「よお、姫君。久しぶりだね。この策士に苛められたりしてないかい?」
「あ、あれ? ヒノエくん!? 本当にヒノエくん?」
「……招かれざる客到来といったところでしょうか?」
 
 馬上から懐かしい声がする。
 だけど僕の視線は、馬上の人よりもその人を見つめる彼女の横顔に向かう。
 見る間に上気する頬。見開いた目がやがて三日月のように細く弧を描くのを僕は複雑な気持ちで見守る。  
*...*...* 痛みも涙も僕のもの (1/3) *...*...*
「いきなりどうしたのですか?」
「いや、突然オレの姫君に会いたくなってね。元気でやっていたかい?」
「うん! ヒノエくんも久しぶり……。全然変わってない。元気そうでよかった……」
 
 望美さんは目を潤ませながらヒノエを見上げると、お茶を用意してきますね、と僕に言い置いて席を立つ。
 この京の町で一緒に住みだして二ヶ月。少しずつ家の体裁は整い、水屋も使いやすくなったのか、望美さんはくるくると立ち働いている。
 
「君が目的もなく来訪するとは思えないのですが」
「まあ、ね。ちょっとあんたの力を借りたいと思ってね。熊野で、ちょっときな臭い話があってさ」
 
 ヒノエは望美さんがいないことを確認すると、少しだけ声を落とした。
 平家の追討も収束を迎え、あとは鎌倉殿は天下が落ちてくるのを手を受けて待っていればいいようなこの時期。
 熊野も先月、鎌倉殿への忠誠を誓う文を出し、決着はついたはずだったのだが。
 まだ、水軍の中には鎌倉殿に反抗する勢力が存在する、ということだろうか。
 水軍といえば確か……。
 
「……村上水軍との内紛が起きている、とかでしょうか?」
「ご名答。なんだい? あんた、今もどこかの軍の軍師でもやっているのか? ただの町の薬師にしては鋭すぎるぜ?」
「過去の事実から推察しただけですよ。そうなのですね?」
「ああ」
 
 ヒノエは切り出すのが楽になったのか、堰を切ったように話し出す。
 村上水軍の長があまりに前衛的なこともあり、鎌倉への抵抗勢力と捉えられていること。
 今、鎌倉殿と競うのは得策ではないこと。
 村上水軍の部下に話の分かりそうな人物いて、その人との顔合わせが明後日に迫っていること。
 
「オレはさ、いや、代々熊野は自分にとって益なる物を選ぶんだ。今回のことだって、別に村上水軍が鎌倉殿に刃向かうという事実はどうだっていい。熊野としては同じ水軍ということでとばっちりを受けるのを避けられるなら、それでいい」
「大体の話はわかりましたが、今の僕が役に立てるとは思えませんよ」
「いや。知恵者は何人いても無駄にはならない。……ただ」
「ごめんなさい。お茶の準備ができました」
 
 望美さんは少しだけ緊張した表情でヒノエの前に湯飲みを差し出す。小さな唐菓子が置かれているのはさっきヒノエから渡された手土産の中に入っていたものだろう。
 ヒノエは打って変わって明るい声を上げると望美さんの方に膝を向けた。
 
「なあ、姫君。熊野へ行かないか? 熊野。お前たちすっと働き通しだろう? 季節もいいんだ。弁慶と のんびり旅でもして、英気を養うってのはどうだい?」
「熊野へ? そんなお話になってたんですか? 弁慶さん」
「まあ、そうですね」
 
 今回の談合はそれほど危険が伴うものでもなく、彼女が行くのは問題はないだろう。
 『のんびり旅でもして』……か。
 こうして彼女とともに暮らし出してからというもの、考えてみれば遠出も物見もしていないことに気づく。
 僕自身は彼女が近くにいることだけで満たされているけれど、彼女はどうなのかな。
 着るものや、身につけるもの。美味しいもの。色味のある鮮やかなものを欲しているのだろうか。
 僕から見た彼女は、贅沢なものなど何も身につけてない普段着でも美しく、薄い紅梅色の着物は彼女の頬を匂い立たせている。

 
「ん……。わざわざヒノエくんが来てくれたってことは、弁慶さんがどうしても熊野に行かなくちゃいけない用事ができたってことなのかな……」
「あ、ああ。まあ、そうなるかな? すまないね、望美」
 
 二人の話を聞いていたわけでもないのに、望美さんはヒノエの本来の目的を察していたらしい。
 ヒノエは驚いたように眉を上げると、ちらりと僕に目をあてた。
 
「弁慶さんと一緒に熊野に行きたい、って思うんですけど、弁慶さん、あの、ほら……。おじいさんが」
「ああ。弥平さんですね」
「弥平さんって誰だい?」
「ええ。容態が心配な町の人がいるんですよ」
 
 望美さんの協力もあって、最近は特に病人の出入りが激しい。
 そんな中どれだけ手を尽くしても助からない人がいるのは、僕にとっては自明の理だったが、どうにも望美さんには納得できない部分があるらしい。甲斐甲斐しいまでの世話と薬草の管理。最近の彼女は僕以上に薬師らしい様子を見せることがあった。
 
「私、弥平さんやほかの病人の人が心配ですし……。京で弁慶さんが帰るのを待ってます」
「君は責任感が強いというか、僕の想像を越える考え方をするときがありますね。……というわけですから、ヒノエ、熊野には僕一人で行きますよ」
「でも……。お願いですから、なるべく早く帰ってきてくださいね?」
 
 口では京に残ると言いながら、望美さんは不安そうに僕を見上げてくる。
 
「もちろんですよ。……ヒノエ、いいですね? 村上水軍との会合がすんだら僕はその日に帰りますから」
「了解。あんたがこんなに幸せそうな様子なんて多分親父は見たことないぜ? これは細かな報告が必要だろうね」
「その必要はありませんよ。僕が自分で説明します」
 
 すまして言い返すと、ヒノエはふと柔らかな顔を彼女に向けた。
 
「まあ、オレの方からも姫君には感謝の念を示さなきゃね。姫君、こんな面倒な叔父を幸せにしてくれてありがと」
*...*...*
 明日は出立という日の夜。
 
「……疲れが出ると大変だから、早く休んでくださいね?」
 
 望美さんは旅の用意を調え早々に僕の床を引くと、少しだけ繕い物があるからと、小さな灯りの下で針を取っている。
 一針、一針、針を進める様子は真剣そのもの。
 布色から僕の物を誂えていることを知ると自然に頬が緩くなる。
 頬から、首の線。肩の頼りなさ。
 匂い立つような色香は、今までには見られなかった光景だ。
 
 最初痛みを訴えていた身体も、今は少しずつ声の中に艶を感じるようになってきている。
 汗ばむように色づく身体も、立ち上る香りも、どうしようもなく僕を捉えて離さないのは、どういう理なのだろう。
 
「望美さん、その繕い物は急ぎのものですか?」
「ううん? ……あとはこの糸を始末して……っと、終わりました!」
「……じゃあ、こちらに」
 
 布団の端を持ち上げると、火が映ったかのように彼女の顔が上気する。
 
「あ、あの、弁慶さん、明日は早く立つからって……」
「ふふ。……しばらく君に会うことができませんからね。その分も君を感じておきたいですね」
「だって、その、昨日も……」
「いけませんか?」
 
 僕の大きな誤算。
 それは望美さんが僕の想像以上に睦言を恥ずかしがる、ということにあるのかもしれない。
 こちらの世界で言うならば、彼女は脚のほとんどをさらけ出すというかなり奇抜な格好をしていたし、あの太刀の捌き方を見ても、彼女に恥じらいがあると想像する人間は少なかったと思う。実際のところ、先日来たヒノエにだって分かっているかどうか。
 しかしこうして何度か望美さんを抱いて。
 彼女は月明かりの下でさえ、恥じらいを見せること。僕に触れられる部分どこにでも敏感に反応することを知った。
 ──── そしてその反応を知っている男は自分だけであること。その事実にすごく興奮している自分がいることも。
 
「君は恥じらってばかりで、日の高い間は抱かせてくれないから」
「だ、だって、いつ急患の人が来るかわからないのに」
「ああ、こういうときは君の世界にあった『電気』があるといいのかな」
「電気ですか?」
 
 僕は彼女の手を引っ張ると褥の中へと誘い込む。
 背中越しに這わす手は、乱れた彼女を逃さないようにするため。
 何度かついばむように唇をつつくと、彼女も少しずつ可愛らしい反応を示す。
 
「そう。そうしたら、夜でも君の身体がつぶさに見えるでしょう? 十六夜の月明かりだけでは心許ないかな」
 
 口先ではそんなことを言いながら、僕は閨に広がった彼女の身体に夢中になる。
 肌の白さに透明さが混じって、ただ見ているだけなら、この人は天女なのだと思えてくる。
 
「望美さん……」
 
 触れて。身体の輪郭を確かめて。ぬくもりと、声。それに全身を覆う柔らかな香りを感じるころ、天女は僕の腕の中に降りてくる。
 彼女とこんな風になってからもう二ヶ月が経とうとしているのに、ことの始まりはいつも少しぎこちない。
 
「……おかしいですね。もう、何度も抱いたはずなのに」
「弁慶さん……?」
「ふとした はずみに君は消えてしまいそうな気がする」
「ひゃ……っ」
 
 彼女の耳元から首筋へと唇を這わす。普段は隠れている部位は、雪の白を通り越えて、青ざめてる。
 耳朶を自分の体液で湿らせば、少しずつ彼女のこわばりが溶けてくるのがわかった。
 
「今夜も可愛いところを見せてくれるのでしょう?」
「ごめんなさい……。どうしても、その、恥ずかしくて、私。だから……」
 
 昨日可愛がりすぎたことがまだ記憶に新しいのだろう。彼女はやんわりと胸を押し返してくる。
 
「そう。……僕にどうされると恥ずかしいのか、教えてくれますか?」
「は、はい? えっと……。全部……」
「全部」
「その……。答えられないことばかり聞くし、その……。いっぱい、触るし……っ」
「僕に触られるのはいやですか?」
 
 悲しい顔を作ってそう問えば、とたんに彼女の眉毛は困ったように下がってくる。
 
「そ、そういうわけじゃないんです!」
「じゃあ、問題はないですね」
 
 しゅるりと、帯がほどける音がする。着物の間から見える胸は早くもかすかな尖りを見せて僕を喜ばせた。
 鎖骨。それに続く二の腕。
 もともと着やせするたちなのだろう。豊かな白い肌は僕の欲望を押し返すほどに輝いている。
 この二ヶ月で知った彼女の弱いところを、僕の手は忠実に辿る。
 
「ああ……っ」
 
 腫れ上がったように立ち上がる胸の頂きを触れるか触れないかの柔らかさでなぞれば、彼女の腰がぴくりと跳ね上がる。
 
「君は本当に可愛い人ですね……」
「や、また、おかしくなる……っ」
「ふふ。……君の身体は言葉よりも雄弁だから」
 
 手のひらの中で形を変える膨らみの頂点をつまみ上げると、彼女の声が一段と高くなる。
 頑なに閉じられていた脚が、僕の侵入を許すかのように少しずつ開いていった。
 
「いつ……。いつ、帰ってきてくれますか?」
「行き来に三日。……熊野で二日、といったところかな」
「五日……」
「……だから、今夜は五回付き合ってくださいね?」
 
 冗談でそう言うと、彼女は必死な声で、無理ですと言う。
 そんな顔さえも可愛くて、僕は彼女の唇を塞ぎながら笑った。
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