*...*...* Trees 2 *...*...*
「よっ。香穂〜。それに加地くん。ちーっす。仲が良いことは美しき哉、だね。今日は私も入れて? いい?」「あ、どうぞどうぞ天羽さん。待ってたよ」
「本当かなー? 加地くん、香穂の前では調子がいいんだから」
私は天羽ちゃんの姿を見つけると、いそいそとナフキンをほどいた。
昼休みのカフェテリア。
購買ほどの人混みはないけれど、広く南に面しているこの場所は、冬にはとびきり貴重な場所になる。
「4時限目が移動教室だったんだよ。遅くなってごめん!」
そう言いながら天羽ちゃんは、男物のハンカチで手を拭くと私の隣りに座った。
「今日はね、天羽ちゃんの好きなポテトの肉巻き、たくさん作ってきたよー」
「やった。香穂、でかした」
今週末は冬型の気圧配置になるって、何度もニュースではかしましく話してる。
平日に大雪ってことなら、もしかしたら学校も出校停止になるかも、って思うのに、週末じゃ関係ないよね、なんてクラスの子と笑い合ってた日。
この日は加地くんと天羽ちゃんと私の3人で、一緒にランチしよう、という約束の日だった。
『なんていうの。オフクロの味? なんかね、月イチくらいで、私、あんたのオカズ食べたくなるのよ』
『あはは、いいよ〜。張り切って作るね』
料理が好きっていう私を、最初は加地くん、すごく心配そうに見ていたっけ。
『料理は、君以外の誰でもそれなりに作ることはできるでしょう?
だけど、君のヴァイオリンは君にしか奏でることができないんだよ? 分かってる?』
『ん……。でも私、お料理も好きなの。だから、気をつけてやるから。ね?』
何度もそう説き伏せて、3年になった今でも、お弁当は毎日自分で作っていたりする。
気持ちよく平らげてくれる加地くんを見るのが嬉しくて、時間にゆとりがあるときは、午前中に軽くつまめるモノと、お弁当を作ってきたりもする。
加地くんのお父さんの、柔和な顔を思い出す。
どんなお料理でも、たくさんのお礼と、賞賛をくれる加地くんは、きっと、あのご両親に大事に育てられたんだろうなあ、って考えたりする。
天羽ちゃんは、からかうように軽く目を細めると、加地くんを流し見た。
「加地くん幸せだねー。愛しの彼女、お手製のお弁当?」
「ふふ、羨ましいでしょう? そうだね。天羽さんも、カレシさんにお弁当作ってもらうと、僕の今の気持ちが分かるんじゃないかな?
……そうだね、幸せだよ、すごく。……ねえ、香穂さん?」
「う、うん……っ」
本当に嬉しそうな顔をして加地くんは頷く。
そう言ってくれることはすごく嬉しい、とは思うんだけど……。今日は天羽ちゃんもいるし、なんて返事をすればいいのか、わからない。
どうも日本って、というか、私の性格が、いかにも日本人、なのかもしれない。
加地くんの讃辞に、こう、スマートにお礼を言うことができなくて、恥ずかしさの方が先に立っちゃうんだよね……。
その考えは天羽ちゃんも同じだったみたい。呆れたような顔をして笑っている。
「── って聞いた私がウカツだったよ。あんたの脳内には、『羞じらい』って言葉がないのか……」
「全然? だって事実でしょう?」
やれやれといった目で、天羽ちゃんは私を見る。
……って、待って待って。私に振られてもっ!!
加地くんの口の動きは、私の力ではどうすることもできないよう。
「あ、天羽ちゃん。食べよう? はい、フォーク」
「そうだね。あんたたちが円満なのはよーく分かった。香穂、いただきまーす!」
「って、僕、天羽さんには先、越されたくないな。ふふ、カラアゲ、ゲット〜」
ぱくり、と天羽ちゃんは卵焼きを放り込む。
その豪快な食べっぷりを見て、私はほっと、自分のフォークに刺さっているブロッコリーを口に入れた。
加地くんに話したことはないけど。
天羽ちゃんの家はお母さんが家を出て行ってから、というもの、天羽ちゃんとお姉ちゃんが家事を切り盛りしている。
私、知ってるんだ。
将来はジャーナリストになりたい、って夢を語る天羽ちゃんが、毎日、校内を走り回って、みんなにわかりやすい記事を書こう、って頑張ってるのを。
頑張ってる分のしわ寄せは、天羽ちゃんの食事に来ているのだろう。
いつも簡単なメニューで終わらせちゃうの、と言う天羽ちゃんを見て、私はときどきこうして一緒にランチをしたりする。
なにより、天羽ちゃんの気持ちの良い食欲は、見ていて幸せになれるから、嬉しい。
「はあー。香穂。いつもごちそうさま、美味しかったよ。あ、香穂に免じて、加地くんにもコーヒーを奢ってあげるよ」
「え? ラッキー。これも香穂さんのおかげだね」
天羽ちゃんは、1.5人分くらいのお弁当をキレイに平らげると、私と加地くんにコーヒーを奢ってくれた。
ふわりと漂うコーヒー豆の匂いは、午後からの眠たさをはね除けてくれそうな気がする。
「あ、……そうだ、香穂? あの話、加地くんにした?」
「へ? あの話、って?」
「まさか、あんた、忘れてるってワケじゃないでしょ?」
「えっと……。なにを??」
天羽ちゃんはやれやれと言った風情で首をすくめると、加地くんの方に身体を向けた。
えっと……。なんだろ? 話? 加地くんに?
「ねえ、加地くん。香穂がなかなか言い出さないから、私が仲立ちするんだけどさ」
「え? なに? 天羽さん」
「わ、あの。あの、天羽ちゃん、待って?」
「って、あんた、このままじゃ、体育がバレーボールの間中、あの子の標的にされ続けるよ? サーブもスパイクも」
「ああ、体育の話なんだ。ありがとう。でもね、ほら、もうすぐ冬休みだし。お休みに入ったらあの人の気持ちも変わるかも、だし」
あたふたと言い返していると、隣りで少しだけ空気の堅くなった加地くんが身を乗り出したのが分かった。
真剣な目が正面から見つめてくるのを感じる。
高2と引き続き、私と加地くんは同じクラスだということも手伝って、今では、私の学院での生活について殆どのことを知っている、とは思う。
だけど、学院内で唯一別々に受けているの授業が、体育と、選択科目の美術で。
加地くんは、自分が知らない私の様子が気になったのだろう。天羽ちゃんの口元が動くのを見守っている。
「あ、天羽ちゃん……っ。いいの、あの。ほら、もう、高校生になると、イジメ、っていうかも、それほど気にならない、っていうか……。
あの、イジメじゃなくて、たまたま、だったかもしれないし」
「んなワケないっしょ」
「ねえ。僕、話が見えないんだけど。何の話?」
天羽ちゃんはあっさり私をいなすと、興味深そうに話を聞いている加地くんに切り出した。
「加地くん、あんたね。ラクロス部のマドンナに、そっけないこと言って振ったんでしょ?
あの子、そのことまだ根に持ってるみたいで、ここのところの体育、香穂が標的になってるんだよねー」
「あの人って、バレーも上手なんだよね。すごい……」
「って、香穂、そこで、気の抜けた合いの手を入れない。
あ、そうだ。いっそのこと、体育でバレーボールをやる間は、あんた、体育お休みしたら?
ヴァイオリンの練習に響きますので、とかなんとか言って」
天羽ちゃんは、冗談、とも取れないような真面目な口調で提案してくる。
去年のコンサートを経てから。
私のヴァイオリンを聞きたいから。
ムリしなくていいから、って言って、指の負担になりそうな掃除を、私の代わりにやってくれるクラスメイトがいる。
けれど、その事実を、不機嫌そうに見ているクラスメイトがいることも知ってる、から。
ヴァイオリンを弾いているから、って、目立つことや特別なことはしたくなかった私は、おどけたような声を上げて、その場をごまかした。
「大丈夫。今度の試合の時は、そうだ。私、天羽ちゃんと須弥ちゃんの背中に隠れてる!」
「って、ドッジボールじゃないんだからさ。よし。じゃあ、フォーメーションについて須弥ちゃんに相談しようか」
天羽ちゃんは、加地くんに伝えることが目的だったのか、自分の言いたいことを言うと、手にしていた紙コップをくしゃりと潰す。
加地くんは、私たちの話に口を挟むことなく、じっと耳を傾けていた。
*...*...*
学院からの帰り道。今日は、久しぶりに公園で加地くんのヴィオラと合奏しよう、という話になっていた。
天気によってこの予定は変わる。あまりに風の強い日や、雪がちらつく日は、星奏の練習室で合奏をしたりもする。
だけど、私は、この季節になっても空の下で演奏するのが好きだった。
加地くんは、気持ちいい笑顔と一緒に、いつも、こうしてヴィオラを合わせてくれる。
なんて言うんだろう。
肉声部のおおらかなヴィオラの音に触れると、私のヴァイオリンもより豊かに響くような気がして好き。
なにより、加地くんと一緒の時間を過ごせるのが好きだった。
「ねえ、今日は暖かいね。こういう日を、『小春日和』っていうのかな? 風もないし」
「あの、加地くん……。いつも、ありがとう。受験勉強もあるのに」
「ふふ。いやだなあ。お礼を言うのは僕の方なのに」
公園で、加地くんのヴィオラと合わせる。
響くように、届くように。
正確なピッチ。肉声のような優しい音が広がっていく。
加地くんが奏でる音が、確実に、私の奏でる力になっている。
初めて出会ったころは、どうしてこんなに優しいのかわからなかった。
自分では拙いほどの音色しか出せないと思っていたし、難しい曲も弾けなかった。
だけど今は。
加地くんの天性の優れた耳と、私のことを100パーセント受け止めてくれる、っていう安心感が、私のヴァイオリンをここまで引き立ててくれたんだと思う。
安心できて、好き。
加地くんが、見守る中、ヴァイオリンを弾くことが、こんなにも好き。
── だけど、ただ、1つ。
たった1つだけだけど、私は加地くんに、直してほしい、って思ってることがあったりする。
「ブラボー!!」
「素敵素敵〜」
いつの間に人が集まったのだろう。
ストリートミュージシャンがたくさん集まるこの公園は、あちこちに小さな人垣が出来ていることが多い。
もうすぐクリスマス、ということも手伝ってか、去年のコンサートで奏でたクリスマスの曲たちは、私たちが想像していなかった小さな聴衆さんたちを巻き込んだみたい。
加地くんは、目の前に来た小さな女の子に話しかけてる。
「ふふ。楽しかった? じゃあ、少しだけアンコール。……このお姉さんのヴァイオリンは素敵だよ? よく聴いててね」
加地くんは笑いながら私に目配せをする。私は笑ってうなずき返す。
私たちが作る音が、夕焼けの空に吸い込まれていった。
弾こうね、って言ってた曲を全て弾き終えて、楽器を片付けているとき。
人影がまばらになったのを見て、加地くんは私を左手を引っ張ってそのまま胸の中に抱きかかえると、ほっとため息をついた。
「ああ、そう言えばね、ラクロスの彼女に言っておいたよ。僕の香穂さんをそんなにイジメないでね、って」
「は、はい??」
って、ラクロスの彼女って……。 あ、もしかして、昼休みの天羽ちゃんの話?
ということは、また、加地くん、私の知らないところで、勝手にお話をつけちゃったのかな?
言われた彼女は、私のこと、なんて思っただろう……。告げ口したって、怒ってるかな? は、恥ずかしすぎる……っ。
── そう。
私が加地くんに直してほしい、って願っているただ1つのこと。
それは、私を過保護にしすぎる、ってことなんだ……。
「あの、加地くん……? そんなに心配、しないで? 私、見かけよりずっと丈夫なんだから」
「ダメ」
「は、はい?」
額に触れる柔らかい感触とともに、腰に回った腕が強くなる。
加地くんの右手は、私の左手を労るように持ち上げた。
「君の指からしか生まれない音色があるんだよ?
僕としてはラクロスの彼女に対して、かなり譲歩して優しく言ったつもりだけど。
── そうだね、彼女が男だったら胸ぐらを掴んで殴ってるかもね」
「加地くん……。あの、私、平気だよ? ボールが来ても、突き指しないように気をつけてやってるし。
その、たまたまボールが来ただけだって、さっきも……」
「……ああ。いい子だから、目を閉じて? 香穂さん」
言い訳は、そのまま目の前の唇に閉じこめられる。
ズルい、と、思う。
いろんな気持ちを、こんな風に愛情で絡み取られたら、私の言ってることが正しくないみたい、で。
唇だけが別の生き物のように熱を帯びたころ、加地くんはようやく唇を離した。
「とにかく。もう香穂さんは何も心配しなくても良いからね」
君の指は、音楽を奏でるためにあるんだから。……傷をつけないで? 僕からのお願い」