*...*...* Growth 3 *...*...*
 あれから私と吉羅さんは、交代に、何度も演奏を続けた。
 最初は、どんな曲を弾こう、と1曲弾き終えるたびに、考え込んでいたけれど。
 途中からは、自分の知っている曲、暗譜できている曲、好きな曲をすべて弾こう、って思った。
 吉羅さんが奏でた曲も、自分らしく色を付けて弾き続ける。

 交代に弾くたび。吉羅さんの音は私に、私の音は吉羅さんに近づく。
 そう感じられることが幸せだった。

 吉羅さんは額にうっすらと汗をかいている。
 ときおり、私の様子を見守るかのように流れてくる視線に、安心する。

 もし、吉羅さんが私と同級生だったら。ううん、同級生なんて言わない。せめて、在校生だったら。
 私たちの過ごす放課後は、こんな風に流れていったのかな。

「君は、成長が早い。だからこそ、高2から始めてこれだけのレベルになれたのだろう」
「そう、ですか? 自分ではよくわからなくて……。周りの人に恵まれた、って感じがします」

 吉羅さんのE弦が鈍い音を立てて切れたとき、吉羅さんは我に返ったようにカフスを除けて腕時計を覗き込んだ。

「そろそろ、夕食にしよう。食欲旺盛な君のために、今日はそれなりに用意をしたよ」
「食欲旺盛、ですか? 私の印象っていったい……」
「別に気にしなくてもいい。高校生ならそんなものだろう?」

 うう……。そうだ。ちょうど1年前。
 吉羅さんと一緒にご飯を食べに行って。
 ヴァイオリンの練習に夢中になっていた私はその日のお昼を食べ損ねていたこともあって、
 フルコースをいただいたあと、もっとなにか甘いモノが食べたい、と言ったら、吉羅さん、ビックリした顔をしてたんだ。
 あの時の反応が楽しくて。そして嬉しくて。
 あれから、吉羅さんと私の距離はぐんと縮まった気がする。

 でも、『それなりに用意』って、なんだろう……。

 ひっそりとしたところに建っているこのホールの中には、私と吉羅さん以外、人影はない。
 もしかして私、なにかお料理しなきゃいけないのかな。
 料理は好きだけど、初めての人に出す食べ物って好みがあるから難しいもの。……どうしよう。

 あれこれ考え込んでいると、遠くの方で鈴のような音が聞こえた。
 あれ? 誰か、来たのかな。

「君はダイニングで待っていなさい」
「はい」

 吉羅さんはやっときたか、と独り言を呟くと、入り口の方に歩いていく。

 私は教えられたとおりの廊下を曲がって、ダイニングに向かった。
 そこは10人位の人が座れるような大きな長いテーブルが置かれていた。
 シャンデリアなどのきらきらした装飾はない。
 ぱりっと糊の利いたテーブルクロスが、威嚇するように広い面積を占めている。

「香穂子」

 名前を呼ばれて振り返ると、そこには吉羅さんが、大きな包みを2つ持って立っていた。
 あわてて片方を持ち上げると、そこからはふわりといい匂いが漂っている。

「これ……?」
「夕食用にとデリを頼んだんだ。君のおなかに合うように、とね。
 今となってはいささか頼みすぎた印象を持たなくもない」

 受け取った入れ物は、まだ温かい。
 とんとんと重なっているお皿を広げていくと、テーブルの上は、魔法をかけたみたいにお料理が広がっていった。

「すごい量……」
「無理に全部食べることはない。料理は見た目でも味わうものだから」
「いえ、あの。……私、全部食べること、できそうです!」
「ははっ。それも君らしい、か」

 だって、お昼ごはんもそこそこに、このホールに入って。
 それから、吉羅さんと2人。日が暮れるまで、ヴァイオリンを弾き続けていたんだもの。

 ヴァイオリンは、ううん。音楽は、スポーツだ、って思うことがある。
 日頃の体調のメンテも。指も、目も。
 ヴァイオリンに使う身体は、音楽を表現する大事な大事な道具の一つなんだもの。

 吉羅さんは、日頃きっちりと締めているネクタイを心持ち緩めた。
 襟から覗くすっきりとした首筋がまぶしい。

 星奏の理事という立場。落ち着いた雰囲気。はっとするような威圧感。
 いろいろなことから、吉羅さんのことをずいぶん年上だと思ってきたけど。
 少しずつ見えてくる吉羅さんは、私が緊張するほど、年上、じゃないことを知らせてくる。

「美味しい!」

 バラのように巻かれているピンク色のサーモン。
 ジェノバソースというんだ、と教えてもらった、碧色のソースに浮かんだ、白い貝。
 運ばれてきた料理は、一つ一つのお皿の中に小さな絵が描かれているような、可愛いモノばかりだった。
 私は、次々とお皿を空にしていく。
 デリって、いえば、私の家はピザが多いけど。こんなデリもあるんだ……。

 吉羅さんはそれほどおなかが空いていないのか、私の食べる様子を目を細めてみていたけど、
 ふと何か思いついたのか、手にしていたフォークをテーブルに置いた。

「ときに……。この前は金澤さんからなにを聞いたのかね?」
「え?」
「この前の。ああ、確か冬休み初日だったな」

 冬休み初日、っていうと、たしか……。
 しばらくずっと封印していた記憶が、ひらりと浮かんで広がっていく。

『あいつはモテる』
『さんざん遊び倒してきたから』
『訳知りの女と年貢を納めても』

 私と吉羅さんの間は、埋めようがないほどの経験値の違いがある。それはわかってる。
 だから、その……。いろいろな女の人が吉羅さんにいた、ってことも、わかってる。
 仕方、ないもん。── 私、そうやって納得したんだもの。

「香穂子?」
「いえ、なにも。吉羅さんが人気者、っていうお話です」

 笑って言い返すと、吉羅さんは、ふぅ、と深いため息をついた。

「またあの人は余計なことを」
「ただ。思うんです。……吉羅さんは私じゃ物足りないかも、って」

 無我夢中だった初めての時。
 言われるままに抱かれて、途中からの記憶は白く浮き立っている。

 ふと、天羽ちゃんの体つきを思い出す。
 盛り上がった胸。きゅっと締まったウエスト。制服の上からも、スタイルの良さはすぐわかる。
 女の私から見ても魅力的、って男の人から見たら、もっと素敵、ってことだよね。

 私は、下を向いてカットソーの上から自分の胸を眺める。
 うう……。ちょっと、ううん。いや、かなり、貧相、かも!
 太っている、っていう部類には入らない。
 それは嬉しいけど、その、……グラマラス、という部類には、絶対入れない!

 吉羅さんは手にしていたグラスを静かにテーブルに戻すと、私の顔を覗き込んだ。

「じゃあ、試してみようか」
「は、はい?」
「試してみようか、と言っている。私が君のことをどう思っているか」
*...*...*
『私の部屋は、舞台を挟んで君の部屋のちょうど向かいにある』

 どうしたら……どうしたらいいの。
 頭の中で、吉羅さんのさっきの言葉がリフレインする。

 初めて吉羅さんとそうなったとき、は、周囲もすっかり暗くなっていて。
 それに私自身、抱かれることがどういうコトなのかもよくわかっていなくて。
 抱かれる、ということがあんなに生々しいモノともわかってなかった。

 熱い頬を片手で押さえながら、私は暗い廊下を歩いていく。
 私の靴が作る足音が、廊下中に反響する。
 かつん、と響く音が、足音なのか、それとも胸の鼓動なのか分からなくなって、私は追いかけられるように走り続けた。

 ドアの前に立ってノックをすると、どうぞという低い声が聞こえた。

 今、耳元に聞こえてくるのは、私の胸の音だ。

 も、もしかしたら、えっと、今の私のグルグルはただの考えすぎ、かもしれない、よね。

 食後は必ずなにか飲み物を摂る、と吉羅さんは言ってた。
 だったら、一緒にお茶をしようってことなのかもしれない。
 うう、何度も言い含めても、まだ、どきどきが止まらない。

「失礼します……。わっ」
「まったく……。頼りないほどの体つきだ」

 部屋に入った途端、ぐっと手を引っ張られる。
 倒れるように目の前の白いシャツにぶつかると、そっと顔を持ち上げられた。

「ん……っ」

 息をつく間もないような唇が落ちてくる。
 怖くて身体を硬くしていると、優しく背中を這う大きな手に気づいた。

「吉羅、さん……」
「香穂子。試してみるんじゃなかったのかね?」
「は、はい……?」
「私が君のことをどう思っているか」

 吉羅さんは私と横たわらせると、カットソーの裾からするりと大きな手を入れた。

「つ、冷たい……」
「君は、温かいな」
「吉羅さん?」
「── どこもかしこも温かい」

 伝う指が、唇が、さらに身体に熱を灯す。
 恥ずかしさや、自信のなさ。そんな感情が浮かぶ余裕なんてどこにもない。
 吉羅さんの手は私の全身を優しく愛撫していった。

「あっ!」
「指じゃつらいのか……。悪かった」

 恥ずかしいほど立ち上がった胸の先端を、きゅっと摘まれて私はヘンな声を上げた。
 吉羅さんは胸全体をすっぽりと覆うと、指の間から零れた先端に口づけている。

「あ……っ。いや」

 痛いくせに、もっと触れて欲しいような、ゾクゾクした感覚に私の背中が弓なりになった。
 しなやかな指は私の背筋を撫でて、そっと下着の中に滑り込む。
 自分でも触ったことのない、さらに奥の内壁。
 吉羅さんは、私の震えるところを順に確認していくかのように、指を曲げた。
 ぴちゃり、と水を撫でるような音を、吉羅さんは満足そうに聞いている。

「恥ずかしい、です。私……」
「反応がいい。私の方まで興奮する」

 吉羅さんは濡れた指でふたたび私の胸をつまみ上げると、ゆっくりと私の中に入ってきた。

 反応……。
 よくわからないけど、触れられるたびに胸が痛くなるくらいどきっとする。
 大好きな人に触れられて、なんともない、っていう女の子なんていないような気がする。
 そこまで考えて、私は、はっと金澤先生の言葉を思い出す。

『さんざん遊び倒してきたから』
 反応がいい、ってことは、えっと、今、吉羅さんは、他の女の人と比べてる、ってことなのかな……。

「あ、あの……。待って、私」
「待たないよ。私は」

 感じた不安は、まず指先を冷たくさせる。
 手だけだと思っていたら、それは、脚にも広がって、やがて、身体の中心をも包んでいく。

「繊細なんだな、君は」
「吉羅さん……」

 ゆっくりと腰を揺らし続けていた吉羅さんは、私の変化に気づくと、ふと顔を上げた。

「だが、そこが可愛い」

 吉羅さんは自身を私に埋め込んだまま、頬や髪、肩口に唇を降らせていく。

「あ……」

 口付けられたところが、ぽっと花が咲いたように朱くなって熱を帯びる。
 それはさざ波のように広がって私の心も満たしていった。

「どうして……?」
「私に嘘をつけると思っているのかね」

 ── あんなに意地悪ばかり言う唇はこんなにも優しいんだ。

 強張りを解いた私の身体は、吉羅さんに導かれるまま、快楽を求め出した。
 吉羅さんが強く私を うがつたび、私の声じゃないような甘い叫びが零れる。

「……熱いのっ。あ、あ……っ」
「香穂子」

 自分の中に生まれた熱をどうしたらいいのか分からなくて、私は吉羅さんに突き上げられるまま泣き声を上げた。
 震えが走る私に、吉羅さんは何度も名前を呼んで、ただずっと抱きかかえていてくれる。


「── ますます君が気に入ったよ」
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