*...*...* Embrace 1 *...*...*
夏の日差しがガラスを通して鋭く切り込んでくる。俺は車の中、流れていく景色を目で追っていた。
運転手の田中がフェンダー越しにちらりと俺を伺うと、太い指でエアコンの設定をいじっている。
俺と香穂子は、付き合い始めてから初めての危機を脱した、というべきなのだろうか。
一時、俺に抱かれることにぎこちない表情を浮かべていた香穂子も、ここ何回かは、以前にもまして豊かな反応を返すようになってきている。
自分の教えたことを素直に、それも恥じらいながら見せる仕草に、知らず、俺の方も夢中になる。
人肌の柔らかさ。あいつの香り。
香穂子を抱いた日は、シャワーを浴びるのがもったいない気さえしてくるのだから、重傷だ。
もうすぐ7月になろうとしている週末。
珍しく香穂子の方から誘いを受け、俺はこうして待ち合わせの駅に向かっていた。
俺が大学へ進んで、香穂子が高校に残った春。
俺の家に香穂子を呼んだことで起こった俺たちの間のしこりは、この前の旅行を経て、ようやく かさぶたに変わり始めたのだろうか。
──── 思えば、香穂子から、こうして会おう、という誘いを受けたのは初めてのことかもしれない。
まったく。今日はあいつはどんな表情を俺に見せてくれるのだろうね。
思わず笑みが浮かびそうになる頬を田中に見られるのが照れくさくて、俺はわざと大げさにため息をついた。
「お帰りは何時頃になりますでしょうか?」
田中が言葉を選ぶように、くぐもった声で聞いてくる。
「うん? なに、田中」
「いえ。失礼いたしました」
かしこまって返事をする田中に、俺は今まで感じたことのない親しみを感じる。
無口で、木訥で。
常日頃からお祖母さまは、愛想のない田中にもう少し色よい返事をするようにと小言を繰り返していた。
だが俺は、この男の寡黙なところを高く評価している。
人と人は、どれだけ言葉を尽くしても、思っていることすべては伝わらない、という諦めにも似た信念がある俺なのに、
田中といると、逆に俺が心を砕いている言葉というのは、なんと無力なものなのだろうと考えることが多い。
「いいよ。お前も分かってるんだろう? 今日の俺がいつになく浮かれてるって」
「とんでもないことでございます」
「……あいつが、ようやく、今までのあいつに戻ったからね」
「はい」
「……やっと、戻ってくれたから」
具体的なことは何も告げないものの、田中には感じるところがあったのだろう。
軽く咳払いをすると、ミラー越しに俺の顔を見つめている。
そして思いついたように長袖のカフスをめくると、時計の針を確認し、アクセルを深く踏み込んだ。
「急用を頼んで悪かったね。お前も気をつけて帰って」
「承りました」
待ち合わせの5分前、指定された場所に行くとそこにはそわそわと人の波を見送っている香穂子がいた。
『明日はね、柚木先輩の誕生日のお祝いの続きです。エスコートは任せてくださいね!』
昨晩の電話で、嬉しそうに話していたのを思い出す。
「早いな、お前」
「あ! 柚木先輩」
香穂子は俺の姿を認めると、とたんに花が開くように微笑む。
俺の私服が日頃、大人っぽいのを意識しているのだろう。香穂子は、淡い水色のワンピースを身につけている。
日頃、ベージュや白、といった色を見慣れていただけに、寒色系の色がこんなにも映えるのが意外だった。
こんなとき、こいつを喜ばせる一言が言えたらいいのに。
まるで意識をしていない相手になら、どんな言葉だって言えるのに。
今日の俺はおかしい。
──── こいつを、からかうことでしか、可愛がることができないなんて。
香穂子は俺の屈託にかまうことなく、駅の方向を指さした。満面の笑みで、手にしたメモをのぞき込んでいる。
「まずはね、柚木先輩。最初に電車に乗りまーす! ついてきてください」
「不安、だな」
「はい? 不安?」
「今日1日がお前のエスコートなんてな。いったい俺をどこに連れて行くつもり?」
「あはは。下調べ、バッチリです。デートコースは任せてください! 行き先は内緒です」
いろいろ計画をしてきたのだろう。
香穂子は弾むような足取りで2、3歩先俺の先を歩くと、一瞬躊躇したあと、俺の手を引っ張って笑った。
*...*...*
「どうでした? 今日行った美術館」「及第点、と言ったところかな」
「よかった……。ありがとう、ございます」
香穂子がデート先に選んだ場所、というのは、1ヶ月前にリニューアルオープンをしたという美術館だった。
うっそうとした暑さと雑踏が別世界のことのように思える静寂さは、さすがに品があり、俺自身も襟を正したくなるような緊張感があった。
美術館というのはどの場所でも、特別 力を入れている美術品、というものがある。
香穂子が案内してくれた美術館は、茶の道具に質の高いものがあったように思う。
展示物を熱心に見て回る人たちには心得のある人も多いのだろう。
和服を着慣れた年配の女性たちもあちこちに散在していた。
香穂子の考えたデートコースは、俺にとっても目新しい場所が多く、十分楽しめたと思う。
なによりも。
こんな風にいろいろ俺のことを考えて、計画を立ててくれたことが嬉しいのだと思えてくる。
今までは、お互いの体に触れあう、ということも、人目を気にしておおっぴらにはできなかったから。
見知っている人がいない、日常から少し離れた場所というのは、自分の思うままに振る舞えることが心地いい。
俺は黙って香穂子の手を引くと、目についたシティホテルに滑り込んだ。
「そ、そういえば、あの……。そ、そう! 火原先輩、よく、学院に来るんです。あの、オケ部の練習、指導するんだ、って言って」
「火原が?」
「はい。たった数ヶ月しか経ってないのに、私服のせいなのかな。すごく大人っぽくなったな、って思います」
「ふぅん」
「春に入学した1年生の中にもね、火原先輩のファンです、って公言してるコもいて……。
柚木先輩みたいに、ファンクラブもできそうな勢いです」
「ま、いいけどね」
香穂子は、強引な状況に動揺しているのか、いつもより饒舌に話し続ける。
──── 火原、か。音楽、か。
そういえば、忙しさにかまけて、最近は親友に会う機会もめっきり少なくなった。
俺と親友との間を繋いでいた『音楽』。
それがなくなったからと言って、即座に今までの関係が解消されるワケではないだろうけれど。
今まで考えたこともなかった思いが、胸の奥に広がっていく。
俺は、高校を卒業すると同時に音楽を辞め、家のために今は経済学を勉強している。
一方、火原と香穂子は、ともに音楽の道に進み、音楽の道を極めようとしている。
立場は確実に隔たっている。
部屋に入り込むなり黙っている俺に、香穂子はようやく気がついたかのように俺を振り返った。
「それでね、火原先輩ったら、おかしいんですよ? っと……。
あ、あれ? ごめんなさい、柚木先輩。お疲れですか? 今日いっぱい歩いたから」
俺は自分の奥に浮かんだ苦みを感じたくなくて、ソファに座っている香穂子をゆっくりと押し倒した。
「ねえ、今、お前の付き合っている男は誰? 火原? それとも俺?」
「へ? な、なに言ってるんですか……」
「どっちなの? 言える?」
香穂子は俺の下で、あっけに取られたように俺を見つめている。
「だだって。あの、私、柚木先輩の、大学のお友だちを知らないし、あの……。
やっぱり、共通の人のお話だと、いいかなあ、って思って……。
その、私のクラスメイトのお話をしても、柚木先輩がその子を知らないとつまらないかな、って」
「へぇ……」
「火原先輩だったら、柚木先輩の親友ですし、私も知ってる人だし、その」
「まあ、妬ける、っていうほど強い感情じゃないけどね。面白くない、って言ったら的確かもね」
耳元の髪をかき上げ、軽く吸い上げながら、香穂子の身体の輪郭を撫でていく。
「え……? や、やだ、くすぐったい」
「俺はこれ以上ないっていうくらい、お前のこと大事にしてるのにね。……残念だなあ。お前には伝わってない?」
以前は余裕がなくてできなかったことが、今は、何のためらいもなくできる。
香穂子は今、俺の作った網にかかっている。あとは所々に媚薬を打ち、もがいている様子を楽しみたい。
みずみずしい香穂子の身体を欲しいままにして、俺はさらにこいつが答え辛そうな問いを投げてみた。
「人間と動物の最大の違いは、『想像できるか、できないか』にあるんだって、お前、知ってる?」
「はい?」
「人間は、さまざまな状況から、現実には起き得ないであろうことも、想像することで疑似体験を経験することができるんだ。
たとえば……。お前は考えたことないの? 俺とこんな風になってから、他の男はどんな風に自分を抱くんだろう、って」
「そ、そんな……っ。考えたことなんて、ないし、わからないです」
「香穂子?」
「その……。私、柚木先輩のことだけで精一杯です」
「可愛いことを言うね。……だけど、想像してみるのは自由だと思うよ?」
俺は香穂子の乱れた服を脱がせながら、ベッドサイドの一角に置いてある椅子を指さした。
「今、俺たちはここで抱き合ってる。……こんな風にね」
俺は、胸元のボタンを外すと、片方の胸を取り出して、香穂子に見せつけるように舐め上げた。
「俺のに感じて、乱れてるお前を、火原があの椅子から見てる……。どうする?」
「や……っ」
元々素直な性格だ、ということは分かっていて。
そんな香穂子に惹かれてるということも分かってるのに。
耳に卑猥な言葉を注ぎ込むたび、香穂子は、今までとは違う反応を見せ始める。
そのまま自分の身体を押し込みたい気持ちをなだめ、俺は2本の指を秘部に入れて中を揺すった。
「こんなに濡らして。火原に見られてるって思うと気持ちいいの?」
「ん……っ」
「いつもより、ピクピク反応してるよ。……吸い付いてくる。こんなお前を見たら、火原はなんて思うかな?」
「いや、そんなこと……」
「なんて思う? って聞いてるの。……どう?」
蜜が少しずつ溢れ、シーツの上に、小さな染み作る。
俺は尖り始めた突起を、親指でふさいで回した。
だんだんと香穂子の声が上がり始める。
「……われる、きっと、私……」
「うん? なに?」
「こんな、いやらしい子、きっと、火原先輩、好きじゃない……っ」
頃合いを見計らって、俺は香穂子の脚の間に身体を滑り込ませた。
そして、ぴたりと香穂子に焦点を当てながらため息をつく。
「やれやれ、お前ってまだ男のことがよく分かってないんだねえ」
「ん……」
「たまらないよ。こんな風に素直に反応を返す女っていうのは」
みちみちと広げられる香穂子の場所は、何度来ても、狭くてキツい。
「ふふ。お前はいやらしい子なの?」
「ん……。だって、気持ちいいの、すごく」
俺に突き上げられるたび、香穂子は蕩けそうな表情を浮かべる。
かたくなに結ばれていた口元が、だんだん柔らかな線を作る。
それに反比例するかのように、俺を包んでいる部位は、ギリギリと容量を狭くしていく。
俺は香穂子を抱き上げると、向かい合わせになる。
そしてたおやかな腰をつかむと、香穂子の弱いところに合わせて、再び動きを深くしていく。
「言える? お前を、こんな風にしたのは誰?」
「も、もう、先輩、やだ、私……。先輩、意地悪、です」
「ふうん。心外だねえ。こんなに可愛がってるのにね」
俺は手を離す。そんなに強く握っていた覚えはないのに、香穂子の脇腹には赤い指の後が4本、くっきりと色づいていた。
「あ……っ。いや」
香穂子は泣き出さんばかりの顔で、俺に訴えてくる。
恥ずかしさも邪魔して、しかも自分の思い通りに動けないことも手伝って、燃え始めた火を止めることができないらしい。
「お願い、……先輩。私、このままじゃ、ダメ、私……っ」
物怨じ顔が可愛くて、俺は香穂子の髪をかき上げ、耳元を思い切り吸い上げる。
「先輩、ってどっちのことなの? 俺? 火原?」
「え?」
「お前、先輩としか言わないから、わからなくなったよ」
「ひどい……」
これ以上問い詰めたら、香穂子を本気で泣かしてしまうかもな、と思いながらも。
泣き出さんばかりな顔をして俺を求めてる顔を愛しいと思うのは、止められない。
俺は、再び香穂子を押し倒すと、再奥を思い切りついた。
「そう? ──── じゃあ、言ってごらん? 俺が欲しくてたまらない、って」