*...*...* Embrace 1 *...*...*
昼休みが始まるベルが のどかに鳴り響く。隣りの席の香穂さんは、教師が置き土産のように出していった問題がまだ解けないみたいだ。
難しそうな顔をして、ノートの文字と格闘している。
「香穂さん。僕、先にカフェテリアに行って、場所を確保してくるよ」
「あ、うん。ごめんね。急いで終わらせちゃうね。……あれ? 加地くんは? もう問題、解けたの?」
「ふふ。それはどうかな。授業以外に大切なモノって、この世の中にたくさんあるからね。
それより、今日の僕のお弁当、期待してて? 香穂さんの口に合うようにって張り切ってきたから」
まだそれほど長い時を生きてきたってワケじゃないけど。
小学生のときから高校生になる今まで、学校の授業が僕の人生に役立ったことは皆無といってもいいくらいだ。
むしろ、今僕が手にしている知識は、たくさんの書物と、そして父からの教えがすべてだ、とも思う。
僕は2人分の弁当を片手に、一気にカフェテリアに向かう。
手にしている重みは、確実に僕に香穂さんの笑顔を連れてきてくれるはず。
そう思うと、自然に僕の脚は早足になった。
「ふふっ。空いてる、空いてる」
広々としたカフェテリアの中にも、人気のあるスポット、というのが存在する。
それほど人が行き交う場所ではなく、それでいて景色の良い場所。
僕はその席に荷物を置くと、急いで飲み物を用意する。
そうだ。今度は香穂さんの好きなオカイティのセカンドフラッシュをアイスティにして、家から持ってくるのもいいのかもしれない。
「加地くん! ごめんね。遅くなっちゃった」
「あ、香穂さん。ゆっくりでよかったのに」
「私、なにか手伝えること、ある?」
教室から一気に走ってきたのだろう。
顔の回りを包んでいる髪が元気良く跳ねている。
僕は一瞬、香穂さんの髪を直そうと伸ばした手を、元に戻した。
これ以上赤い顔をさせるのも可哀相……かな、なんてね。
「いつもありがとう……。こんなにたくさん?」
僕にいざなわれるままに椅子に座った香穂さんは、僕の広げるお弁当に目を丸くしている。
でもすぐに、これだけのモノを作るために費やした時間が気になったのだろう。
申し訳なさそうに、僕の方を仰ぎ見た。
「あの、加地くん……。あまり無理しないでね。加地くんもいろいろ忙しいでしょう?」
「ううん? 全然。優先順位の違いじゃない?」
「優先順位?」
僕はお弁当の中身を広げると、香穂さんにフォークを渡しながら説明する。
今の僕の位置づけは、香穂さんの音楽を支えること。
香穂さんが楽しい気持ちで過ごせるように、ということ。
それができるのは、彼氏である僕が負うところも多いと思うんだ。
だから、頑張らないとね。
炭火焼きの鳥のつくね。ポテトサラダ。パプリカのマリネと、八朔のゼリーよせ。
おにぎりもあまり大きくないサイズのモノをカラフルに用意した。
炒り卵、鮭のフレーク、それに青じそ。6つのおにぎりは今朝僕が弁当箱に入れたとおりに、ちょこんと鎮座している。
鳥のつくねは母さんに大好評で、週末また作る約束をしてしまった。
「加地くん、この つくね、すごく美味しい!!」
「よかった。僕の自信作なんだ」
親孝行と彼女孝行。この2つが同時にできる行為、って料理以外にあるのかな。
また午後の授業中に考えてみようか。
*...*...*
この日の帰り、僕は新しく見つけたデートスポットがあるからと言って、香穂さんをシティホテルに誘った。別に嘘を言ったつもりはない。
最新設備の揃ったそのホテルは、カラオケもジャグジーもある。
それに、一流ホテルから引き抜かれたシェフの、本格的なフランス料理がルームサービスできるっていうし。
少し前まで、香穂さんと外で会うことが楽しいと思っていた僕なのに。
今では人目を避けて、2人きりになれる場所を探してるんだから、可笑しいと言えば可笑しいかもしれない、か。
「え? あの……、ホテル?」
「そう。素敵なところでしょう? 1度香穂さんと一緒に来てみたい、って思ってたんだ」
この手のことになかなか慣れてくれない香穂さんは、一瞬戸惑ったように脚を止める。
こういう彼女の律儀なところを、僕は好ましく思っているから、余計 たちが悪い。
ドアを閉めるやいなや香穂さんを抱きかかえる僕に、ヴァイオリンケースを間に必死に抗い続ける。
「加地くん、私、シャワー、浴びたい……」
「ダメ。そんなことしたら、香穂さんの香りが消えてしまうでしょう? そうだ、今日は僕のわがまま、聞いてくれる?」
「わがまま? なあに?」
「ちょっと待ってて」
僕はバスルームに入ると2本のタオルを手に、再び香穂さんのいるところに戻った。
香穂さんはヴァイオリンケースをソファの端にそっと置くと、不安そうに部屋のあちこちに目を遣って、
奧の大きなベッドに気づくと、ぽっと顔を赤らめている。
女の子の初々しいところ、って男の僕にはすごく新鮮だ。
もう何度も僕たちはこういうことを繰り返してきたというのに、香穂さんはそのたびごとに感じ方も乱れ方も違う気がする。
女の子っていうのは、男よりもずっと繊細で。
たとえば、温度、とか、シチュエーションとか。
もっと言えば、僕自身への気持ちの大きさによって乱れ方も変わってくるのかもしれない。
「ごめんね、香穂さん。今日はこうさせて?」
「はい?」
僕は香穂さんを奧のベッドに誘うと、そっと身体を横たわらせた。
そして、香穂さんの2つの手それぞれにタオルを巻き付けると、その端をヘッドレストの端に括り付ける。
最初は俺が何をしているかわからなかったのだろう。
バンザイをした格好になった香穂さんは、自分が固定されたことを知ると、目を見開いた。
「やめて。加地くん。こわいこと、しないで」
「大丈夫。今日はいつもよりずっと良くしてあげる」
「加地くん……」
そう。初めて香穂さんとそういうことに及んだとき。
香穂さんは、僕の背中をひっかくことはせず、自分の痛みを黙って自分の掌の中に押さえ込んだ。
そのときについたキズは、生命線の上にくっきり残って、しばらくの間、僕をやりきれない思いにさせたから。
だから、香穂さんが我を忘れるような時、僕は必ず香穂さんの手を握っていた。
だけど。
こういうとき男の2本の手が固定されているって、ある意味女の子の快感を引き出しきれないような気もしていた。
香穂さんが大きく身体を震わすとき、僕の手は香穂さんの手を握るだけじゃない。
つんと上向いた白い胸を包み込むのにも、豊かに丸みを帯びたヒップを持ち上げるのにも、役に立つんじゃないかな、って思ったんだ。
だけど、快感を求めすぎて、香穂さんの手が傷つくのは僕にとっては不本意なことで。
だったら、今日は香穂さんの手に我慢してもらおう。そう思った。
僕が服を脱いでいる間、香穂さんは懇願するような声を何度もあげた。
「加地くん……。加地くん。ね。お願い、解いて」
「そんな声を出されると、本当にいけないことをしている気になるよね。……いつもよりずっと儚げで可愛らしいよ。香穂さん」
僕は香穂さんの脚の間に滑り込むと、タイを外し、ホックを取った。
手を縛っていることで、完全に制服を脱がせることはできないけれど。
乱れた制服の影から見える香穂さんの肌は、いつもにまして白い光沢に満ちていた。
反抗を封じるかのように何度も繰り返しキスをする。
最近知った香穂さんの弱点の、耳の後ろも愛撫を繰り返す。
無防備になっている脇の下にホクロを見つけて、また僕は有頂天になる。
「ねえ、どうしてこんなことするの?」
「僕はね。君の手を傷つけることは何があってもいやなんだよ」
荒い息の下、僕は簡潔に説明をする。
香穂さんのクセ。僕の行動。そして、今日これから生まれるかもしれない快感について。
「だからね。今日は香穂さんも素直になってね」
「いや、こんなの……」
「いいよ。香穂さんが自然に言えるようになるように、僕も頑張るから」
両手を上にあげた状態の香穂さんは、とても無防備で、日頃なら恥ずかしがって隠している脇のラインや、胸の形を美しく見せている。
肌の薄い香穂さんに急な刺激は酷だろうと、触れるか触れないか程度の愛撫を繰り返していると、ようやく香穂さんの反抗が止んだ。
「ねえ、香穂さん。素直に気持ちいい、って言えたら、僕がもっともっとよくしてあげる。ねえ、言える?」
濡れそぼった彼女の中に入り込むと、僕は耳元に意地悪な言葉を注ぎ込む。
香穂さんの頬は羞恥に満ちて熱くなる。
だけど、こういうこと、本当は香穂さんも嫌いじゃない、って、重なり合っている部分の収縮が僕に伝えてくる。
だからかな。
2人の間に少しだけ理性が戻ったとき、泣きそうな顔をした香穂さんにあれこれ責められるけど、僕は重要な問題とは捉えていなかった。
僕の動きに合わせて、香穂さんの胸もふるふると揺れている。
僕は両手でそれをすくい上げると、頂きを2本の指で挟んだ。
中を抉るように揺すっていた腰を止めると、香穂さんはすがるような目で僕を見上げた。
「加地くん……。もう、私……っ」
何度もイヤイヤをするように首を振っていた香穂さんの表情が緩み出した。
さらに奧に届くようにと、僕は彼女の腰を持ち上げ、彼女が激しく反応するところめがけて腰を進める。
「蕩けそうな顔してる。ねえ、香穂さん。他の男にそんな顔見せてはダメだよ?」
「あ……っ」
「ねえ、約束できる? 僕以外の男とこういうことしない、って」
「ダメ、私……」
「なあに? 言ってくれないとわからないなあ」
頂点に達しそうな快感を続けて欲しくて、僕はふたたび弧を書くように腰を揺すった。
重なり合ったところからは、甘い香りと、淫靡な音が広がっている。
「お願い。もう、私……っ」
加速が止められないんだろう。香穂さんの手は行き場を無くしたカモメみたいに空を切る。
それがふと可哀想になって、僕は縛っていたタオルを解いた。
すると、香穂さんの手はいつものようにすっぽりと僕の掌の中に入ってくる。
「君は強情だなあ。大事なことはなかなか口では言ってくれないんだから」
「加地くん……」
「惚れた弱みだよね。君のそんなところも愛しいって、思ってしまう。──── いいよ。気持ちよくなって?」
口では意地悪を言い続けながら、僕は香穂さんの気持ちを疑ったことはなかった。
言葉よりも香穂さんの身体は雄弁に僕に感じていることを伝えてきてくれたし、
なによりも香穂さんの素直な性格に、ウソはないと信じていたから。
ときどき僕が噛みしめる苦みのような切なさは、ただの僕の独り相撲。
自尊心の低さが、たまに僕と香穂さんの未来を不安にさせるだけなんだ。
自分が溶けるように、香穂さんを溶かしてみたい。
子どもができてもいい、ともっと開き直れるくらい僕たちが大人だったら、
生身の僕自身そのままを香穂さんに押しつけることもできるのに、って思う。
たった1枚の薄い膜。そんなものに隔てられている自分自身が滑稽だ。
「ごめん。私、もう、眠くて……」
「ふふっ。夜遅くまで練習頑張ってるんでしょう?」
「それもある、けど……。加地くんが強すぎるの」
「ゆっくり眠っていいよ。香穂さんの門限に間に合うように起こしてあげるから」
何度も上り詰めたあと。弛緩した身体を持てあますかのように、彼女はぐったりとベッドに横たわっている。
必死に落ちてくるまぶたと格闘している香穂さんに、僕は飽きずに話しかけた。
抱き合う前よりもしなやかになった髪。
うっすらと汗をかいている額は、僕の指先の動くとおりに産毛の向きを変えていく。
そんなことが楽しくて、僕は香穂さんのあらゆる部位に触れては楽しんでいる。
窓の外はさっきまでの夕焼けが影を潜めて、地鳴りのような雷の音を響かせている。
「ねえ香穂さん。こういう雨のことをなんて言うか知ってる?」
「ん……。夕立」
香穂さんは気だるいのか目を閉じたまま唇を動かした。
薄付きのリップの跡はどこにもなく、香穂さんそのものの色に僕は改めて見入った。
「夕立も正しいけれど。『遣らずの雨』っていうんだ。愛しい人を引き留める雨。こういうときに降る雨って、好ましいよね」
夢と現実の狭間でたゆたっている香穂さんからの返事はない。
女の子の身体が初めて、ってワケじゃないのに。
香穂さんと僕は肌が合う。
自分の渇きを潤そうとして、香穂さんを求めて。
求めた直後ぐらい、少しでも満足すればいいのに。
香穂さんを得ることで、僕はさらに自分の中の空洞に気づくんだ。
すっかり貪欲になった僕の身体は、香穂さんを壊れかけた人形のように何度も抱いて高みに登る。
──── このときの僕は、こうすることも僕が香穂さんにできる愛情表現だ、と信じていた。