「なに考えてる……? 今」
「ん。なんだろう……? 『珪くんの言ってることだけが聞こえる耳が欲しい』って思ってたかな?」
耳と脳の間に入れるんだよ? こんな感じに。わたしは身振りを交えて説明する。
抱かれて。
今のふたりの気持ちを確かめ合って。
でも心と身体がバラバラな自分に少しだけ戸惑っている。
そんな空気の中にわたしはいた。
気にしてない、と言いながら、わたしの頭はどこかでマネージャさんの言葉を気にしているようだ。
力を失ったわたしの左手は、さっきの行為の名残のせいか、離れることなくしっかりと珪くんと結びついている。
珪くんは指と指に挟まったわたしの薬指を確かめるように何度もさすった。
「な、……」
わたしは目を見て続きを促した。
焦点が合わないほど近くにある彼の瞳。
そこにはふやけた表情をした自分が映っているのが見える。
「俺は話すことが下手で……。だから」
大きな喉の固まりが言葉が詰まるのと同時に上下に蠢いた。
そのまま珪くんは、啼くのを忘れた鳥のようにわたしの顔を覗き込んでいる。
返事に、詰まる。
新しいマネージャさんとの会話が目に浮かぶようだった。
わたしとの会話を知らされて。
学校での様子が少しだけおかしかったわたしのこと、思いめぐらして。
わたしが自宅に着くまで、この人はどんなに気を揉んでいただろう。自分のこと以上に苦しんでいただろう?
深い翡翠色をさらに濃くしているのを見て、わたしは珪くんが言いあぐねている理由を知る。
どうか繊細なこの人が、わたし以上に傷ついていませんように。
こんな小さいわたしの身体にどれだけの力が宿っているのか、まだ自分でもわからない。
だけど神様。この人を守れる力を、わたしの力に変えていけるように。
抱かれた直後でいつもだったら思い通りに動かない身体が、今日は不思議と特別な感覚に包まれる。
体内の奥底から溢れかえるような、力。
「自分で、決めたの」
なにがあっても離さない。いつか目の前のこの人が屈託なく笑えるようになるまでは。
「わたしがわたしの意志で珪くんを好きになったの。だから、全部、引き受けるの。珪くんのこと」
「……」
「珪くんがイヤだ、って言わない限り、そばにいる」
バカみたいだ。他の人の声に惑わされて、一番大事な人の声、聞こえなくなってたなんて。
珪くんは安心したかのように息を零すとそれ以上はなにも言わなくなった。
きゅっと小さくなっていた肩がほどけたように広くなるのがわかって、わたしはまた泣きたくなる。
ねえ、珪くんの寂しさが、今、少しでも和らいだ、と。
そう思ってもいいかな?
「……爪」
表皮の感触を楽しむかのようにわたしの指を撫でていた手が不思議そうに止まった。
昨日、バイトから帰って真っ先にしたこと。
それは『爪を切る』という行為だった。
元々そんなに長く伸ばしていたワケではない。
たまの週末にネイルアートをしたり、放課後奈津実ちゃんといろんなショップに行ったりして小指に新色を確かめたりするのが好きだった。
……けど。
「……珪くんのこと、傷つけちゃうの、やだもん」
自分が自分でいられる間はいい。まだ、シーツとか服とかをつかんでいられる。
けどだんだんその行為に没頭し始めると、いつも珪くんはわたしの手を外して、首へと回させる。
抱く相手がと違う、と言って。
「……痛々しいな」
珪くんがわたしの手をつかむと指先を見つめて、一つずつ口に含んだ。
「ん、平気」
爪の白い部分がなくなるほど短く切りそろえた爪を持った指は、小さな子供の手みたいだ。
ふたりの絡まった手が持ち上げられたことで、天井に一際大きな影を作る。
先端は、雪に変わろうとしている冷たい雨が水滴を作っている窓へと重なる。
ふたりの手の大きさよりかなり広がった暖かい影、それはわたしたちの未来予想図だ。
今という時空から、果てしなく伸びて、広がって。いつかわたしたちをも包み込む。
── ずっと、この手を。
離さないでいられますように。