そうして自分を解放していくという作業が実はとても難しいってこと、
わたしは最近になって分かった気がする。
笑えるよ。わたし、笑ってる。
平気、っていう言葉は語弊があるの。
けど、こうして毎日何でもない日常を送れているよ?
*...*...* Far away〜After the "Departure"〜 #2-1 キミガイナイ *...*...*
「ねえちゃんって思ったより強かったのな。それともオンナって結構順応性が高いのかな?」朝、おかあさんの代わりになって朝ご飯の支度をしているわたしに向かって尽はあやふやな笑顔で聞いてくる。
「うーん。性差ってあるのかな、そういうのって」
今日は気分を変えてフォーションの紅茶を淹れてみる。
12月初日。
ピリッとした寒さの中に赤味を帯びた琥珀色、まわりを白い湯気が覆っている。
それがひどく温かそうに見えて、季節が移ったのに気づく。
「ま、時間が経ったっていうのもあるけど。もっとねえちゃんボロボロになると思ってたからな」
「あはは、……わたしのこと、少しは姉として尊敬してくれる? 尽も」
ちょっとだけエラそうににらみながら、わたしは尽の前にトーストを置く。
いただきっ、と美味しそうに頬張る尽の口元を見て、わたしは小さくほぉっと息をついた。
ねえ、珪くん。
わたし、覚えたんだよ。いろいろ。
夜中、泣くときはね、決して目をこすっちゃいけないの。
こするとね、すぐ瞼が腫れぼったくなるから。
こすらないとね、翌日ちょっと目薬注せば、ほとんどの人が気づかないんだよ?
── わたしが泣いたことに。
それとね。
昼間、ふとした瞬間……。
街ですれ違った人が、少しだけ珪くんの匂いに似てるとき、とか。
幸せそうなカップルを見て、目の奥がツンと熱くなるときはね。
ゆっくり深呼吸する。しながら目を見開くの。
(珪くんも頑張ってるんだ)
って。
(負けないぞ)
って。
あなたがわたしを好きって言ってくれた頃。
その頃以上に、素敵な女の子になれますように。って。
大好きな自分でありますように、って。
願ってるだけじゃダメだから、わたしはそろりと第一歩を踏み出したんだ。あの夏から。
歩き出すしかなかったもの。
【September】 Heroine's Side
自分で思い出しても、この夏、珪くんが渡航したあの時期はヒドいもので。
全身治りたての、まるで赤ちゃんのような薄い皮膚に覆われてるような感じで、あらゆるものが自分に突き刺さってくる気がしていた。
見るモノすべてがイタくて。
見ては聞いては感じては、勝手に涙腺が壊れてく、そんな情けない状態だった。
離れている間、一切連絡をしないと言った珪くんのことを、どこまで信じていられるのか、とセンチになったりもしていた。
人ってその存在がなくなるだけで、こんなにも心脆くなるものなの?
(いつか平気になる)
ベットに入るたび。
道を歩いているとき。
玄関のカギを開けているとき。
細いチェーンにくぐらせた珪くんのリングがわたしの胸の間でかすかに揺れるとき。
どれだけその言葉を呪文のように唱えてただろう。
そして唱えてから、珪くんがいないことに平気になんてなりたくないのに、ってまた泣いて。
何を言ってもぼんやりしてカラ返事ばかり繰り返すわたしを見かねて、尽が連絡したのだろう。
9月に入ってから、わたしの家に思ってもみなかった来客があった。
「〜〜! お月見・パジャマ・ダベリング大会をしよっ」
夕食を済ませた夜の8時過ぎ。
奈津実ちゃんとたまちゃん、志穂さんまでわたしに気づかれることなく自宅の玄関を通り抜け、わたしの部屋のドアの前に立ってたときは本当にビックリした。
「どどどうしたの? 志穂さんまで……」
「試験が終わったから一息つきたくて」
「はいはい、志穂はそこに座って。わたしはここね。あ、弟くん〜。飲み物運んでね」
ベットに座って、あることないことを途切れることなく思い出していたわたしは、この状況が掴みきれずにぽかんと懐かしい顔々を見つめた。
奈津実ちゃんは両手にアイスやらポテチやら、あ、わたしの好きなポッキーまで全種類買ってきてるし。
あのね、わたし実は結構好きなの、なんて相変わらず可愛い顔してさらりと言うたまちゃんは、カンチューハイ。
……えと、何本持ってきてるの?
「みんな……」
『元気出して』
『頑張って』
3人は、これ以上頑張りようがないときに言われると泣きたくなるほど痛い言葉を一言も発することなく、いつもの笑顔でわたしを見つめている。
(泣かさないで)
ちらりとイタズラがばれたときみたいな表情をしてる尽を目の端に捕らえたら、今度は珪くんを思ってるときとは違う涙が止まらなくなった。
「ったくも水くさいなあっ。ったく。何のために友だちがあるの? 友だちガイがないじゃん。何にも言わないなんてさ」
照れ隠し、なのか、やや潤んだ目でバンバンとわたしの背中を叩く奈津実ちゃん。
「ね、ちゃん、わたし、特製のパンケーキ焼いてきたから。今日くらいはみんなダイエット忘れて食べよう?」
赤のギンガムチェックのナフキンを開けるたまちゃん。
「私は反対したのよ。立ち直り方には人それぞれあるからって……」
「っと〜。志穂、ストップっ。それ以上は、こ・れ・か・ら」
愛しそうに柔らかな温度で見つめる6つの瞳。
それら全部が、急に潤んで見えなくなる。声さえも涙に抑えつけられる。
「奈津実ちゃん……」
「今日は夜通し。オールナイトだよ。だからなんでもぶちまけちゃえ。。葉月の悪口でもグチでも何でも聞くからさ。言うだけでもスッキリするよ。題して今夜は、『カレシの不満大会』。カレシ、カノジョ、全員知り合いっていうのがいいよね。まどかなんてさ……」
「やめて……」
先陣切って自分の話をしようとする奈津実ちゃんの腕をわたしは揺さぶった。
そのはずみに、わたしの目からしずくが落ちる。
さりげなくわたしの手を握っててくれる手のひらのぬくもりと気持ちに、また泣きたくなる。
「ん? どうして? 何でも聞いたげるってば」
「……ん……」
わたしは今までツライとか悲しいとかいうグチ……。いわゆる人が聞いて面白くない、かな、と思えるような話をするのはあまり好きじゃなかった。
言った本人はすっきりするかもしれないけど、聞いてる人は面白くないかなって思ってしまって。
具体的な解決策も見つからないまま、時間だけが過ぎてく。
そして女の子は往々にしてそういう話が好きだったりする。
それらはやがてノロケになったり、……でもやっぱりあの人のこと好きなんだよね、ってメビウスの輪になったり。
聞くのは一向にかまわない、というか、わたしが聞くことでその人が少しでもすっきりすればいいな、って思うけど、話すのは苦手だった、から……。
みんなの時間をそんな自分勝手なことに使うなんて、という思いがいつも心の底辺にあった。
そんなぐちゃぐちゃした気持ちをかいつまんで話す。
せっかく遊びに来てくれた親友たちに、こんな隔てのあるような考え方って嫌われちゃうかな。
珪くんに会えなくなって、友だちもなくなっちゃったらもう目も当てられない。
けど……。
申し訳なさが先に立っちゃう、から。
わたしは必死になって自分の考えをまとめる。伝える。
ああ、自分の気持ちを伝えるってこんなに難しいものだったの?
わたしの気持ちを静かに聞くと、たまちゃんが珍しくはっきりした口調で言う。
「ちゃん、それ、間違ってるよ」
他のふたりがこくこくとうなずく。
「何年友だちやってると思ってる? アンタのグチを面白くないって聞き流すわたしたちだと思ってるワケ?」
「さん、なんにもわかってないのね……」
「ああ、もう、いい。わたしがぱっぱと言うわよ」
奈津実ちゃんが真っ先に口を開く。
「見てきたわよ、アンタのこと。葉月ほどじゃないかもしれないけど、葉月以上に。きっと葉月が知らないことまで、いっぱいね! アンタの助けになりたい、って思って来たの。頼って欲しいって思ってるの。だから何でも言って欲しいワケ。わかる? それだけ!」
「ちゃんは、梅のカンチューハイが好きだったよね。はい、これ」
「あなた、自分が飲みたいんでしょう?」
「志穂〜。固苦しいこと言わない。さ、乾杯〜」
奈津実ちゃんはいつもの調子で場を仕切る。
急に空気に色がついたような、賑やかな空間が広がる。
それはちょっぴり修学旅行の夜の時のようで、懐かしくて。
でもカンチューハイがあるところとジャージ姿じゃないところは高校時代とは違っていて。
「はいはい〜。ごめんなさいよ〜」
なんて言いながら尽がお母さんと一緒に、わたしの部屋へ客用布団を運んできていた。
わ、わたしの部屋に入るかな、そんなにたくさん……。
(ほどけてく)
心も。
涙腺も。
自分のココロの、自分しか踏み込んだことがないところまで。
ねえ、珪くん。
わたし、温かいよ。
見えないモノを数えてちゃ、ダメだよね、わたし。
見えるモノ、今、ここに手にしているものをたくさん見なきゃ。
今確かに珪くんはいない。
けど、こんなにも暖かいモノがわたしのソバにあるよ。