*...*...* 優しき支配者 (1/3) *...*...*
「そう……。望美、その調子よ」
「ふぅ。布を裁つのが終わると一安心だよ」
「初めて望美を見たとき、とても変わった着物を着ていると思っていたの。
 こちらの着物は、どれもみな真っ直ぐに裁つだけだから、慣れたらすぐできるようになるわ」
「ありがと。えへへ、朔、優しい。私の不器用なこと知っててそう言ってくれるんだもの」
「まあ! そう言えばそうだったわね」
 
 約十日ぶりに会った朔は、伸びやかな表情で微笑んでいる。
 小さな黒龍がそばにいるからかな。
 時折見せる顔は、以前より柔らかく優しく、しばらく会わなかった時間なんてあっという間に飛んで行く。
 
「本当に素敵な布をありがとうね。弁慶さんも喜んでくれて……。
 端切れを身体に当ててみたら、髪の色にとても合ってたから、できあがるのが楽しみなの」
「大丈夫よ。望美なら」
「それは……。朔先生の指導がいいからだもん」
 
 私はじっと目を凝らして針の穴を覗き込む。
 一本一本手作業で作る針だからだろう。
 針の太さも長さも、それぞれ少しずつ違う。
 布の中に針をスムーズに流すためには、絶えず髪の油を針先に付けるといい、と聞いたけれど、
 針先で頭の地肌を引っ掻くのが、どうにも恥ずかしくてできない。
 指先で頭を撫で、その先に付いた油分を針に付ける。
 そんなことをしてるから、縫うだけでも朔の倍の時間が必要だ。
 
「丁寧に、丁寧に、っと……。……弁慶さん、喜んでくれるといいな……」
「ふふ、望美ったら」
「え? なあに? 朔」
「あなたがすごく幸せそうで安心したわ。……正直なところ、私は、あなたが弁慶殿と結婚するより、
 譲殿と結婚した方が幸せになれるんじゃないかと思っていたから」
「そうなの?」
 
 私は運針を止めて、朔の顔を見つめる。
 さっきまで、朔にまとわりついていた黒龍は、端切れを使って独り遊びを始めている。
 
「譲殿のあなたを思う気持ちは私もよく分かっていたし。
 やっぱり同じ世界にいた者同士が結ばれた方が、のちのちあまり大きな問題は起きないかしら。そう思って」
「そうなんだ……」
「だけど、今のあなたを見て安心したわ。この調子なら、二人の間の子を見るのもすぐかしら?
 黒龍には兄弟がいないから、一緒に遊んでくれたら嬉しいわ」
 
 なんとなく。……そう、なんとなく。
 診療に来る患者さんの中にも、たまに子どものことを尋ねてくる人がいて。
 そのたびに私は少しだけ居心地の悪い思いをして、助けを求めるように弁慶さんに顔を向ける。
 弁慶さんは私の視線を受け止めると、微苦笑で首を振る。
 
 今、浮かんでくる気持ちはそのときの思いと同じ。
 すごく恥ずかしくて。少しだけ悲しくて。……少しだけほっとして。
 三つの感情の割合は日によって違う。
 大きくなったり、痛くなったりする。
 
「その、ね……」
「あら? 望美、なあに? 分からないところがあったかしら?」
「そ、そうじゃなくて! その……」
「望美?」
「えっと……。その、……あのね。私、子どもは、できないの」
 
 案の定、朔はきょとんとした顔で私の顔を見つめている。
 沈黙を不思議に思ったのか、黒龍は朔の顔を見、私を見て、再びまた遊び始めた。
 
「……私と、弁慶さんに、その……、子どもは、できないの。……その、そういうこと、してないの」
「そう……。そうだったの。そうだったの……」
 
 私の返事に、朔は深呼吸を二回すると、ようやくかすれた声で相槌を打った。
 たくさんの戦いの間、二人で一緒に過ごしてきた、戦友ともいえる親友。
 朔の、こんな驚く顔を見るのは初めてかも。
 
「う、うん。やっぱり、なんだろ、そんなに驚くこと、なのかな?」
 
 私はもぞもぞと落ち着かなく膝を揺らしながら、悪さをした子どものように上目遣いに朔を見る。
 遊び疲れたのか黒龍は朔の膝の上でウトウトとまどろんでいる。
 
「そうね。ごく普通に考えて、共住みしたその日に、睦み合ったと考えるのが世間でしょうね。
 望美のいた世界でも同じなのではないかしら?」
「うーん……。同棲、ってことならそういうことになるのかな……」
 
 正確に言うなら、私の世界では同棲する前の、お付き合いを始めてしばらく経ったころに、
 そういうことはしてる、っていうのかな……。個人差が多いから、違うかな。
 話がややこしくなりそうなので黙っていると、朔は思い出したことがあったのか、少し声を落とした。
 
「弁慶殿とあなたが共住みを始めてから三日目に、私、三日夜餅を持っていったでしょう?」
「えっと……。あ、引っ越したばっかりのころ、もらったよね。可愛いピンク、……じゃない。
 桃色、っていうのかな。桃色と白色のお餅」
「あれは、男女の仲が末永く続きますようにというお祝いの意味があったのよ」
「そう、なの?」
「いくら殿方とはいえ、弁慶殿もご存じのはずだけど」
 
 私は頷きながら、その時のことを思い出す。
 朔が持ってきてくれたお餅は、とても上品な入れ物の中に寄り添うように入れられていた。
 
『わぁ……。ちょっと甘くて美味しいです。柔らかい……』
『ふふ。そんなに美味しそうに食べる君を見るのも楽しいですね。僕の分も食べますか?』
『わぁ、いいんですか……? あ、でも、ダメです。美味しいから、弁慶さんも食べてください』
『君のいた世界にもこのような食べ物はあったのですか?』
『はい! お正月に。お雑煮、って言って、お餅を煮て食べます。地域によって具材が変わるんですよ?』
 
 私ったら、脳天気にお餅の話とか、私のいた世界の話とか、他愛のないことばかり話してた気がする……。
 朔は胸の前で手を合わせて、じっとなにか考え込んでいる。
 
「……あれほど女人の扱いに手慣れている弁慶殿が、男色というのも考えづらいわ」
「へ? 男色? 男色、って……?」
「ごめんなさい。望美。今の話は聞かなかったことにしてちょうだい。
 とにかく傍で見ている限り、弁慶殿は望美のことをこれ以上なく大切にしているのはわかるのだから。
 弁慶殿の考えがあるのかもしれないわ」
 
 私を元気づけようとしてくれてるのだろう。
 珍しく饒舌になっている朔を見ていると、ふっと気持ちが温かくなる。
 将臣くんと譲くんに囲まれて、兄弟なんて欲しいと思ったことはなかったけど。
 もし、お姉ちゃんがいてくれたら、こんな感じに温かいのかな。
 
「失礼します。先輩が来ていると聞いて」
「あ、譲殿。どうぞ入って?」
 
 廊下の端で人が動く気配がすると思ったら、音も立てないでふすまが開いた。
 見ると、すっかりこの世界に馴染んだ譲くんが、眩しそうにこっちを見て笑っている。
 
 どうしても平家を守る。俺にはその義務がある。
 そう断言して、元いた世界に戻るよりも、平家の人たちと一緒に都落ちすることを選んだ将臣くん。
 『だったら俺も、この世界に残ります。兄さんとは違う。この世界の、先輩の近くにいます』
 そう言って、譲くんは景時さんの家に居ながら、京都所司代の警備のお仕事に就いている。
 弓を射る腕は誰よりも正確で、すごく頼りにされているらしい。
 
「望美、来ていたのか。久しぶりだな」
「あ、九郎さんも! こんにちは。お邪魔してます」
「今、四条の見回りから帰ったところだ。お前も少しは弁慶の奥さんらしくなったか?」
「えへへ……。目下、修行中です」
 
 九郎さん。譲くん。朔。
 一緒に過ごした時間は、どれだけ経っても色あせない。
 それどころか、こうして、みんな誰も亡くなることのない世界に、ともにいられる幸せを……。
 多分、それを分かち合うことができるのは、私が何度もこの世界を行き来したことを伝えた、弁慶さんだけだ。
 
 ──── みんなの笑った顔を見るのが嬉しい。
 
「ねえ、望美? 久しぶりにみんな集まったのだから、今日はこのまま夕食もここですませていったら?」
 
 目を輝かせて朔は提案してくれる。
 それを受けて、譲くんも弾んだ声を上げた。
 
「いいですね。今日は行商人からいい魚が手に入ったから、ちょうど〆めておいたんです」
「えっと……。譲くん。『〆る』って?」
「先輩も知っているように、この世界では冷蔵庫がないでしょう?
 だから常温で保存する方法が発達したんです。塩漬け、醤醢漬け、酢漬けなどいろいろあります」
「すごい、譲くん……」
「よし。じゃあ、今日は宴会とするか。望美。お前は譲の手伝いをしろ。俺は急いで弁慶を連れてくる」
「はい! じゃあ、先にこのあたりを片付けちゃいますね。譲くん、なにかできることあったら、教えて?」
 
 久しぶりの集まりに嬉しくなってそう言うと、幼馴染みは困ったような笑顔を浮かべている。
 
「じゃあ、先輩には器を拭いてもらおうかな」
「え? あれ? 拭く、だけ?」
 
 不思議に思って首を傾げていると、堪えきれなかったのか九郎さんが吹き出した。
 
「ああ、すまない。望美に手を出されちゃ、かえって手間が増えるってことか」
「わ、私も、少しだけ、料理は上手くなった、と思うんですけど……」
「そうかそうか。真偽のほどは、弁慶に聞くとするか!」
 
 
 
 言いたいことだけ言い捨てると、九郎さんは走るような勢いで夜の京に消えていった。
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