そして脚の間を伝わる蜜にする。
こんなにも求めてる。言葉なんかじゃ全然足りない。抱きしめ合うことでも、キスすることでも。
珪くんをわたしの中で感じること。
この行為だけが教えてくれるってわかってるから。
わたしの思いも。珪くんの気持ちも。ふたりの間に横たわる寂しさも。
*...*...*
目を閉じている。けど周囲はかすかに明るくなっていることは、その網膜の赤さからわかってる。気遣わしげに視線が這っているのを感じる。ふわりと珪くんの匂いが近づいてきた、と思ったら、
さらさらとした前髪が頬に触れる。涙を吸い取る柔らかいものがすべてを吸い取ったあと、目的をなくしたかのように顔中を駆けめぐる。
(珪くん……)
目を開けちゃ、ダメ。わたしは物語の中の眠り姫のように眠り続けるんだ。
眠って眠って、今度目覚めるのは珪くんが帰ってきた日。
もしそうじゃなかったら……。今目覚めてしまったら今一番言っちゃいけない言葉を口走ってしまう。
(行っちゃヤダ)
子どもみたいに泣きじゃくってしまう。そうなる自分がよくわかってるの。
それだけは避けたいんだ。わがままなわたしはわたしが一番キライだもの。
珪くんが身体を起こす。最後、と言わんばかりに慈しむようなキスをくれる。
そしてなにかを振り切るように、素早く立ちあがる。
ゆっくりと階段を降りる足音、続いてかちりと玄関のドアが閉まり、再びカギをかける音がする。
完全に珪くんの存在が消えたのを確認して、わたしはゆっくりと上体を起こした。
「よ、よく頑張ったよね、わたし……」
ぽつりと漏らした独り言が誰もいない部屋にこだまする。
わたしはシーツに残ってるぬくもりを探すように布団に手を這わした。
たった今までいた人がいない。
ついさっきまで隣りにいて、抱きしめてくれてたたくましい腕も、その肩も。
「珪、くん」
わたしは小さな声で大好きな音をつぶやく。
もちろん返事はない。暖かな視線も。存在も。
「珪くん?」
わたしはさっきよりも大きな声でもう一度大好きな人の名前を呼ぶ。
違う。わたしの声は珪くんに届かないだけだもん。
本当はキッチンに行ってコーヒーを淹れてるだけ。ミルクたっぷりのカフェオレはわたし。珪くんはシンプルにブラック。ふたつのマグカップを手にいつもみたいにまたこの部屋に戻ってきて、わたしのことからかうんだ。
『おまえ、あの後、よく寝るのな』
って。
ほら、元気な声で呼べばきっと答えてくれるはず。穏やかな瞳の色でわたしを包んで。
そしてわたしが不安そうにしてたら、こう言うんでしょ?
どうした? って。なにかイヤな夢みたのか? って。聞いてやるから言ってみろよ、って。
── 繊細な、人。
高校時代の『孤高な人』なんて看板はウソみたい。
わたしのことばかり気遣って。わたしよりもわたしのことに敏感でいてくれた人。
でもどれだけ待っても返事はない。
しんと静まりかえった部屋にやけに大きく自分の声だけが響き渡る。
わたしは珪くんがいないという事実を確かめるために、ベットから降りる。空を泳ぐように脚を進める。
そして整頓された机の上にある小さな紙片に気付いた。
(なに……?)
確か、昨日までなにも置かれてなかった机。その上に真っ白な紙と光るものがある。
そこには珪くんが愛用していたシルバーのリングと……手紙?
わたしはおそるおそる紙に手を伸ばして、上に踊っている字を追う。
それはいつものきれいな珪くんの筆跡とは違って、やや斜めに傾いている。
『へ。
今、おまえの身体を片手に抱き寄せながら、あわてて手紙を書いている。
書きたいことはたくさんあるのに、なにから書いていいのか迷ってばかりだ。
おまえの寝顔を見ては、時計を見て、またおまえに触れて。そんなことばかり繰り返している。
なあ、。
おまえさっき俺の中で、『もう奇跡なんて起きないかもしれない』って言ったろ?
もう、わたしたちは卒業式の日に奇跡を使っちゃったから、今度はもうダメかもしれない、って。
神様はそんなに何度も奇跡なんてくれないよ、って、泣き笑いの顔して。
だったら。
もしそれが現実なら。
……俺がたぐり寄せてやる。その奇跡を。
だからおまえは、いつものおまえのままでいい。
待ってて欲しい。
こうして腕の中にいて、すぐ届くところにいる人間に手紙を書くなんてなんだかおかしい。
さっき抱いたときに見せた女の表情なんてどこにもなくて、
あどけないばかりに眠りこけているおまえを見てると、
何度も自分の決心が揺らぐ。間違ってるのではないかと思えてくる。
でもまたこうして、数ヶ月後には今まで以上のふたりになれること、
そうなることを信じてるし、願ってる。
元気で。』
一番最後の文章だけが、塗りつぶされていてよく見えない。書いて、書き終えて、伝えることを諦めたかのように、乱暴に消された、字。
「ん……?」
目を凝らして見る。
伝えて欲しい。
思ってること、心に浮かぶこと、全部。
それってとっても難しいことだってわかってる。だってそう言ってる自分自身が一番できてないんだもの。
「俺、……は……? だ、……け? ……も?」
まぶしいほどの光を放つ東の窓に歩みを進めて、もう一度紙に見入る。
そして、わたしは見つける。強い調子で消されていた言葉を。
風を受けて頼りなさそうに揺れる薄い紙にはこう書いてあった。
『、俺にはおまえだけだ。これまでも、これからも』
「どう、して……?」
朝日が目に染みる。もう泣けないって思ってた。珪くんの前で散々泣いて、もう、これでおしまいって思ってた。
でもね。
この手紙を珪くんはどんな思いで書いたんだろう、って、そう思うとこんなにも胸が痛い。
わたしの立場は簡単だった。
悲しい、寂しい、って自分のことだけを考えていれば、良かった。
けど、珪くんは違う。
傷ついた者を見る痛みと、その痛みを与えたという自分自身への痛み。
両方を背負わなくてはいけなかったから。
けだるい身体。珪くんがまだわたしの中にも外にも残っている身体。
わたしはわたしを抱きしめる。いつも珪くんがそうしてくれるように。震えが止まるように。