*...*...* Embrace 4 *...*...*
聞こえないはずの音が耳につく。軽やかな旋律の先には、愛しそうにヴァイオリンを肩にした桐也がいる。
……意外だな。これが今の桐也が作る音楽の世界か。
そう。中学の頃を知っている私からすれば、桐也は、学院に入ってから、優しい音を奏でるようになった。
成長著しい彼らからしてみれば、良くも悪くも簡単に周囲から影響を受ける。
その理由を私は今まで、星奏の薫風を受けたからだと1人勝手に解釈をしていたが。
今の様子を見ていてわかった。
桐也の変化は香穂子の影響に負うところが大きい、といったところだろうか。
── まあ、面白くもあり、面白くもなし、だな。
桐也の考え方や行動は、良くも悪くもアメリカ式だ。
私を見上げたまっすぐな目つきも。香穂子のグラスに遠慮無く手を伸ばす様子も。
もし桐也が香穂子に本気で惹かれたのなら。
彼は香穂子が私と付き合っているという事実などまったく意に介すことなく、私から香穂子を奪っていくに違いない。
「今日はすまなかった。だが、君のおかげで助かった、と言っておこうか」
「ううん? 私こそごめんなさい。突然レコードのお話をしたから、あの……」
私は部屋の隅にある飾り棚へ近寄った。
そしてこれもボトルの形が気に入ったという理由だけで置きっぱなしになっているウィスキーのボトルを取り出すと、
目の前にあったグラスに注ぎ込む。
そして、立て続けに3杯飲み干した。
火の玉のような熱い固まりはいったんのどの奥をすり抜け、やがてさらに熱さを増して込み上げてくる。
なぜ私はこんなに苛ついているのか。
『香穂子は関係ないだろ?』
そう告げた、桐也への忌ま忌ましさからか。彼の指摘が真実だからか。
いや、それを叱りつけた自分に対する嫌悪か。
それとも。
どれだけ時間が過ぎようとも、立ち直ることのない母への苛立ちか。
虚勢を張って、自分の良いところだけを見せていた香穂子に対して、みっともないところを見せたという、ちょっとした劣等感か。
いや、今私の中にあるのは、母に対する苛立ちを感じる、自分への嫌悪だ。
頭を抱えている間に、何度かドアの開閉の音がした。
香穂子は廊下の隅で着替えたのだろう。
きちんとたたんだTシャツを手に戻ってくる。
そして言い辛そうに、右手首に巻いてある腕時計を指さしながら、小さな口を開けた。
「あの……。ごめんなさい。私、今日、家には『遅くなる』って言ってあるだけなんですね。
だから、あの、これ以上遅くなるのは」
「あいにくだが、私はアルコールを口にしたから、もう君を送っていくことはできないな。
飲酒運転で失うものの大きさを考えると今更無茶もできまい」
「え? あ……」
「君に選択肢を与えよう。君1人でタクシーで帰る。このままこの家で泊まる。どうするかね」
「え、え?」
「君がいると母は嬉しそうにも見えるが」
自分の声ではないような、軽薄な言葉がするすると出てくる。
私は甘えているのだろうか? この年端もいかない彼女に。
もし、香穂子が、タクシーで帰ると告げたなら、私は、素直に彼女を帰すつもりなど、ないくせに。
つまり最初から、彼女に選択肢など与えてないのと同じことだというのに。
いつもと様子が違うことを察したのだろう。
香穂子は不安そうに私の顔を見守っていたが、やがてふわりと微笑むと私の隣りに腰掛けた。
「……わかりました」
「香穂子?」
「……吉羅さんが眠るまでそばにいます。吉羅さんが眠ったら、タクシーを呼んで帰ります」
「私が眠らなかったらどうするつもりかね?」
最近、こんな強引な酒の飲み方をしていなかったからだろうか。
4杯目を取りに行こうとして、私はくらりと床がゆがむのを感じた。
「だ、大丈夫ですか?」
そしてそのまま崩れるようにしてソファに座り込む。
姉が亡くなってから、ぬくもりなど1度も感じたことのない部屋の中に、確かな存在がある。
私を抱きかかえた手は、ゆっくりと私の髪を撫でていった。
「── 吉羅さんは、そのままでいいんです」
「香穂子」
「……いつも私にしてくれるから、今日はお返しです」
香穂子は両手を広げると、そっと私の頭を抱えこんだ。
耳元で、クーラーのファンの音が静かに響き渡っている。
*...*...*
「そのままでいい? ……君も面白いことを言う。それは、私がどんなことを言っても受け入れる覚悟がある、ということだろうか?」じっと見据えた私の目つきが怖かったのだろう。
香穂子はぴくりと身体を震わせると、一瞬息を詰めて視線を床に落とした。
「……いい、ですよ? 頑張ります」
「震えている。……私が怖いのかね?」
「あ、あの。どうしたんですか? お酒のせいですか? 吉羅さんいつもとなんだか違う……」
おびえたように身体を硬くする香穂子を追い詰めるかのように、私は腕の力を強くした。
締めつけられる感触に、香穂子は本気で恐怖を覚えたのだろう。
私の胸に2本の腕をぴんと伸ばし、いやいやを繰り返している。
沸騰するような脳天とは真逆に、私の身体の上はエアコンの冷えた風が通り抜けていく。
「君、だけだ。私がこんなことをするのは」
「吉羅さん……?」
「── だから、許してほしい」
香穂子の髪の中に潜んでいた赤らんだ耳に口づける。
私の言葉の意味を解してくれたのだろう。
香穂子の身体からひたすら抗っていた力が、ふっとかき消えた。
「いい子だ」
強引に香穂子の唇に自分のそれを押し当てながら、ブラウスの上、香穂子の身体のラインを確かめるように触れる。
ふくらみやへこみ。柔らかさやぬくもりが私の手にそのまま伝わってくる。
アルコールに弱いのか、香穂子は私の口内に残る香りに眉をひそめていたが、舌を絡ませるたび、徐々に柔軟になっていった。
(この子は、生きている)
私は、香穂子の左胸の下に手を当てた。
規則正しい心音は、彼女が今、ここにいて、私に身体を預けていることを伝えてくれた。
もう、失うことは耐えられない。
いや違う。
気づいていたのに気づかないふりをして、生き急いでしまった姉のような後悔はしたくない。
香穂子の身体が温かいうちに、私の今の想いをすべて伝えよう。
「たとえ君が私を拒否しても、私は君のことを離さない」
筋張った指が、精密な機械のように香穂子のブラウスのボタンをそっと外していく。
日頃陽を浴びていない胸元は、なめらかな光沢を放って静かに私を見つめ返してきた。
「君を試してみることにしよう」
「はい? なにを……?」
「……たとえばこんな風に」
「……っ! や、いた……っ」
私の手に親しげに収まるふくらみを愛撫しながら、私は白い地図に唇を這わしていく。
元々痕がつきやすいのだろう。
私が唇を移動させるたび、香穂子の胸元には朱い花が散っていく。
「吉羅さん……」
「温かいな。君は。……知っているだろうか? 君の身体の中で1番温かい場所を」
「ん……。どこでしょう?」
「自分の身体のコンディションを把握できないとは、君も困った生徒だ」
ざらついた舌先で、すっぽりと香穂子の頂を包むと、眠ったように従順だった部位は、やがて堅い芯がもたげてきた。
「……あ、胸、かな? 今、熱いもの」
「君は、私の触れるところはすべて熱いと言う」
「だって……。あ……っ」
この春から、香穂子を何度も抱いた。
抱くたびに、新しい女の顔を見せる香穂子に、私は日々離れがたくなっているというのに。
香穂子は、自身の身体の変化に気持ちがついていかないのだろう。
乱れてしまう自分を恥ずかしく、情けなく捉えているらしい。
── 今日は壊してしまいたい。
彼女の身体も。羞恥心も。今日の記憶も。なにもかもだ。
「確かに君の身体はどこも熱いが……。私はここが1番好きだな」
「……な、なに……?」
私は乱れたスカートの下に手を伸ばす。
そして、下着の脇から直接彼女の秘部に指を差し入れた。
「温かく濡れて、いつも私を迎え入れてくれるだろう?」
突然触れられるとは考えてもいなかったのだろう。
香穂子は泣き出しそうな顔をして私の顔を見上げた。
「吉羅さん……っ」
「『頑張る』んだろう? 君は」
レコード針が苦しそうな音を立てて、Opus 1を弾き終える。
しんと静まり返った部屋の中、香穂子と私の息づかいが旋律のようにあふれ出す。
どうしてこれほど惹かれるのか。
ファータが取り持った縁。それだけの理由では今は説明がつかないほど、私はこの子に惹かれている。
「……恥ずかしいのは、止められません……っ」
「……なるほど」
必死に涙目で告げられる。その表情が却って私を欲情させる、ということを知っているのか。
「それは、恥ずかしいと思う余裕を、私が奪ってしまえばいい、ということだろうか?」
私は半身を起こすと性急に香穂子の下着を取り去り、あえかに光っている秘部を口で覆った。