*...*...* Surprise (前) *...*...*
 大学の講義の帰り。

 たまたま同じ一般教養を受講していた俺たちは、やや長くなったお互いの影を踏みながら、銀杏の樹の下を歩いていた。


「あのね、珪くん……。
 来週の10月16日、……空いてる、かな? お仕事ある、かな?」



 付き合って、半年。
 おまえに3年間、祝ってもらって。
 今年も祝ってもらえるならば。
 ―― これで4回目の俺の誕生日。


 おまえが、

『誕生日、と言えば、バースディケーキ、でしょ?』



 と言うものだから。
 毎年2人でおまえがその年一番、という店のケーキを一緒に食べて。



 ケーキの上できらきら揺れるローソクと、
 その向こうにあるおまえの笑顔を見てきたから。
 さずがに俺も、おまえのその顔と共に10月16日という日付も記憶に残っていて。




 でもおまえは俺との予定を入れるとき、いつも遠慮がちに聞いてくる。
 もっと、


『わたしのために予定をあけておいて?』



 と強気に言ってくれてもいいのに、と思ったりもする。





「16日。……予定ある」
「!」
「悪い……」

「あ、ん。わかった。……きっとお仕事だよね?
 ん。次の日でもお祝いできるもんね……。き、気にしないで?」


 嬉しそうに俺の顔を見上げていたは、口ではそう言いながらも、だんだんと視線を足元のローファーに落としていった。



 夏のウダるような暑さも遠のいて。
 急に涼しくなった、10月。


 日差しが柔らかくなるたびに、の肌も白く、薄く、なって。
 そうしてうつむいている顔を少し上から眺めていると、以前より頬に落ちるまつげの影が長くなったような気がした。



 俺はの頭に手を乗せ、顔を持ち上げるように軽く撫ぜあげた。




「バカ。最後まで聞けよ」
「?」
「おまえとの約束を入れるための予定が入ってるんだ、俺」


「! も、もう〜!!」



 とたんにくちゃくちゃの笑顔になる。

 目尻が下がって。
 白い歯がこぼれて。
 顔の中のすべてのパーツがぱらりとほころんで。
 全体で嬉しい、ってことを伝えてくるから、俺も思わず目を細めてしまう。



「怒っていいのか、喜んでいいのか、一瞬わからなくなっちゃったよ〜」



 でも、良かった〜、また一緒にお祝いできるかな、と、
 は頭の上で俺の両手を抱えて、とびきりの笑顔で見上げてくる。



 俺の言葉ひとつで、ころころ表情を変える、


 ……本当に無邪気だ、よな?




 こんなヤツなら、なにも俺じゃなくても、
 どんなオトコにでもしっくりと馴染んで、簡単に染まれそうな気がする。


 素直で、明るくて。
 でも、ときどき。


『俺がいなかったらこいつはどうなるんだろう?』



 と思うほど、どこかなよなよと頼りなくて。

 その対極に。


『こいつがいなかったら、俺はどうなるんだろう?』



 とも思う自分もいたりして。


「ん? 珪くん?」


 はあどけない瞳で俺を不思議そうに見ている。



 ……マズイ。
 日頃はどんなヤツも『無表情だ』と批評する俺の顔も、こいつの前では簡単に見破られてしまうんだ。



 俺はの手を軽く握りしめると、そのまま頭から頬にすべらせて。



「16日。……その翌日も空けておけよ?」



 と言うと、は、かああと耳の後ろまで真っ赤にして、恥ずかしそうに視線をそらせた。
*...*...*
「……な、当日、どうするんだ?」
「ん……。ナイショ」
「…………」

「珪くんが主役なんだから、どどん、と構えてて? ね?」




 それから1週間というもの。


 は俺が何度当日の予定を訊いても、教えようとはしなかった。




 ただ、声の調子が嬉しそうに上ずっているから、何かたくらんでいるんだろうな、とは予想していた。




 ところが前日の、いつもの電話の中で。



「あのね、明日の4時ごろ、珪くんちにタクシー向かわせるから、それに乗ってくれる?
 それでね、少しだけフォーマルな格好で来て欲しいの!」



 行き先のわからないデート、というのも、な。
 俺はため息をつきながら言った。




「言う気、ないんだな?」
「……ん。あのね?」
「なんだ?」

「……一緒に、いっぱい、いっぱい、お祝い、しようね?」




『イッショ ニ …… シヨウ ネ?』



 昔訊いたことある音。

 ……5歳のおまえと秘密基地、探検するんだ、とか言って。
 真っ暗な教会の中をウロウロと駆け回ったこともあったな……。


『一緒』、か。



 明日タクシーに乗っていけば、おまえに会えるんだな。



「……ああ」

 俺は電話を切ると、目的の服を探すためにクローゼットへ向かった。






 そして、当日。

 4時ちょうどに、タクシーは玄関の前に到着すると、無言で俺を乗せてすべるように走り出した。
 沈黙も仕事の一部のような、かたくなな運転手の様子に俺は苦笑した。



 刻々と変化する街の明かりを眺めながら。

 ……去年とは確実に違う、2人の関係について考えていた。





 好きだ、と伝えた。
 好きだ、と言ってくれる。
 一緒の時間を作ってくれる。
 俺に身体を預けてくれる。
 ―― これ以上望んだら、いけない、と分かってる。



 なんて、頭では理解していながらも、抑えきれない思いも湧いてくる。



 ずっと一緒にいたい。
 家に帰したくない。
 おまえの笑顔の理由が、すべて俺であってほしい。
 俺が思っているのと同じくらいの大きさで、俺のことを思ってほしい。



 そう考えて、苦笑する。
 ……重い、かもな、こういうの。



 余裕がない俺を、いつもはためらいながらも許してくれる。



 けど。
 ……本当は、どう思っているんだろう……。




 そうこう考えている間に、タクシーは高い丘の上にある
 小さなシティホテルに到着し、さっさと俺を降ろすと来たときと同じように何も言わずに走り去った。


 は……いない。
 ここで、良かったのか?



 俺はネクタイの結び目に手をやりながらロビーに足を踏み入れた。
 すると、慈愛に満ちた神父みたいなホテルマンが、にっこり微笑んで、こちらへどうぞと俺を個室へ案内していく。




「……あの」
「はい。なにか?」
「……すみません。よくわかってないのですが」
「……そうですか……」



 ホテルマンは目的の部屋に着いたのか、ドアノブに触れながら、



「きっともうすぐわかると思いますよ?」




 とドアを少し開けて、俺を中へといざなった。






 少し暗めの廊下から。
 いきなりまばゆいばかりの光の中に投げ出されて、俺は一瞬目がくらんだ。






 ―― オンナの影だけが見える。



 顔が見えない。
 わからない。
 きっと逆光になってるんだ……。
 ……甘い、匂い。
 小さく笑う、声。

 おまえがいることは分かってる。
 おまえ、が。
 いてくれなきゃ、困るんだ。
 けど。
 部屋一面に広がる光の洪水にまぎれて……、見えない。




 ―― どこに、いる?




「……珪くん? ここだよ?」
「…………驚いた」

「ふふ。……作戦、成功?」




 珪くんをビックリさせたかったの。サプライズパーティっていうんだよ?
 そう言って、は俺の手を取った。





「天気だけは予約できないから……。この1週間そわそわしちゃった。
 分かりきってる天気予報を1日に何度も眺めたり、して、ね?」



 ……そういえばこの1週間。
 空が高くなったの、台風が今年は少なくて良かった、だのいろいろ言ってた、な。




「ここ、ね……。
 この窓から夕焼けも星も綺麗に見えるの。
 ここからの景色、と、このセーター、が今年のプレゼント」



 はそう言うと、ふっくらとクッションのような大きさの包みをぽんぽん、と愛しそうに撫ぜた。



「珪くんのお好みもシェフに通してあるから、……これからお料理運ばれてくると思う……」






 きっと、こんなホテル。


 ……ずいぶん前から、考えて、計画して。
 サプライズバーティだから、ってことで俺には一言も言わずにいろいろ準備をしてたんだろうけど。
 仮に、俺が用事がある、と言ったら。
 はまるでなにもなかったかのように、1人でこの計画を『なかったもの』にしてしまうんだろうな、と思う。



 いつも俺のことを見つめて。
 そしてそのことをまったく気づかせずに。




 
 ……どうしておまえ、そんなに健気、で……、強いんだ?





 次々と運ばれてくる料理は確かにどれも俺の口に合ってて。
 まるでそれは、が作ってるんじゃないか、と思うほど、馴染みやすいものだった。




 は舞うような手つきで器用に食事を進めていく。
 やがて後はコーヒーだけという段階になって、はぽつりぽつりと話し出した。




「ずっとね……、お祝いがしたくて。
 ……去年からずっと。
 考えてたんだ……、来年はどうしよう、って。
 一緒にお祝いできるかな、って」

「……そうだったんだ」
「ん……。でもね、去年のわたしは不安だらけだった。
 まだ、珪くんとつきあってなかったし……。
 受験もあったし。
 ……こんなに人を好きになることがツライことなら、いっそ諦めてやる、って……。
 枕抱えて泣いたり、ね?」



 恥ずかしそうに微笑んで言う。



 ……ちっとも知らなかった。


 1年前のおまえは、文化祭に着るウェディングドレスを縫うのに夢中で。
 たくさんの友人に囲まれて。
 いつも笑顔がたえなくて。



 ……俺、だけ、が、好きなんだと思ってた。



 何度、手を伸ばして、そして諦めたことか。
 何度、火照る身体を冷ましに夜の海を見にいったこと、か……。




 さっきまで濃い茜色だった空は、もうウソのように落ち着いたイロを見せ始めている。
 は去年のことを思い出したのか、フォークとナイフを皿の端にコトリ、と置いて、窓の外に目をやった。



 そして、2、3回瞬きした後、俺に笑顔を向けて。




「だから、ね……。
 珪くんと過ごせる、っていう、この時間が嬉しいよ?
 なんだかわたしが珪くんからプレゼントをもらってるみたい……」
……」


「珪くんが生まれた特別な、日……。
 それはわたしにとっても、特別な、日、だよ?
 珪くん……。
 おめでとう。
 ……ありがとう。
 ……大好き!!」




 そう言うと、照れくさそうに細い指で涙をぬぐってる。




 俺はの手を取るとそれをあやすように軽く握りしめて言った。



「ジャマだな。……このテーブル」
「え?」
「……を感じたいのに、……届かない」
「……って、手、つないでる、でしょ?」






「……全然足りない」






 は俺の言葉にびくっと手を震わせると、あわてて離そうとする。
 俺はそれ以上の力を込めて、あっさりと握り返して。






「部屋、……取ってくる」





に聞こえるだけのボリュームでささやいて、席を立った。
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