*...*...* timeless(後) *...*...*
 なんだか、なんでも珪くんの思うとおりに流れていく自分が、ちょっとクヤしい、かな?
 もう帰るね、って言ってるわたしの腕時計を簡単に外して。

『時計なんか見るなよ』

 なんて。

 きっと、ね、珪くんの吐息がいけなかったんだと思う。
 珪くん、わたしが弱いこと、知ってて……やってる。
 …あんな些細なことで、身体のビスが外れちゃったみたい。

「確信犯、でしょ?」

 わざと怒った表情を作って珪くんをにらみつけたけど、涙目だったからか全然効果がなくて。

「さあな」

 って、皮肉っぽく笑って返された。
 でも、今日は、ま、負けないからっ。

「わ、わたし、家に帰って、勉強しなきゃ…!!」
「もう充分やっただろ?」
「ダメ……もう、少し……」


 珪くんは、なおを言い募ろうとするわたしの口をきれいな指で押さえて。
 もう片方の利き手の指は、ポイントをつきながらわたしの身体を伝っていく。

「んっ……」

 買ったばかりのブルーのキャミソールも器用にボタンを外されて。


 ……どうしよう?
 珪くんのそばにいたいけど、本当に、今日は……。

 でも、このままこんな風に触れられていたら、今度はわたしのほうがおかしくなる。
 もっと、…って、口走ってしまう、よ。


「あの、ね…!」

 珪くん、と言いかけたそのとき。

 珪くんは、自在に形を変えるわたしの白い胸に触れながら、覆い被さるようにして言った。

「俺、……バカ、みたいだな」
「え…?」
「初めて抱いてから、1年以上もたつのに。もう、数え切れないほど、抱いたのに……」

 …そう、だね。
 ……抱かれてから何年、って考えたことはなかったけど。

 わたしは入学式の時、教会で再会してからの時間をいつも考えているから。


 奇跡のような偶然に感謝して。
 いつも隣りにいてくれる珪くんに感謝して。
 ……日々募る、好き、って気持ちに戸惑いながら。


 ヘンだよね?

 恋をして。
 片思いから、両思いになって。
 それでもなお、募る想い。


 ―― 好き。



 こういう感情は、時間を重ねるごとに、増えて大きくなっていくんだ、って、最近やっと わかったような気がするんだ。


 わたしの胸をいとおしそうにもみしだきながら、珪くんはわたしの顔を覗き込んでつぶやいた。

「……どれだけ抱いても、きりがないんだ」
「珪くん……」
「コレしか知らないみたいに、いつも求めてしまう。おまえを」
「…………」


 そんな目で、見ないで。
 わたし、…必死で辛抱しているのに。

 ほどけてくる表情。力が入らない身体。


 ……わたしも、なの。

 珪くんの指や唇に、慣れて、乱れて、……期待しちゃう、自分がいるの。
 けど、…今日は。
 帰りたくない、けど、…帰って、勉強しなきゃ。


「でも、……もうしない」



 珪くんは、わたしの額に優しくキスをすると、すっと身体を抱き起こした。

「ほら、支度しろ。送ってくから」
「え?」


 ……どうして?

 このどうして? って問いかけ、わたしは誰にしてるの?
 珪くんに? ううん、そんなことない。…珪くんはわたしの意見を尊重してくれて。しない、って、言ってるんだもん。
 わたしに? 珪くんが、しない、って言ったことに、不満があるの? わたし。自分の言うとおりになった、って言うのに?

「う、うん……」

 わたしは慌ててキャミソールのボタンをはめる。
 や、やだな…。わたし、なんでこれだけのことで、指が震えたりする、の?

 珪くんは、そんな様子を目を細めて見て、

「な、なに?」

 口ごもるわたしをくすっと笑うと、手を取った。



「その目、……誘ってる」
「そ、そんなこと、ない!」

 そうか? と、首をかしげて笑ってる、珪くん。

「そ、そうなんだから〜〜!」


 子供のように地団太踏んで自分を正当化してるわたしを、珪くんは軽く腕の中に入れて、背骨のひとつひとつを数えるように、優しく撫ぜ上げていく。


「……っやぁ」
「はじめ、だけだ。……そうやって何かに気を取られてるの。……そのうち」
「……そのうち?」
「俺のことしか、考えられなくなる」
「……っ!」

 反論する隙を与えない、強引なキス。



 この、7月の海の色のようなキャミソール。
 張りのある涼しげな素材と、キラキラ光る貝の形のボタンが可愛くて。
 でもね。
 珪くんに触れられることで、それは力を失った、ただの1枚の布になる。

 こんなに、柔軟に。従順に。


 ……まるで、わたしみたい、だ。
*...*...*
 ……1年前には知らなかった。

 むせ返るような、珪くんの匂いの中でつくため息の意味。
 自分以外の身体の重み。

……」

 かすれていて、それでいて、甘く艶のある声。


 珪くんの長い指が、わたしの中心を侵蝕していく。

「け、珪く、んっ……」

 体内の、全ての血液がそこに集まる。

「やっ……っ」



 だんだん呼吸が短くなって。……わたし、きっと、ヒドイ顔、してる。
 こんな顔、絶対、珪くんには、見せたくなくて。

 でも、太陽が最後の力を出して放つ残照の中では、十分わかっちゃう、よね?
 わたしは必死に、両手で顔を覆った。

 ……珪くんは、わたしがなにをイヤがってるか、わかってる。
 わかってるのに、またイジワルを言うんだ。

、もっと、表情(かお)見せて?」
「ヤだ」

 ヤだ、ねえ、そう言うと珪くんは両手を簡単に剥がしてひとつにまとめ、わたしの頭の上で握りしめた。

「……っ」
「せっかく抱き合えるのに、表情見えなきゃ、意味ないだろ?」
「見せたくないの」

 わたし、…こんなわたし。
 せっかく覚えたお化粧。お気に入りの口紅も、全部珪くんに食べられて。
 素顔のわたしが、いる。
 素顔なんて高校時代にずっと見られてるから、と言えばそれまでだけど。

 …少しでもキレイになりたい、って。キレイだ、って想ってもらいたくて、わたしは薄くお化粧をすることを覚えた。

 けど、そんな仮面も、反論も、珪くんのキスで溶かされてく。


「全部見たい。……俺の腕の中で、おまえがどんなふうに乱れて、変わってくのか」



 そう言って、珪くんはわたしの中にゆっくりと入ってきた。


 わたしの中を、味わい尽くすように。
 わたしの中に、珪くんの形に合うような、小さなくぼみを造るように。

 それ、は、いつかまた来た時の、道しるべ、になるのかな?
 また来てくれたときに、何かを思い出させる、トリガーとなるのかな?


 何度も身体を押し上げる感覚。
 それは、ただ、温かくて、優しくて。


「……こんなことっ、したら、わたし……、今日やったこと、全部、忘れちゃう……っ!」
「忘れろよ。……俺以外のこと」


 わたしは、快感を逃すために必死でシーツを握りしめる。
 あまりに強く握りしめたからか、指先が血の気を失って真っ白になって。

 それに気づいた珪くんは、わたしの手を取ると軽くキスをして自分の両肩に回した。

「しがみつけ、よ?」
「ダ、ダメ。また、キズ、つけちゃう、よっ」

 いつもわたし、知らないうちに珪くんの肩にキズをつけてしまうから。

「かまわない……。もっと、全身で、俺を求めて?」

 そう言って。



 内部を抉るように、深く、強く。
 ……何度も。



「もっ……、やっ、…わたし、…わたし……!!」


 大きく全身が震えたとき。



「来いよ。……受け止めてやる」


 ―― 遠くでそんなコトバを聞いた気がした。
*...*...*
 床に置かれた腕時計が、まるでそこだけ時間が止まってしまったかのように静かな空間を作っている。
 わたしは眠っている珪くんの横を通り過ぎて慌てて洗面所に向かった。


 わたしの、この顔。


 珪くんとわたしの肌が擦(こす)れて縒(よ)れて、色づいた目の縁。
 口紅なんていらないくらい、赤く充血した唇。
 仔犬のように黒く濡れた瞳。


 この頃はわたしが『見えないように、して?』ってお願いしたから、首や耳の辺りには、痕は残ってない、よね?

 でもこれじゃ、家に帰るなり尽に、

「ねーちゃん! ねーちゃん、なにしに葉月んち、行ったんだよ! もっと上手く隠せよな!」

 ってからかわれちゃうよ。

 わたしは鏡の中のわたしを睨みつけるように見据える。
 きりっとしなきゃ。
 いつものクセで、頬に落ちた髪をさらりと耳にかけた、その瞬間。

「あ……っ」

 そんな、そんな些細なことでさえ、珪くんの舌の動きを思い出して、またビクッてなって……。

「や、やだ、なにやってるの、わたし…」

 思わず漏れた声も、自分のじゃないみたいに甘くて。
 もう、……自分で自分がコントロールできないなんて……。

 手早くお化粧を済ませて小さくため息をついたとき、珪くんが階段をかけおりる音がした。

「良かった……。もう帰ったのかと思った」

 ううん、…珪くん起こしてからって思ってたよ、と言ってから、わたしは一番気になっていることを尋ねる。

「ど…かな? わたし、おかしくない?」

 薄暗い光の中、鏡の中、で、わたしは少し取り澄まして、珪くんと目を合わせる。

「ああ」
「フツウ、に、見える?」
「ああ、俺、以外には、な」

「も、もう! ……なんか、クヤしい!」
「?」
「全部、見透かされちゃってるみたいだ。わたし」


 すると珪くんは、それがどうして悔しいんだ? ヘンなヤツ。と言って、背中越しにわたしを抱くと、首に顔をうずめて深く息をついた。

 そのしぐさが可愛くて。
 わたしは肩に乗っている珪くんの腕を優しく撫ぜる。


 あ、あれ…?  この、匂い、って…?

「ん?」
「あ、あのね、珪くん。珪くんの身体、から、わたしの匂い、がするよ?」
「ああ。俺もそう思ってた。…それに」
「?」
「おまえの身体からも、俺の匂い、する……」



 お互いの、匂いの、交換。
 髪を揺らす、たび。腕を上げる、たび。


「……珪くんが、ずっとそばにいてくれるみたい」
、おまえがそばにいるみたいだな、いつも」


 同じセリフを同じときに、口にする。その魔法に二人で驚いて。


「……帰りたくない」
「……帰せなくなりそうだ」


 って、また。




 ―― 愛しさが、募って、溢れて。


 わたしは、身体を反転させると、珪くんの胸に頬をよせた。
 ……珪くんの、胸の鼓動が聞こえる。


 こうして、……こうして、時間(とき)が過ぎていけば、いいね。

 そしたら、わたしは、もう時計を見ることは、ないだろうから。
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