*...*...* 優しき支配者 (2/3) *...*...*
「んー。これで準備は全部できたかな?」
「はい、先輩。なんとか間に合いましたね」
「また譲くん、お料理の腕が上がった? 今日はいろいろ勉強になったよ。ありがとね」
 
 真っ白だった三日月が少しずつ色を変え、位置を変え、今はちょうど真南で私たちを見ている。
 私の視線に釣られるようにして譲くんも空を見上げた。
 器は並べられ、料理もOK。飲み物もバッチリ。
 あとは弁慶さんと九郎さんが来るのを待つだけ、かな。
 
 朔は遊び疲れて眠ってしまった黒龍を寝かせに行くと言って、離れに向かった。
 私は譲くんに勧められるまま、とん、と縁側の端に座る。
 夏に向かおうとする今、中庭は草の匂いで満ちている。
 
「あ、今日譲くんが作ってくれた料理……。魚の照り煮、っていうのかな?
 一度弁慶さんにも出してあげたいな、って思って……。
 ほら、こっちの世界ってあまりタンパク質っていうのかな、摂らないもの」
 
 元々あっさりした食事が好きだった私は、今の野菜ばかりの生活にそれほど不便は感じないけれど。
 以前将臣くんと一緒に生活をしてた頃、譲くんと将臣くんが『焼き肉を食べたい』って話で盛り上がってたことがあったっけ。
 弁慶さんも男の人だもの。ああいうしっかりした食べ物って好きなんじゃないかな。どうなのかな。
 
「でもまあ、今の生活にも慣れてきましたし、菜食主義というのか、こちらの方が健康的だと思うこともあります」
「そっかぁ。たまに魚を食べていれば栄養は足りるのかな?」
「ええ。それに、豆類でしょうか。そのあたりを食べていれば大丈夫だと思います」
「よかった。……弁慶さんってね、書を読み出すと食べること忘れちゃうみたいなの。
 今日はおつまみみたいなお料理を、何種類か教えてもらえてよかったよ」
 
 山菜のごま和え。それにヤマメの煮付け。梅の蜜漬け。
 本当に、譲くんって器用だ。それに几帳面だ。
 皿の上に盛りつけられた料理は、それぞれがあるべき場所に収まってるって感じなんだもの。
 
「……九郎さんと弁慶さん、まだかなあ」
 
 子どもみたい、って思いながら、宙に浮いた脚をふらふらさせる。
 急に宴会、ってことになって、弁慶さん、大丈夫だったかな?
 ……もしかして、今日は勉強したい、って思ってた日だったかな……。
 
「……先輩?」
「ん? ごめんね。ぼんやりしてた。なあに? 譲くん」
「先輩、今の俺にできることがあるんだったら、なんだって言ってください。そうでないと、俺は……」
「どうしたの? いきなり」
 
 譲くんの剣幕にビックリしながらも、私は譲くんにお願いできることってなんだろう、って考えてみる。
 お料理は……、こうして新しいレシピを教えてもらったりする、かな。
 裁縫は、……朔に習って、なんとか少しずつ上達してる、って思いたいかな。
 あとは……。掃除、とか?
 なにをしても、私が譲くんに敵うところはないけれど、今、特にお願いすることもない、かもしれない。
 
「ありがとうね。私、小さい頃からずっと、譲くんに頼りっぱなしだったよね。
 小学校に入ってからは、譲くんの方がなんでも良く出来たし」
「そ、そういう問題じゃなくて、ですね」
「今も、将臣くんが、平氏のみんなを見捨てることはできないから、って、京を離れたから、
 譲くん、この世界に残ってくれたんだよね。またなにか自分じゃ収拾つかなくなったら、相談するね」
 
 譲くんは返事の代わりに盛大なため息をつくと、眼鏡に手を当てた。
 月明かりの中、喉ぼとけが波打つように揺れている。
 
「そう、か……。俺も学ばないな。鈍感な先輩に回りくどいことを言っても仕方なかったんだ」
「ど、鈍感って、ひどいよ、譲くん」
「はっきり聞きますね。……今、先輩はあの人と幸せですか?」
 
 『あの人』と言われて浮かぶ人はただ一人。
 時空を超える前の屋島で、目の前で無くしてしまった人。
 透き通っていく弁慶さんの姿を見てから、私が望むのはあの人が生きていること。それだけになった。
 
「さっきのやりとりを聞いてしまったんです。……あなたが、その、……まだ、弁慶さんのものじゃないって」
「うん……」
「俺は、あの人より俺の方があなたを幸せにできると思った。
 だけど、あなたが幸せになるならって思って、諦めたんだ。
 だけど、あなたが今幸せじゃないなら、俺があなたを幸せにする」
「……ありがと、譲くん。心配してくれて」
 
 怒ったような真っ赤な顔は小さい頃の譲くんそのままで。
 本当なら、もっとシリアスにならなきゃいけない状況なんだろうけど、ふっと笑いがこみ上げてくる
 思えば、小さい頃、将臣くんとケンカするたびに、こうして励ましてくれたっけ。
 『兄さんは勝手だよ。望美ちゃんは悪くないから!』
 なんて。
 
「あのね。私、実は、今の状態、少しだけ嬉しかったりするんだー」
 
 満天の星。銀の皿のような細長い三日月が、じっと私たちを見守っている。
 星の光を邪魔するものがないからだろう。この世界で見る夜空は、どんなときも胸に迫ってくる。
 ああ、まだ、私、この世界にいる。
 この世界にいて。弁慶さんとともに生きて、弁慶さんと同じ空気を吸ってるんだ、って。
 
「どうして? なにが一体嬉しいんですか? 弁慶さんに妻として認められていないことですか?」
「う……。そんな、単刀直入に言わなくても」
「じゃあ、なんなんですか?」
「……私、えっと……。あまり、キレイじゃないでしょ?」
「は?」
 
 わけがわからない、といった風に、譲くんは私を凝視している。
 うう……。どうしよう、ここまで言ったなら、言わないわけにはいかない、よね。
 ふぅ、と思い切り息を吸う。
 思い切り吸い込んだら、、星の欠片の一つくらい胸の中に滑り込まないかな。
 そしてその灯りが、直接弁慶さんに問いかける勇気になればいいのに。
 
「……その、ね……。こっちの世界に来てから、ずっと戦いばかりだったでしょ?」
「はい」
「そ、その! 身体にある太刀傷を、ね。私、弁慶さんに見せたくないの」
 
 早口で言いたいことだけ言葉にすると、なんだか急に気持ちがほっとして強ばっていた肩が柔らかくなる。
 
「それは……。だって、先輩、それは」
「えへへ。可笑しいでしょ? 私の傷の手当をしてくれたの、弁慶さんなのにね」
 
 小さな傷はそれこそ数え切れないほどあるけれど。
 今私の身体に付いている一番大きな傷は、惟盛さんと戦ったときにできたモノ。
 右肩から胸にかけての傷痕は、今見ても赤いみみず腫れのように膨らんだままで。
 触れただけで、この醜い傷が弁慶さんにわかってしまう。そう思っただけで泣きたくなる。
 こんな傷を持った女の子なんてどこにもいないんじゃないかな……。
 
「だから、その……。その、弁慶さんと、だ、男女の関係じゃなくても、私はかえってよかったかなあ、って。
 見せなくていいんだもの。ごめんね、譲くん、心配させて」
 
 
 
 
 さくり、と砂利を踏む音。それに続いて、そっくりその後を踏んでいるような密やかな足音が続く。
 ──── これは、多分、弁慶さん。
 
 私は立ち上がると音のする方へ走っていく。
 
「弁慶さん! お帰りなさい……、なのかな? あれ? いらっしゃいませ、なのかな?」
「こんばんは。……僕の妻を長いこと引き留めている九郎に、ちょっとお説教をしていたところです」
「お、お前、ななにを言ってるんだ。俺はただの使いだろう。この宅は、景時のものなんだ。
 文句があるなら、景時に言うんだな!」
「おやおや、なにを言うかと思えば。当の景時は今、鎌倉入りしているのだから、
 今は君がれっきとした この家の男主(おとこあるじ)なのでしょう? 譲くん、今日はお世話になりますね」
「いえ……。俺、料理、温め直してきます」
 
 
 
 譲くんは軽く一礼すると二人の前をすり抜けていく。
 弁慶さんは一瞬おや? と言いたげに眉を上げて、そのまま何事もなかったように目を伏せた。
←Back
Next→