そう考えた村の人たちは、その夜はずっとかがり火を焚いていた。
夜を拒むように燃え上がった火は、村の人たちの怒りにも似ていた。
*...*...* 痛みも涙も僕のもの (3/3) *...*...*
「それにしても望美ちゃんがいてくれて本当に助かったぜ。恩にきる。おかげでこの坊主も命が繋がったってなもんだ」
「ううん? ごめんなさい、私、大したことしてないです」
「いやいや。それによう、肩口を切られたこっちの坊主も、望美ちゃんの処置がよかったんだろう。
さっき少しだけ意識も戻ったしな」
家の奥に寝かされている男の子ににじり寄る。
処置をしたときよりも、かなり呼吸は穏やかになってきているのが分かる。
私は首筋に指二本を当てて脈拍を探った。
正確に脈打つ鼓動は、この子が明日も生きている可能性があることを伝えてくる。
「これなら大丈夫だと思います。……よかった」
うつろな表情で男の子を見ていたお母さんも、ようやくほっと深いため息をついた。
怪我人。病人。……こんなこと、よくある話だった。
三草山でも。福原だって、私はたくさんの怪我人を見て、亡くなった人を見てきた。
それこそ、人の死体をまたぐように歩いたこともあったのに。
数え切れないほどの人の死。惟盛さんも知盛さんも今はここにいない。
六代くんだって、亡くなったという噂は聞かないけれど、生きているっていう保証はなくて。
その私が、どうして自分の生がずっと続くなんて考えてたのだろう。
(弁慶さん……)
私、ちゃんと言えていたかな。……恥ずかしいからって逃げてばかりいなかったかな。
弁慶さんに、一緒にいてくれてありがとう、って思いを、まっすぐ伝えられているかな。
震えを閉じ込めるように身体中に力を入れる。
膝を抱えて、頭を乗せて。これ以上小さくなれないくらい小さくなって、私は息を詰めた。
──── 会いたい。着物の弁慶さんじゃだめ。本物の弁慶さんに会いたい。
「おい! 馬だ。馬が駆けてくるぞ?」
「今日来た武士衆か!?」
五条の川面がようやく白くなりかけた夜明け頃、遠くから蹄の音が届く。
うつらうつらしていた村の人たちは弾かれたように武器を手にすると、見えない敵に目を凝らした。
朝焼けの中、黒い袈裟が宙を舞い、金色の髪がなびく。
影はどんどん大きくなって、私と村の人を包み込んだ。
「望美さん!」
「弁慶さん? どうして……?」
「熊野に早馬が来たんです。京に荒武者が現れていると」
弁慶さんは馬から飛び降りると、気遣わしげに私を見つめ深い息を吐く。
ひんやりとした手が、肩と髪を伝う。五日ぶりに見る頬は鋭く、少し強ばって見える。
「なんだ、驚かせないでくださいよ。先生か」
あれからすぐ九郎さんには連絡をして、九郎さんは即時残党追討の伝令を出してくれた。
だけど、それを逆恨みした人がやってこないとも限らない。
村の人は弁慶さんであることを確認すると、やれやれといった風に武器を手放した。
「すみません。みなさんも、大事ないようですね。……よかった」
「あのね、弁慶さん。昨日男の子が切られて」
「怪我人はこの子だけですか?」
「はい」
「……すみません。この子を先に診ましょうか」
弁慶さんが謝る理由が分からないながらも私は頷くと、眠っている男の子の家を指差した。
*...*...*
「弁慶。不味いことになったぜ。京の町で荒くれ者が出回ってるってさ。お前も早く帰った方がいいかもな。望美が心配だろう?」
「……荒くれ者ですか」
「なんでも、六代を探してるって噂だ。まあ、町の薬師って程度ならあいつらも素通りするだろうが。
気が立ってる男の前に女一人っていうのはよくないかもな」
普段とは違う真面目な声音に、僕はヒノエの本心を知る。
戦というのは、とかく気が立つのは事実だ。
気が立った挙げ句、すぐ近くにいる女を陵辱の対象にすることはありがちな話でもあった。
(陵辱……)
あの熱くて柔らかな肢体が、他の男たちの物になる。
いやがる彼女の口を押さえ、四肢を絡め、中に精を注ぎ込む。
頭の裏が、血が滲むかのように赤くなる。いや、これは熱くなっているのかもしれない。
「ヒノエ」
「まあ、アンタの策のおかげで、今回は村上水軍を追いやることができたし?
真面目な話をすれば、そいつらの審議をアンタに仰ぎたいところだったが」
「君のことだから、僕の答えはわかっているでしょう?」
「ああ。まあね。夜中に発つのはかえって危ない。朝一番で立つだろ? 早馬を用意する」
口を引き結んだ僕に、ヒノエはかける言葉がなかったのだろう。
淡々と要件だけ告げると、手下に指図するためかすぐ席を立つ。
ヒノエが大輪田泊、六波羅など各要所に早馬を用意してくれたおかげで、普段の三分の一の早さで京まで着くことができたのはよかったが、家に帰って最初に見たのは、望美さんではなく、青い自分の普段着だった。
部屋の中央にしょさいなげに置かれている。
眠った形跡もない部屋は昨晩の彼女の不在を告げてくる。
(望美さん……)
夜の底を焦がすような火の存在に気づくと、僕はそちらに馬を進めた。
ある事象が発生する。条件からあらゆる場面を推察する。そこから起きるべき事象を想像する。
そして、これは僕特有の考え方になるのかな。
あらゆる事象のうち、一番相手に効果のある方法を考える。
もし僕に悪意を持つ人間が僕を精神的に叩きのめそうと考えたとき、どうすれば一番いいのか。
(僕だったら女を狙う)
男の弱点になるような女ならなおさら好都合で。僕が望美さんにされて腹立たしいことをすればいい。
たえず最悪な事象を考えながら生きていく。
悪い癖だと思う。できることなら着物を着替えるように乱暴に剥ぎ取って捨てたい。
だけど心のどこかで、納得している部分もある。
たくさんの人を苦しめてきた自分が、今更幸せになることに自分自身が納得できない。
僕は怪我をした男の子の容態を確認すると、真剣な面持ちで様子を見守っていた望美さんに顔を向けた。
「望美さん、よく頑張りましたね。……無事でよかった」
「そんな……。大丈夫ですか? 顔色が悪いです。寝ないで京に来てくれたんですか?」
「君こそ僕と同じ顔色をしていますよ?」
「……はい」
彼女は言葉少なに頷く。血の気のない頬は紙のように白かった。
「では、また明日様子を見にきます。なにかあったらすぐ教えてくださいね」
「いやあ。本当にありがとうな。先生に診てもらえて、これで坊主も一安心ってところだ」
「すぐの手当がよかったからでしょう。……望美さんも早く家で休みましょう」
僕は早々に村をあとにすると、彼女の手を引いて住み慣れた家へと向かう。
望美さんは家に入ると、部屋の真ん中に置かれていた僕の青い普段着を手に取った。
「昨日のこと、すごく怖かったんです。だけどその理由がわからなくて。
……今までたくさん戦場を見てきて、たくさん戦ったんです。
だから、乱暴者の武士なんてよく見てきたはずで、だから、怖いことなんてなくて……」
日頃ゆっくりと話をする彼女にしては珍しく早口で話し続ける。
僕はそっと彼女の身体を抱きかかえて、話を聞く体勢を作った。
藤色の髪を撫でる。
さらさらと指の間を伝っていく柔らかい感触に、ようやく僕は彼女の存在を確認できた気がした。
「いつも、どんなときも、弁慶さんがそばにいてくれましたよね? 隣りにいて、守ってくれました。
──── 私、弁慶さんが近くにいないことがすごく怖かったみたいです」
望美さんは顔を赤らめて笑うと、蒼い着物の涙で滲んだ箇所を撫でている。
「ご、ごめんなさい。弁慶さんも熊野で大変だったのに。
えっと、手紙もたくさんありがとうございます。その……。すごく嬉しかったです」
あちこちしわが寄っている着物は、彼女の五日間の振る舞いを想像するに十分で。
僕は頬を覆って顔を持ち上げると、望美さんの目を覗き込んだ。
「……全部、見せてください」
「はい? なにを……?」
「泣いている君も、悩んでいる君も可愛いですから」
彼女との穏やかな生活。それを当たり前と受け取れない自分。
足が地に着いていない。どこかでもう一人の自分が、幸せになることを諦めているような毎日の中で。
彼女が泣きも悩みもしない天女だったら、僕とはまったく釣り合わない。
「……無事で、よかった」
二人の口から同じ言葉が同時に飛び出す。
僕たちは改めて顔を見合わせると、その先の行為を予感させる口づけを交わした。