*...*...* 指先で脈打つ鼓動 (1/2) *...*...*
『確かに、言質は取りましたよ』
 
 柔和な目が、灯りを反射したかのように鋭くなる。
 うう……。どうしよう。
 私、売り言葉に買い言葉みたいに、あっさり弁慶さんの手の上で転がされてる気がする。
 
 弁慶さんと京の町で一緒に暮らすようになって約一ヶ月。
 初夏の空は今日も暑い一日になることを伝えてくる。
 私は洗濯物の皺をぱんぱんと手で整えると、麻紐の上に広げた。
 
(後悔は、しないもん)
 
 あの人が私を抱くことで、寂しい、って気持ちが少しでも和らぐなら。
 なんでもない一日を少しずつ積み重ねることで、穏やかな気持ちになってくれるなら。
 大人で。私より、ずっといろいろなことを知っていて、ずっと大人だと思っていた人の、
 少しでもいい。甘えられる場所になれるなら。
 
 炎に包まれた京で。
 桜の花が舞い散る弥山で。
 私は、ただ消えていく弁慶さんを、ただ見ていることしかできなかった。
 
 それが今は。
 こうして同じ時間を生きていて。
 息使いを感じる。ぬくもりがある。衣に触れれば、彼の存在を感じる。
 ──── それだけでいいんだ。
 
「……はぁ」
 
 そこまで考えて、ため息が出る。
 私の思いは、とてもシンプルで、わかりやすいものなのに。
 知らないことへの恐怖と、手を挙げたときに感じる太刀傷の痕は、すごく現実的な不安を連れてくる。
 
 弁慶さんは、私の身体を見て、どう思うかな。
 年齢も違うし、……その、もっといえば、経験も違うし。
 あれだけ艶っぽい人だもの。
 相手になった人たちは、女から見ても色っぽい人ばっかりだったんじゃないかなあ……。
 
 今まで弁慶さんとそういうことをしてきた女の人と私じゃ、勝てる勝てない以前に、敵うわけない。
 情けない、というか、立場がない、っていうか。
 こ、これじゃ、不戦勝、じゃなくて、不戦敗だよ……。
 
「望美さん? そろそろ患者が来そうですよ?」
「は、はい! わ、ごめんなさい。今、行きます!」
 
 時計がないこの時代は、十五分だとか三十分だとかいう感覚はない。
 
『そうだ。日時計を作ってみたらどうでしょう?』
『日時計、ですか?』
『はい。雨の日はダメですけど、こんな風に、一本真っ直ぐな棒を立てるんです。
 太陽が作る影を見ながら目盛りを見ると、大体の時間がわかるんです。
 季節によって少し工夫が必要ですけど』
 
 弁慶さんと二人で作った日時計が少しずつ朝の時刻に近づいている。
*...*...*
「今日もお疲れさまでした。望美さん」
「ううん? 弁慶さんこそ。……最近は、弁慶さんの薬が良く効く、って噂がかなり広がってるのかな。
 かなり遠くの方からも患者さんが来ていましたね」
「ふふ、それは、可愛い助手が頑張ってくれているからでしょうね」
 
 柔和な笑みを浮かべた弁慶さんに、暗い影はない。
 京の荒廃の原因は自分のせいだ、と自身を責めてばかりいた弁慶さんは、
 こうして、人を救い、街を救うことで、少しずつ自分を許せるようになったのか、
 本当に、子どものような優しい、あどけない笑みを浮かべるようになったって思う。
 
 弁慶さんは夕食後の白湯を飲み干すと、満足げなため息をついた。
 
「明日は一日、お休みを取りましょうか」
「はい? えっと……?」
 
 突然の話に、私はぼんやりと部屋の端に干してある薬草に目をやる。
 病気の種類にもよるけど、十人くらいの患者さんなら十分に間に合う量があるはず。
 京に戻ってきてからお休みを取ったことがない弁慶さんが、お休みを取る、って……?
 
「あ! もしかして、弁慶さんの体調がよくない、とかですか? ここのところ、ずっとお休みがなかったし……」
「そうですね。……よくないところもある、といったところでしょうか?」
「すみません。気づかなくて……。頭痛ですか? それとも、お腹が痛いとか?」
 
 最近陽気がいいこともあって、弁慶さんが風邪を引くなんて考えたことがなかったけれど。
 考えてみればずっと働きづめだもの。たまには休まないと体調を崩すのは当たり前だよね。
 ……私も、馬鹿だ。
 どうしてそんな簡単なことに気づいてあげられなかったんだろう。
 
「ふふ。君は可愛い人ですね。そんなに唇をかみしめないで」
「はい……。ごめんなさい。ちょっと、自己嫌悪、でした」
「僕のこの病は、君の力で治せるものです。……いや、君じゃないと治せない類のものかな」
「は、はい! 調薬でしたら、任せてください!
 ……というのは言い過ぎかな。教えてください。やってみます!」
 
 ここ五日くらい前からようやく教えてもらえるようになった薬の調合。
 自分一人でやるのはすごく不安だけど、少しずつ頑張って覚えなきゃ。
 
「……あれ?」
 
 勢いよく立ち上がった私の袖が、なにかに引っ張られている。
 袂、だとか、裾周りだとか。
 最近になってようやく着物を着ることに慣れてきた、と思っていたけど、
 本当のことをいえば、あちこち引っかけることがしょっちゅうで。
 あれ? 私、またなにかに引っかけたかな?
 
 どうか、着物が破れていませんように。
 そう思いながらおそるおそる力の元に目を向けると、そこには弁慶さんの手があった。
 
 
 
 
 
「──── 望美さん、どうぞこちらへ」
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