「……ただいま」
背中を伝う優しい手つきに、私は、空港を歩いている間は、全然感じなかった柚木先輩の香りを感じる。
至近距離で見つめ合うのが恥ずかしくて額を目の前の胸に当てていたら、からかうようにあごを持ち上げられた。
*...*...* Corda 15 *...*...*
「よくできました。合格、かな」柚木先輩は私の笑い顔を確かめると、ほっと安心したように小さく息をついて、首を傾けた。
「あ……っ」
3ヶ月ぶりに唇を合わせる。
求められるたびに、自分の中の羞恥心が1枚ずつ、取り除かれて、私は、ただただ柚木先輩を求めた。
どれだけすれば、私の気持ちが伝わるのだろう。
違う。どれだけすれば、私たちが会えなかった時間は埋まって、彼の中にある、泣いてる私を消すことができるんだろう。
しょっちゅうしていれば、2人の唇の温度が同じになる頃、私の唇は、だんだん柚木先輩の形に添って、柔軟になって。
もっと何度も欲しくなるのに。
久しぶりのキスは、ぎこちなさと堅さだけを相手に伝えてしまう気がする。
弾んだ息を抑えながら、私は下を向いた。
「ごめんなさい……」
「なに?」
「なんだか私、下手になったみたい」
「……初々しくて、俺は好きだけど」
「あ、ありがとう……。で、でも!」
「おいで。……溶かしてやるから」
柚木先輩は、男で。そして、私は、女で。
そんな当たり前すぎることを、頭の中で考え続ける。
こんなに綺麗な男の人なのに。
私を見つめる目は、男の人、というより、雄のような凄みがあった。
── 怖い……。
柚木先輩が求めているものがなんなのかは理解しているのに。
脚がなにかに縛られたように動かない。
しばらく、ソウイウコト、をしていない私の身体は、ちゃんと大好きな人を受け入れることができるのかな。
「さっきは似合ってないって言ったけど……」
「はい?」
「すごく似合ってるぜ。その京紅」
「ん……」
「── 一瞬、焦った」
数ヶ月ぶりに感じる彼の香りの中、深く息を吸い込む。
固く引き締まった肌。こすれ合うたびに、お互いがお互いに寄り添うように形を変える。
柚木先輩は深くなった口づけを一旦止めると、肩にかかっている火原先輩のコートに触れた。
「なにお前、脱がせて欲しいの?」
「え? なに言ってるんですか……」
「いつもは、コート類は部屋に入るときに脱いでいるだろう?」
柚木先輩の本当の性格はかなりのいじめっ子だ、って分かってたのに。
優しさに紛れて、最近ではすっかり鳴りをひそめてる、って思ってたけど、どうやらそれは違うみたい。
ううん。帰国した気楽さからか、いつもより意地悪度が増してる!
「いいよ。脱がせてあげる。全部」
「あ、あの……。灯りが」
「駄目だな。一度手を離したら、また、お前、戻ってこなくなりそうだから」
意地悪な口とうらはらに、柚木先輩の指は、優しく丁寧に服のボタンを確かめて、外していく。
その景色は、私を昔の記憶に連れて行く。……確か。
『楽器は大切に扱えよ、日野』
そう言いながら、見せてくれたフルート。ああ、あのフルートを扱うときの指と似てるんだ。
「ちゃんと、できるんでしょうか? 私……」
ばんざい、をするような格好で、キャミソールが脱がされる。
ぱさり、と、乱れた髪は音を立てて肩に落ちていった。
柚木先輩は、優しく私をベッドに横たわらせると、ネクタイの結び目に指をかけている。
「不安?」
「はい……」
さっきのキスだって、最初はなんだかすごくぎこちなかった。
柚木先輩がリードしてくれなかったら、ずっとドキドキしたままだったかもしれない。
── 怖くてたまらない。
今の私は、半年前、ロンドンで抱き合った2人に戻れるのかな。
「あ……っ」
そろりと下着の中に指が忍び込む。
内に 大切にしまい込まれていた頂きはあっけなく取り出されると、柔らかな舌で包まれた。
「知ってた? お前のここ、すごく甘い味がするの」
「し、知らない。そんなこと……」
「── 半年前と変わってないよ。……甘い」
柔らかい水音とともに、吐息がこぼれる。
じわり、と脚の間に熱が生まれたのがわかった。
自分が溢れさせたものなのに、量の多さにあわてる。
「ダメ、私……。おかしい」
少しずつ、私を驚かさないように進む唇は、今まで柚木先輩と抱かれた日々をめまぐるしく思い出させた。
いつも、優しかった。
『お前を見ている方が楽しいし、嬉しい』
そんな意地悪なことを言っては、私のことばかり優先させて。
今も、そう。
「これだけ濡れていれば、大丈夫だ。香穂子」
柚木先輩は、入り口に指を這わすと、仕上げをするかのように私の下腹部に口付けた。
「はい……。来て? 柚木先輩」
優しく、深い挿入は、とてつもない快感と切なさを生む。
突き上げられた身体から、蜜と一緒に涙が溢れていく。……止められない。
「……どうして泣くの?」
「会いたかった」
「香穂子?」
「会いたかったの。他の人じゃ、埋まらない。柚木先輩がいい」
17才までこの人を知らないでいたことがウソのように、今は、自分の半身が、物の見方が、柚木先輩になっている。
零れた涙が、柚木先輩の肩口を濡らしていく。
濡れた肌が冷たそうで、私は、その部位に口付けた。
彼が、どうか、どんなときも、寒くありませんように。
もう、これは、『絶対』だもん。
── 2度と、彼が、寂しい、という感情を、抱きませんように。
彼は私の最奥に落ち着くと、やれやれといった風に、ため息をついた。
「……困った子だね」
「はい……?」
「お前、自分だけがそうだった、って思ってるの?」
私が首を傾げていると、優しく歪められた唇は、頬を柔らかく撫でていった。
「── 俺も同じ。……お前が欲しくて仕方なかったよ」
*...*...*
「桜が降ったみたいだな」「え? ……あ、やだ……」
私の身体を見て、柚木先輩は満足そうに、つつ、っと私の胸を持ち上げた。
見下ろすと、ほの白い肌の上、桜の花びらのような唇の跡が、あちこちに散らばっている。
「これ……。あ、もしかして、あの、京紅……?」
おそるおそる自分の唇を手の甲で撫でる。
そこには、あんなにべっとりと付けた紅は跡形もない。
今度は、ちらりと横目で柚木先輩の唇を見つめる。……そこにも、紅はひとかけらも残っていなかった。
ってことは……。
2つの事実は、紅はすべて、柚木先輩の唇に移って、私の身体に移っていったことを伝えてくる。
「み、見ないでください!」
私はシーツを身体に巻き付けると、そのままバスルームに飛び込んだ。
鏡の中の自分をしげしげと観察する。
頬にはもちろん、首筋、胸の頂き。脇腹。下腹部。
二の腕や足の親指の先にまで、朱い跡が付いている。
「もしかして……」
髪の毛を片方の肩に垂らして、鏡に背中を映した。
「やっぱり、ついてる……っ」
それらはさっきまでのとても恥ずかしい行為を思い出させるには十分だった。
夢中になっているときの記憶は、途切れ途切れでも。
張り詰めて、弾けて、弛緩したころには、理性も少しだけ戻ってくる。
これって、どうしたら取れるんだろう? 普通にお風呂に入ったら、取れる?
それとも、お化粧を落とすときと一緒で、クレンジングクリームをつけたら取れるかな?
「柚木先輩……っ!」
……だけど。
心の奥に、溢れてくる想いがある。
── 柚木先輩、帰ってきたんだ。もう、近くにいてくれるんだ。
あの顔を見つめて。声を聞いて。手を伸ばせば、ぬくもりを感じる肌がある。
── もう、離れたくない。
滑らかな音を立ててドアが開く。
隙間から滑り込んできた最愛の人は、ほっと笑い顔になると、背中越しに私のうなじに顔をうずめた。
「可愛いよ。……とても」