しく2つの胸を握りしめている。
 私は左胸の愛撫に、この前気づいたことを口にする。
 
「あ、あのね、吉羅さん、こっちが」
「うん?」
「こっちの胸ばっかりが、大きくなって……」
 
 吉羅さんは一瞬、お医者さんのような真剣な目つきで左右を見比べると、再び左側の胸を執拗に力を加えた。白い胸の上には、もう数え切れないほどの指の痕が付いている。
 
「……自分が造った身体だと思うと、余計に愛しくなる」
「吉羅さん、それじゃ、もっと大きく……」
「君は全部私のものだ。胸だけじゃない、今、私を受け入れているところも。声も、髪も、笑顔も。全部だ」
 
 吉羅さんは私の足の付け根を掴むとこれ以上なく脚を広げさせた。最奥だと思っていた場所のさらに奥に吉羅さんの先端がぶつかる。さっきまで指で愛撫されていた突起が、今度は2人の身体の間で擦られる。自分で自分の身体が支えられない。なすすべもなく上半身が倒れ込んだ。快感から逃げようとする下半身は大きな手に固定されて逃げ場がない。
 
「もう、ダメです。私……、私……っ」
 
 自分の声ではないような甲高い声がする。最後にずんと身体の奥が痺れたあとはなにもわからなくなった。
 
 
 
 
「大丈夫か?」
 
 気付け薬のような口づけが顔中に落とされる。
 
(……ヴィオレッタは幸せだったのかな?)
 
 ヴィオレッタのように自分が亡くなるときなんてまだ考えたくない。
 だけど、もし私が亡くなるとき、こんな風に吉羅さんが死に向かう恐怖をなだめてくれるのなら 立ち向かうことも怖くないかな、なんてぼんやり思う。
 
「……もしもね、私が……」
 
 『死』なんて口にするのも禍々しい気がして言葉に詰まる。だけど考えてしまう。 ヴィオレッタとアルフレードのように、死が二人を分かつまで、私のそばにもずっと吉羅さんがいてくれたら、いい。
 ううん、違う。大げさすぎる。年も離れすぎていて、吉羅さんは珍しさから こんな風に私に接してくれているだけかもしれなくて。 これから先を願う気持ち。さっき観た『椿姫』。身体中に残る吉羅さんの唇。いろんな気持ちが溢れてて、今、私はきっと興奮してる。
 
「やれやれ。……なにかしらせわしなく思いを巡らせている様子が興味深いな」
「うう、興味深い、なんですね……」
 
 興味深いって言葉に情けなくなる。もう少し、色っぽいとか、ほうっておけない、とか、 吉羅さんが目を奪われるくらいの大人の女の人ならよかったのに。
 
「以前言ったことがあったのだが」
「はい……」
「ああ、君はもうそのとき、意識はなかったのか」
 
 吉羅さんの納得顔がわからなくて、私は続きを待つように彼の口元を見つめた。吉羅さんはとっておきの内緒話をするかのように耳元に唇を寄せる。
 
 
「──── 君は私の最後の恋のお相手というわけだ。どうか今後ともよろしくお願いするよ」  
 
 
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