*...*...* Star 1 (Tsuchiura) *...*...*
「うわぁ……可愛い!」
臨海公園での練習のあと、私は通りかかった店の前でピタリと足を止めた。
シルクのような光沢のある白い布。その上に、いくつものアクセサリーが飾られている。
私の視線の先には、大きな月と、小さな星のモチーフのネックレスが光っている。
シルバーでできてるのかな? 繊細な銀色がウットリするほど魅力的だ。
じっと食い入るように、形と、そして値段を確認する。
うーん。今月と来月のお小遣いを足せばなんとか買える、かな?
どうしよう。そんなこと考えている間に売れ切れちゃうかな。
「ってお前、なにそんな真剣に見てるんだ?」
「わ! ごめん。つい、見とれちゃった」
土浦くんは私の後ろからひょい、と背をかがめるようにして、ウィンドウを覗き込む。
どうしよう。土浦くんって男の子だもんね。こんなアクセサリーなんて興味、ない、よね。
突然歩くのを止めたから、土浦くん、ビックリしたかも。
「あのね、最近、練習三昧で、なかなかショッピングに行けなくて。
乃亜ちゃんや須弥ちゃんの誘いも断ってばかりで。
天羽ちゃんから、情報だけせっせと仕入れるだけの状態なの」
「まあな。俺もピアノピアノで最近はサッカーもやってないぜ。こう、身体がなまっちまうよなー」
口ではお互いそんなことを言い合いながら。
だけど、私も、そして実は土浦くんも、今の音楽漬けの毎日を、とても気に入ってるのは事実だったりする。
そうじゃなかったら、今日みたいに1日中練習して、晴れやかな気分、なんてこと無いハズだもの。
今日の2人練習も、私が課題だ、と思っていたところは何とか形がついた。
見上げる土浦くんの顔もすっきりとしたすがすがしさに満ちている。
「ま、今日の練習はそこそこ進んだからなー。それでヨシとするか」
「うん! そうだよね」
私は土浦くんの言葉に深く頷く。
いい。今、頑張って。それで、クリスマスの第4コンサートが無事終わって。
それで、星奏の普通科と音楽科が、今まで通りの生活ができれば。
そしてちょっとだけ、あの、イジワルばかり言ってる吉羅理事長が、『ふん』って思ってくれれば!
で、でも、ちょっと待って。
30歳を過ぎた大人の男の人が『ふん』なんて言ったり、思ったり、するのかな?
ウチのお兄ちゃんならそれもアリかもしれないけれど、あの、コワモテの吉羅理事長に限って、絶対そんなことはない、か。
「……と、悪い。俺、ちょっとヤボ用を思い出した」
「え? は、はい!?」
隣りを歩いていた土浦くんがふと、なにか考え込むようにして急に立ち止まる。
足の長さが違うから、というのもあるし、元々土浦くんはいつも私の半歩先を歩いてるのもあるけど、
それが急に動きを止めたものだから、私の意志に関係なく、私の鼻は思い切り土浦くんの背中にぶつかった。
「ったく、お前、ニブすぎ。そんなんじゃ、低い鼻がますます低くなるぜ?」
「ひ、ひどい……。ただでさえ、北風で赤くなっているのに」
「お前、コンサートが終わったら、ヴァイオリニストから、トナカイに路線変更するか?
確か、歌があっただろ? 『♪真っ赤なおハナのトナカイさんは〜 いつもみんなの人気者』ってさ」
「土浦くん! 私、トナカイさんにはならないし、それに歌詞も違うよ?」
「は?」
「『♪いつもみんなの笑い者』、だよ? うう、それにしても笑われるのはイヤだな……」
「悪い悪い。すぐ行ってくるからさ。お前はそこのベンチで座って待っててくれ」
土浦くんはヤケにウキウキとした様子でベンチを指差すと、あっという間に雑踏に消えた。
*...*...*
「うーん……。土浦くん、遅いな」秋の夕暮れはあっというまに周囲の景色を変えていく。
ぼんやり待っていても、と、私の膝の上には、今日演奏したヴァイオリン譜が広げられている。
『アメリカ』
加地くんの大好きな弦楽四重奏。
先週、なんとか形になってきた、と思っていた矢先、志水くんが加地くんに言った一言で、練習はそれきりになっている曲。
『加地先輩には真剣さが足りません』
『ごめんね。僕はこれでも精一杯やっているつもりだよ』
『いえ。結果がまだ追いついてきていません。それはすなわち練習が足りないということです』
月森くんは2人のやりとりに一切口を挟まなかった。
その態度は、なによりも雄弁に自分の立場が志水くんと同じであることを示していた。
元々私が誘ったアンサンブルだもの。
私がもっと、2人の仲裁をしなきゃいけなかった、って思うのに。さ
私がやったことといえば、オロオロと2人の顔色を見守る、ということだけだった。
あのとき、ガックリと肩を落として足早に森の広場を歩いていった加地くんが、まだ目に焼き付いてる。
明日には、加地くんに話しかけてみよう。志水くんにも。
まず2人の話を聞いて。それからできることを考えてみよう。
そう思っていたけれど。
この小さな事件を土浦くんは月森くんから聞いたんだろう。
今日の土浦くんは『アメリカ』のピアノ譜を手に練習に来てくれた。
『加地ってヤツは、音楽以外のことについてはあんなに自信満々なのに、
どうして音楽のこととなると、あんなに後ろ向きなんだ? と思わないでもないが……。
やればできるヤツなんだ。今のウチに、お前も練習しておこうぜ?』
『土浦くん……』
『メンバーは、月森に志水。それにお前と加地なんだろ?
仲裁もいいけどさ、加地が一気に弾けるようになったら、次に志水と月森の注意を受けるのは香穂、お前だぜ?』
『う……。ごもっとも、です』
そんな感じで進んだ今日の練習。
土浦くんのフォローのおかげで、先週よりもぐっと表現力が付いたような気がする。
ただ、正確なリズムを刻みたい月森くんや志水くんと一緒に弾くときには、もう少しだけ感情を控えめにした方がいいかもしれない。
それくらい、土浦くんの音は、豊かな感情に満ちている。
「ねえ、彼女。どしたの? さっきから見てるけど、ずっと待ちぼうけじゃん?」
「え?」
ふいに膝の上に影が差す。
急に雲が夕陽のジャマをしたのかな、とのんきなことを思いながら顔を上げると、
そこには見たこともない男の人が、皮肉そうな笑みを浮かべて立っていた。
「さっきから可愛いな、って思って見てたんだ。その、ベンチに置いてあるのってなあに? ヴァイオリン?」
「え、っと……っ」
「なんか、すごいね。お嬢さまって感じ? ねえ、1度君のヴァイオリンを聴かせてよ」
男の人は否応なしに隣りに腰掛けてくる。
そろりと膝に伸ばされた手が、気持ち悪い。
ヴァイオリンを始めてから、私の服の好みは少しだけ変わった。
肩の幅に脚を広げること。それに、ヴァイオリンを構えていることで、両手がふさがること。
この2つから、最近は短い丈のパンツを着ることが増えた、けど……。
そろそろと動く手が気持ち悪い。
「ね、君の肌ってすっごく手触りいいね」
「止めてください。その、触らないで……」
「そうだ。このまま、2人きりになれるとこ、行かない?
あ、ヴァイオリンを聴かせてくれるってことなら、個室がいいかな? カラオケとか!」
男の人の手がそろそろと上の方に這ってくる。……怖い。
大きな、ごつごつした手。ピアノも、そしてヴァイオリンも触れたことがないだろう、野放図な手。
払いのけようとしたら、簡単に手を捉えられそうな気がする。
手だけは、傷つけられたくない。ヘンな風に手首を握られるのもイヤだ。
……どうしたら、いいの?
その時、荒い息とともに、押し殺すような声が聞こえた。
「お前な、人の連れになにやってるんだよ」