唇をかすめたかと思えば、鼻の頭に、眉の端に。
そして再び、震えが止まらない唇へと。
珪くんからもたらされる刺激に徐々に溶かされ始めたのが分かる。
何度も飽きることなく繰り返される行為に、わたしの身体も少し落ち着きを取り戻したみたいだ。
少しずつ指先に暖かみが戻ってくる。
シーツのひんやりとした感触が気持ちいい。
「……珪くん、くすぐったい」
くすくすと笑いながら返事をすると、珪くんはわたしの髪の毛を掻き分けて微笑んだ。
「……やっと笑ったな」
十数センチ先にある整った目鼻が、緊張の糸を解きほぐしたように広がっていく。
「ん……。大丈夫」
わたし、そんな怯えた顔をしていたのかな?
(センサイ ナ ヒト ダカラ)
わたしは想いを巡らす。
珪くんの自宅に来るまでのこと。シャワーを浴びていた時間。さっきのリビングでの会話。
その間も珪くんはいつもどおり、無口で。
わたしは、こういう戸惑いにも似たような不安な気持ちというのは女の子特有のものなのかな? 珪くんは、というか男の子は、こういうことに関して、泣きたくなるほどの恐怖、という感情はないのかな、と思っていた。
けど、そうじゃない。
(わたしの不安を感じ取ってくれてた……?)
わたしは初めてベットの上で珪くんに手を伸ばす。
珪くんは応えるようにわたしの手を握ると、そのまま自分の首に回させた。
── やっぱり、優しいよ、珪くん。
「……ありがと」
「?」
「ありがとう、ね?」
それだけ、で、十分。
目には見えないわたしの想いを鋭いまでに感じ取ってくれるあなたなら。
もう、平気だ。痛くても、怖くても。
── すべて珪くんがくれるモノだから。
前開きのパジャマ。しなやかな手が器用にボタンを外していく。
すんなりとした指先にある爪さえも、男の子とは思えないほどきれいで。
珪くんは、ゆっくりとわたしの脇腹に手を滑らせながら、するりと着ていたTシャツを脱ぎ去った。
白い、滑らかな肌。均整の取れた骨格。
はらはらとこぼれ落ちた亜麻色の髪。
その奥に狂おしいほどの熱を帯びた瞳が見える。
(……きれい)
わたしは、今自分がどんな状態にあるのかも忘れて息を呑む。
神様はきっと、全ての人間に平等ってワケではなくて。
珪くんという人間だけ特別に、細心の注意を払って形作り、魂を入れたんだ。
少しずつ外気に晒される肌。クーラーの風の中、わたしの体温を奪っていく。
さっき顔に降ってきたたくさんのキス。
それを身体中に施されたら、うぶ毛さえも同じ方向に靡いていきそうだ。
珪くんはするりとパジャマをわたしの両肩から降ろす。
露わになった胸元をわたしの腕は無意識のうちにかばおうとする。
その動作よりも速く、珪くんはわたしの腕をベットに縫いつけた。
射るような視線。
今まで見たこともないような、男の人の顔をした珪くんがそこにいた。
「俺は男だから。……男の愛し方しか示せない」
「珪くん……?」
「これから先、どんなにおまえが痛いって言っても、……謝らない」
凍り付いたような冷たい表情。
けど辛そうにひそめた眉は、わたしへのいたわりを現わしているようで。
「ん。珪くんとなら……、平気」
本当は震えちゃうけど。
痛みがどれほどのモノなのか、想像つかないけど。
── 頑張る。
承諾の意味を込めて、こくり、と首を縦に振る。
「……」
不意に珪くんは手の力を緩める。
そしてわたしの胸の膨らみに覆い被さるように顔を埋めるとつぶやいた。
「……お互いの気持ちの行き着いた先に、この行為があればいいと思う」
その、祈りのような、願いのような口調が、わたしの琴線に触れた。
この人は、今まで愛されたことがあるのかな?
愛したい、と思ったこと、あるのかな?
この広い、こざっぱりした部屋。生活感のない家。
── 珪くんのような、寂しそうな家。
心の中に痛みを抱えた風が吹く。
どうか、珪くんが。
わたしを抱きしめている間は、寂しいなんて感情、浮かべないでいてくれますように。
わたしは小さな膨らみを握りしめている手に手を重ねた。
「珪くん。……抱いて?」
伝わるかな?
……わたしも、あなたと同じくらい、あなたを求めてる、って。
ほんの少しでもあなたの心の奥に届くかな?
わたしのことは、もう、いい。
不安も、恐怖も。
珪くんと一緒なら乗り越えられるから。
*...*...*
今までどうして知らなかったのか自分でも不思議だった。泉のような潤いの箇所。自分でも一度も触れたことがない場所に珪くんの指がある。
自分でも恥ずかしいくらいにシーツを濡らしているのが分かる。
(触れているのが珪くんだから── ?)
── 熱い。
肌と肌が擦れ合う。涼しやかな感触とはまるで反対の場所。
甘ったるい香りが部屋中に立ちこめる。
それが、もしかしてこれは自分の身体から溢れたモノなのか、と思い至ったとき、わたしの身体は少しでも溢れる体液を止めようと、必死に脚を閉じようとしていた。
閉じこめられた珪くんの手首が一瞬不思議そうに止まる。
「……ごめんね、あの……、シーツが」
恥ずかしさが邪魔をしてちゃんと言えない。
もっと慣れてたらちゃんと言えるのだろうか?
奈津実ちゃんだったら、ちゃんと姫条くんに的確に伝えられるのかな?
髪もぐちゃぐちゃで、怒ったように眉を寄せて。口なんか半開きで。
きっとわたし、今、ひどい顔してる。それを至近距離で見せてる。
一番大好きな人に一番きれいなところを見せたいのに。
次々と訪れる初めての行為と強すぎる刺激に、どうしていいのかわからない。
珪くんはシーツという言葉から、わたしが何を気にしていたか気付いたようだ。
困ったように笑みを浮かべると、労るようにわたしの脚の内側を撫で上げた。
「……っ!」
「……どうして謝るのかわからないな」
珪くんは力が緩んだ脚を割って身体を滑り込ませた。
「だって、汚れちゃうよ……っ」
「……汚れない。おまえのだから」
なだめるようにキスが落ちてくる。
そのキスは、顔を滑り落ちて、耳、首筋へとやってきて。
そちらに気を取られているうちに、再び長い指がわたしの最奥へと押し込まれたのを感じた。
「……溢れてくる」
耳元でうわずった声でささやかれる。
いつもの珪くんの声とは違う、湿った、甘い声。
「や……っ」
一気に背骨をさかのぼるかのような痺れが襲う。
触れているんだから、一番近くにいるんだから、彼がわたしの変化に気づくことは当然なのに。
── 恥ずかしくてたまらない。
……わたしって、ヘンじゃないかな?
他の人と、一緒かな?
身体も。
自分じゃ制御できないほどの蜜が滴るのも。
こうしてお腹の奥の方からわき上がってくる、疼きのような反応も。
考えても考えてもわからなくて。
でも、それ以上に、わたしは次々と与えられる愛撫に翻弄され続けていた。
「……!!」
突然、珪くんの親指が入り口近くの小さな突起を捕らえた、と思ったら、ゆっくりと回し始める。
余熱が、その場所を中心に、身体中さざ波立ち、波紋のように広がっていく。
その感覚に焦らされるように思わずのけぞるような格好になって、背中が弓なりになったのがわかる。
揺れる頂きが、ベットの上、高々と立ち上がったのを目の端に捕らえた。
瞬間、珪くんは待ちかまえていたように吸い上げた。
「……や、もう……、ダメ、なの……っ」
身体中、すべて支配されてる。翻弄される。最愛な人に。
強いのに優しい。痛いのに、気持ちいい。
相反する二つの感覚を同時にくれる人。
「好き。ちゃんと好き。……全部、大好き」
必死に珪くんの瞳を探しているのに、焦点が合わない。
窓の外に見える三日月がぼやけて見えるから、目からも蜜が溢れているに違いない。
「……、キスしよう」
胸を愛撫していた珪くんの手が、わたしの髪と頬の間に入り込んだ。
そのまま後頭部を抱きかかえられる。
重なり合った唇の端から、飲み込むことの出来なかった珪くんの唾液が糸のように頬を伝った。
「……可愛いな、」
わたしは幼子のように与えられるままの刺激に夢中になる。
口内を激しいまでに浸食する舌が、徐々にわたしの身体の中に張り巡らされていた力を弱らせていく。
無意識のうちに両脚の強張りが溶けていく。
その脚を持ち上げて、珪くんはゆっくりとわたしの中へ入ってきた。
「…………っ!」
声を上げようとするとさらにキスで封じ込められる。
痛みを凌駕する熱。
圧倒的な充足感が中心から起こされる刺激とともに身体中に駆けめぐる。
(ひとつ、なんだ……)
身体を繋げ合って。心も繋がっていて。
珪くんはわたしの中に自身を埋めた後、ずっと身体を動かすことなく、髪や顔に慈しむようにキスをくれている。
それは性欲の上での行為とはほど遠いもので。
なにかしら、親ネコが仔猫をなめまわしてじゃれているような優しさに満ちていて。
目を開くたび、彼の気遣わしげな視線にぶつかる。
そして、なにかを言いかけて。
熱と痛みでぼんやりしているわたしに気付いたのか、今度は、耳元に口を寄せてささやいた。
「……辛く、ないか? 身体……」
心の中に、今、身体に与えられている熱に負けないほどのぬくもりが灯る。
── ずるいよ、そんなに優しいの。
痛いって言っても謝らない、って。
震えていたわたしを強引なまでの巧みさで、ここまで、して。
男の子って自分の欲望のまま、身体を揺らすものだと思っていたのに。
── ちっとも、そうじゃない。
珪くんの形の良い額は、うっすらと汗をかいている。何かを堪えて、押さえ込んでいる顔。
わたしはさっきまで彼がしてくれたように、今度は彼の頭を抱きかかえた。
彼を受け入れる、と決めてから、絶対伝えないでおこうと思った、『痛み』という感情。
わたしは熱でぼっとする頭を整理しながら考える。
── 珪くんがくれるモノなら、どんなものも宝物になる、から。
「……珪くん、続けて?」
壊して、いいよ? わたし、きっと、珪くんより、強いから。
珪くんは微笑んでいた唇を再び引き結ぶと、男の顔になった。
そして更に脚を持ち上げて、もうこれ以上ないほどの最奥へと進む。
「……っあ……っ」
とたんに震えが起きる。
身体が溶け出すんじゃないかと思うほどの強い熱が結合部から生まれる。
「……好きだ、おまえが」
ゆっくりと。
わたしの中を確かめるかのように珪くんは腰を回し始めた。
わたしは穿たれるまま、形を変える。
珪くんとわたしとの隙間も境界もなくなって。
体内に生まれた熱が抑えきれなくなって、声になる。甘い音になって部屋中に響き渡る。
好きになって、キスをして。
そこから先、どうして男の子と女の子は服を脱ぎ合わなくてはいけないのか、今、わかった気がする。
こうすることでしか伝えられない、確実なモノがあるからだ。
わたしも珪くんもそれしか知らないみたいに、お互いの名前を呼び合った。
それが途切れたのは、わたしの身体に珪くんの身体の重みがのしかかった直後、だった。
*...*...*
珪くんの長い腕の中、わたしは絡め取られて身動きが取れない。「女の子で良かった……」
「……そうなのか?」
珪くんは曖昧な返事を返す。
痛みがある分、辛い、面倒なことがある分。
こうして抱き合うときにもたらされる幸福は女の子の方が多いんじゃないかな?
守られている、という安心感。
満たされる、という幸福。
……今のわたしのように。
「ん。……こうして珪くんに抱いてもらえるでしょ?」
ささやくような小声でも十分に聞こえる静かな夜。
数時間前に見た花火のヒカリは、遠い遠い昔の出来事みたいだ。
今夜のふたりのことも。
こうして遠い未来から、懐かしく思い出せたら、いい。
そしてそのとき。
── 大好きなこの人が、すぐそばにいてくれたら。
「?」
「……えへへ、涙腺、壊れちゃったよう」
手を伸ばす。
すぐそこに最愛の人がいる。
かすかに伝わってくるぬくもりがこんなにも嬉しい。
口に出さないまでも、身体の中心を貫いた痛みはなかなか消えない。
身動きをするたび、少しだけ顔をしかめるわたしを珪くんは探るように見つめる。
「痛む、か?」
「えっと、……少し、だけ」
やり始めて、両手の指の数の回数くらいは痛いんだよ、でもそのうち大丈夫になるから。
なんて経験済のクラスメイトが教えてくれたのを思い出す。
うう、あと何回もこんな思い、しなきゃいけないのかな?
(何回も……?)
ふいに、ぱちんと目が覚めたかのように、さっきまで珪くんに施されていた行為が、わたしの脳裏を駆けめぐった。
(また、こんな恥ずかしい思い、しなきゃいけないの……?)
身体はいつか慣れていくとしても。
この羞恥に満ちた行為に慣れることなんてあるのかな。
珪くんはわたしの頬を撫でながら、わたしが何を考えてたのか察したみたいだ。
いたずらを思いついたような子どものような、とびっきりの笑顔を浮かべている。
「……ちゃんと慣らしてやる」
「え? いいっ。恥ずかしいから!」