『ねえ。香穂ちゃん。今度の休み、海、行こうよ?』

 昨日言われた言葉。思い出すたびに、条件反射のように頬が熱を帯びる。
 あんな誰か知らない人が来るかもしれない場所で、身体に触れられたのは初めてだった、から。

 苦しそうに何度も息をつく先輩も。
 制服の上、何度もさするように降りてくる指も。
 まだ火原先輩とそういうおつきあいになってから、そんなに日は経ってない、っていうのに。
 素直にもたげてくる胸の固さにも。どんどん迫ってくる下腹部の重みにも。
 そしてなにより、満足そうに笑っている火原先輩にも、恥ずかしさが止められなくなった。  
*...*...* Embrace 2 *...*...*
『海、ですか?』
『うん! なんて言ってもまだ受験までには時間があるし。
 香穂ちゃんの高校最後の夏なんだもん。思い切り楽しまないとね!』

 自信たっぷりに頷く火原先輩に、私もつられるようにしてOKの返事をしたのが昨日。
 そして、OKをしてから気がついたことがある。

(私……。水着、持ってない!)

 もちろん、スクール水着はある。授業で使っていた古いヤツだ。
 それに、スイミング用にと買った競泳用の水着も、ある。
 だけど、海、って……。海って、行くのは2年ぶりになる。

 去年はヴァイオリンばかりやっていて、海に行こう、なんて考えてもいなかったから、今私の手元にあるのは、中学のときの水着。
 可愛くないこと……はないんだけど、中3の終わりの方に急に背が伸びた私には、少し小さい。

 やっぱり新調した方がいいよね、という話を昼休みに天羽ちゃんとしていたら、
 ちょうど買いたいモノがあるから、っていう冬海ちゃんと急に意見がまとまって、
 私は今、ショッピングモールの水着売り場にいる。

 天羽ちゃんは、今日はどうしても抜け出せない用事があったらしい。
 帰り際、『今日の戦果を教えてよね』と笑うと、カメラを片手に森の広場へと走っていった。

「ごめんね。冬海ちゃん、突然付き合ってもらって……」
「いえ。私、香穂先輩のセンス、とても素敵だなあ、って思っていて……。どんな水着を選ばれるんだろう、って」
「そ、そんな……っ。あ、そうだ、冬海ちゃんも一緒に選ぼう? 夏休み、一緒にプール行くのもいいよね」
「え? ……あ、あの、ありがとうございます。私、あの、水着がすごく恥ずかしくて……」
「ううん? あの、ほら、布地の大きい水着、っていうのかな。パレオ付きなら大丈夫。冬海ちゃん、華奢で可愛いもの」

 なんて。
 自分の水着以外ならこんなにさらさらと意見が言えるのに。
 こと、自分のこと、となると、なかなか言えない。

 だって、一緒に海に行くって、ことは、その、私の水着姿を、火原先輩が見る、ってこと、なんだよね……?

「も、もう、どうしたら……っ」

 どうしたら、私は、この羞恥心から少しでも遠くに行けるのだろう。
 その、何度か一緒に夜を過ごした、といっても、あのときは暗かったもの。
 太陽の下で見られる恥ずかしさと、抱かれる恥ずかしさ。
 どっちがより、強いんだろう……。

 比べようのない2つのことに、一人、勝手に照れていると、隣りにいた冬海ちゃんが不審そうに顔を上げた。

「あ、あの。どの水着も、香穂先輩に似合うと思います。……ね、香穂先輩?」

 ともすれば止まりそうになる手に、冬海ちゃんはふわりと優しい笑みを浮かべると私の手に手を乗せた。

「あの……。火原先輩と海とか、プールに行かれるんですか?」
「え? あの、……どうして?」
「あの、……そうやっていろいろ考えている香穂先輩って素敵です。
 前より、ずっと大人の女性になった、というのか……。香穂先輩は私の憧れです」
「あ、あの、冬海ちゃん……。お願い!!」
「は、はい?」
「自分じゃ全然わからないの。一緒に、選んで?」

 もう、なにもかもバレてる、って思ったら、とたんに気が楽になって、私は拝むように冬海ちゃんに頭を下げた。
 そうだ。冬海ちゃんって、ガーリーでとても可愛いセンスを持ってる子なんだもの。
 正確な判断ができない今の私じゃ、冬海ちゃんに甘えて、決めてもらった方がいい、かも?

 急なお願いに、冬海ちゃんは必死にふるふると細い首を振っている。

「そんな……。あの、私のセンスで大丈夫なんでしょうか?
 その……、今からでも火原先輩をお呼びした方が良いのかもしれません」
「そんな! こんな水着ばっかりぶら下がっているところに男の人を呼ぶのも、ちょっと……」
「そ、そうですね。そうかもしれません」

 確かにパレオ付きの水着もないことはなかったけど、中には、ほとんど布の面積のない水着もひらひらしている。
 やっぱり、水着って、ううん、どんな服だって。
 この服がどんな風に私を引き立ててくれるんだろう、って想像して買うところがある、から……。
 こんな、スケスケの水着なんて、着てるところを火原先輩の想像されるのも恥ずかしいよ!

 冬海ちゃんは、じゃあ……、とおそるおそる腕を伸ばして、2枚の水着を私の目の前に広げた。
 1つは鮮やかなオレンジ色のハイビスカスがついている……、ビキニ? あれ? セットのキャミはないのかな? ホットパンツ、も、ない。
 本当に正真正銘のビキニ、だ。
 そしてもう1つは、白地に優しいピンクがパイピングになっている、ワンピースタイプ。
 どちらも冬海ちゃんのセンスが光っていて、女の子らしい水着だった。

「えっと……。じゃあ、ワンピースタイプのにしよう、かな? これ、可愛いもの」

 おずおずと手を伸ばすと、冬海ちゃんは1度は頷いたものの、やがてかぶりを振った。

「やっぱり、その……。もったいないです。香穂先輩、スタイルがいいから、こっちのビキニタイプ、お似合いだと思います」
「だ、だって。その、ウエストのまわり、出ちゃうんだよ? その……。出ちゃう、ってことは、見られちゃう、ってことだよ?」

 恥ずかしさを隠しきれなくて、わざと主語を外して言ってみたのに。
 信じられないことに、日頃、男の子の話題なんてしたこともない冬海ちゃんは、すごく大胆な意見を口にした。

「その……。わ、私、代弁します! 火原先輩は、こちらの水着の方がお好きだと思います」
*...*...*
「も、もう……。笑い事じゃないです! あんなにはっきりと自分の意見を言った冬海ちゃん、初めて見ました!」
「あはは。もう笑いすぎておなか痛いよ〜。おれも聞きたかったな。冬海ちゃんの『代弁』」

 夜11時。
 バイトを終えた火原先輩からかかってきた電話に、私は今日の放課後のことを一通り話した。

 海に行く約束をした週末は、良い天気になるみたいだ。
 あ、そうだ。日焼け止めもしっかり用意しておかなきゃ、だよね。

 サンダルは、まだあまり使っていないお姉ちゃんのを借りることができたし。
 あとはなにが要るだろう。
 天気が良い、ってそれだけでプレゼントをもらったみたいで嬉しいけど、あまり天気がいいと、日焼けが心配だったりもする。
 私の肌はヤケドみたいに赤くなって、2、3日眠れない。
 それどころか、うっかりすると水ぶくれにもなるからたちが悪い、って思う。
 ── あ、そうだ。ヴァイオリンを載せる左肩は、特に気をつけないと。

「あれ? 香穂ちゃん、なにか心配ごと?」
「あ、はい! あの……。ちょっと日焼けがコワいなあ、って」

 せっかく海に誘ってくれたのに、日焼けがコワイなんて言ったら、もしかして、火原先輩、いい気しないかも……。
 と、言葉にしてしまってからあれこれ考える。

 電話、ってすぐ耳元でささやいてくれているみたいで大好き。
 火原先輩の夜の声は、どこか優しくて、特別、大好き。
 だけど、ちょっとした不安も一緒に連れてくるから困ってしまう。
 ── 今、細い糸でつながっている先輩は、どんな顔をしているんだろう、って。想像するしか方法がないから。

 だけど、私の心配とはウラハラに、電話の主は明るい声を挙げた。

「日焼け? ああ、香穂ちゃん、色が白いもんね。そっか。じゃあ、ビーチパラソルをレンタルすればいいよ。
 任せといて。そういうのって男の仕事だもんね」
「わぁ……。ありがとう、ございます」
「香穂ちゃんの持ち物は、水着とタオルくらい? ほとんどのモノは海で調達できると思うよ。足りなかったら買えばいいし」

 高校生と大学生の大きな違い、って経済力の違いかな、って思う。
 大学に慣れて時間の余裕ができてきた火原先輩は、いろいろなバイトを掛け持ちしているからか、
 考えてみれば、最近のデートはいつも、私、おサイフを出したことがないかも。

 そうだ。明日、なにか火原先輩に似合いそうなモノがあったら、一緒に選んで、プレゼント、してみよう。
 何がいいだろう。Tシャツ? 帽子? あ、サングラスも夏らしくていいかも!

 明日の大体の待ち合わせの時間と場所を決めたあと、火原先輩は声のトーンを低くした。

「それで香穂ちゃんは、最終的にどっちの水着を選んだの?」
「はい……。えっと、それは、当日のお楽しみ、ということでどうでしょう?」

 いつも暑い季節は家にいるときなんかは、タンクトップとショートパンツ、っていう格好で過ごしているから、
 肌を露出する、っていうのにはそれほど抵抗がないはずなのに。
 水着、っていうのはどうしても恥ずかしさが先に立つのかな。
 ううん。違う。
 私の水着姿を見る人が、私の大好きな人だ、ってことがすごく恥ずかしいんだ。

 できればキレイ、って思ってもらいたい。今より、もっと好き、って思ってくれたら嬉しい。
 そして、その、できれば……。ずっとずっとおつきあいが続けばいい、って願ってるから。

 水着を着た私が減点、なんてことになったら悲しいもの。
 って思ってしまう私は、つまり、……あまり自分に自信がない、ってことなのかなあ。

 目の前に今日買った水着を広げて、ツルツルとした感触を確かめる。
 冬海ちゃんは似合う、って言ってくれたし、店員さんも手放しに褒めてくれた。だけど……。

 ── 大丈夫かな、私。火原先輩、私を見てガッカリしたり、しないかな。

 声に出していったわけではないのに、火原先輩は私の気持ちに応えるかのように笑っている。

「大丈夫だよ。香穂ちゃんなら、どんな水着だって可愛いよ」
「ん……。そうだと、いいんですけど」
「問題はさ、おれの方だったりするかもね」
「はい? あ、あれ? 火原先輩、水着、持ってなかったですか?」

 男の人が女の人の水着を選ぶなんて恥ずかしいかも、なんて勝手なことを思って、私、
 火原先輩と一緒に水着を買う、って思いつきもしなかったけど。
 今日冬海ちゃんと行ったショッピングモールには、カップルもいっぱいいたっけ。
 えっと、火原先輩、水着がない、ってことだったら、明日、どうやって海で泳ぐんだろう?



 私の心配をヨソに、火原先輩はすごいことをさらりと口にした。


「ブブー。ハズレ。水着姿の香穂ちゃん見て、おれが辛抱できるかが心配なんだよね」

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