*...*...* Embrace 3 *...*...*
日野が俺のアパートに来たのは、夕方だったか。俺は疼く欲望を抑えながら、カーテンのすき間に目をやる。この季節、7時過ぎまで明るい日差しも、今はようやく夜の勢いに負けたようだ。
凍ったような青白い三日月が、俺と日野を見つめている。
「お前さんの胸、尖り始めたぞ。感じてるのか?」
「先生が触るから……っ」
「痛そうなくらい腫れ上がってる。舐めてやるよ」
見るという行為以上のことを飽くことなく繰り返してきたっていうのに。
たとえ薄闇の中であっても、日野は俺に裸身を見られるのを恥ずかしがる。
すっぽりと日野の先端を包み込み、尖った先をころころと舌で転がす。
もともと感じやすい体質なのだろう。とたん日野の唇からは甘い声が飛び出す。
って今までこのアパートの隣人がどういうヤツかって意識したこともなかったし、物音も特に感じたことがなかったけど。
もしかして、こいつの声って、隣りにまで響いているのだろうか?
俺はなだめるように、日野の口に指を押し入れた。
「ほんじゃ、こっちも もう濡れてるってことか?」
俺はやすやすと手の中に収まってしまいそうな布きれを引きはがすと、淡い毛が覆っている部分に指を当てた。
しっとりと湿り気を増した女の場所からは、甘ったるい香りが漂っている。
嗅覚っていうのは、見ることや聞くこと以上に、威力を発揮することがある、って俺は思っている。
何度も刷り込みをされた俺の脳は、日野のこの香りを、自分への快感をくれるものだと認識したらしい。
俺の雄の部分が勢いよく立ち上がっていくのを感じる。
日野の秘部はひどく狭い。
いきなり押し込んでも可哀相かと、俺はこっちの口にも蜜を塗った人差し指を差し込んだ。
「先生……っ」
「おいおい。いつまでも先生っていうのもなあ」
「え……? じゃあ、ヒロトさん、とか……?」
どうやら日野には2つの名前を上手く使い分ける器用さはないらしい。
快感に揺られながらも必死に伝えようとする日野は、ただただ、可愛い、と思う。
こんな素直なヤツを一生そばに置いておける男は幸せだろうな、と思ったりもする。
ただ……。その男が、俺である、ということはなぜだか想像ができないんだよな。
── 俺じゃ、どうしたって釣り合わないだろ。
「やっぱりダメです。あの、学院で、うっかりそんな風に呼んだら、その」
「ダメって言われるとやってみたくなるもんだなあ」
「え? あの……。んんっ」
自身の分身を日野の最奥に押し込み、日野が乱れるスイッチを刺激する。
何度抱いても初々しい反応を示す子だったが、この1点だけは別らしい。
切なげに眉を寄せて、出てくる言葉は『先生』だけになる。
「気持ちいいんだろ? もっともっと良くしてやるよ」
「先生……っ」
「だから、言ってみな? 俺の名前をさ」
罪悪感が愛しさを深くするのだろうか。
耳元でイヤらしい言葉をつぶやくたび、日野の反応はますます良くなる。
俺は日野の腰を抱きかかえると、さらに深く抉った。
時折考えるさ。
この俺がこんな幸運に恵まれていいのか、ってな。
瑞々しくて熱い肌。にじみ出てくる汗さえも美しく汚れがない。
『私も少しくらいの親愛の情を彼女に示すのは、構わないと思いますよ』
って、なんてったってこんなときに吉羅のセリフを思い出すんだろう。俺は。
まあ、吉羅がその気なら、いや、俺以上の男になら、日野を譲った方がいいに決まってる。
なんていってもあっちは理事長サマ。俺はしがない一教員だ。
日野にとって吉羅は、俺よりも価値のある人間だから。
……なんて、理性で思っても、感情は真逆を行くからやっかいだよな。
膨らんで襞に収まり切らなくなった突起を、俺は2本の指でつまみ上げた。
耐えきれなくなったかのように、日野の中が狭くなる。
「先生……」
「違うだろ? そうだなー。俺の言うことを聞かない生徒は……」
「はい……?」
「ずっとこのまま、ってことだろう?」
日野はイヤイヤを繰り返す。
潤んだ目。うっすらと開いた唇からは、日野のにおいがする。
俺は揺らしていた腰を止めると、日野の息をむさぼるかのように唇を押し当てた。
「ね……。お願い」
「ん? わからないなあ」
「紘人、さん……。もう」
「なんだ。お前さん、ちゃんと言えるじゃないか。じゃあ褒美をあげないとなー」
口では余裕なことを言いながら、実際のところ、俺に余裕なんてまるでなかった。
ギリギリと締めつけられる快感に、俺は挿入をさらに深くする。
つながっている部分から、じわりと蜜が満ちてくる。
日野の大きな震えを全身で受け止めたあと、俺は日野の中を味わい尽くすかのように腰を揺らして果てた。
日野と、吉羅。日野と加地、か。
別に日野があいつらに対して意味深な態度を取っていたわけではないってのに。
どうして俺はこんなに余裕を無くしてるんだか。
日野に伝えてはいないが、この前の森の広場でのことだって。
加地は、必死な目の色を隠しながら、日野になにかそめそめとささやいていた。
日野は時折首を振る。
やがて何かをあきらめたかのように立ち上がった加地を見て、思わず木の陰に隠れた俺も情けない。
「やれやれ。苦しい恋なんて、とっくの前に忘れたと思ってたんだがなー」
「先生?」
「お前の周りの男に嫉妬するなんざ、俺もヤキが回ったかと思ってな」
ってなに下らないこと言ってるんだか。しかもこんな年下の女に向かって。もっと言えば生徒に向かって、だ。
熱を持った頬を見られたくなくて、俺は日野をあごの下に抱え込んでいた。
すると俺の背中をさまよっていた日野の手が、俺の頬を撫でている。
「どーした? お前さん」
「── 先生が、好き」
「日野?」
「それだけなの。私」
身体を預けて、そしてさらに優しいことを言ってくれる。
日野のイメージは、俺が初めてこいつの音楽をもっと聴きたいと思ったユーモレスク、そのものだ。
返ってこない時代や故郷を懐かむ歌。そして再び手に入れた、という喜びの歌。
それを思うと、身体中、光が差し込んできたかのような暖かみに包まれる。
「お前さんも、男を見る目がないかもなあ」
なおも減らず口をたたく俺を、日野はただ黙って見つめている。
*...*...*
日野の身体を思うがまま俺の自由にしたあと、俺はいつも少しだけ居心地の悪い思いをする。こういうときは……。そうだ。以前は必ずと言っていいほど、左手はライターのありかを探って、目はタバコを探していた。
今、部屋の中にタバコのにおいはしない。
その代わり、といってはなんだが、部屋の隅には、この春に買った電子ピアノが、なにもかも知ってると言いたげな顔をして鎮座している。
「そうだ。あのね、今日は」
「あん? どうした?」
気だるい空気の中、日野は弾むように枕元にある紙袋を引き寄せている。
まったくな。若さなのか、稚なさなのかはわからないが、ぐったりと弛緩してから、元気になるまでの時間が日野は早い。
男の俺は、まだふとんの中でぐだーっとしていたい気分なのに。
「あの……、いつも、金澤先生の家で、お茶飲んだりするでしょう? だからあの、これ置いておいてもいいですか?」
「日野」
「金澤先生、好きそうなデザインかな、って思って。どうでしょう?」
「そのマグカップ……」
一体、世の中にはどれくらいマグカップがあるかは知らない。
なにも俺がイタリアで買ったモノと寸分違わないマグカップを買ってくる日野ってのは、
ある意味、俺の趣味を完全に把握している、ともいえるのかもしれないが……。
どうして10年前、俺がイタリアで粉々にしたのと同じモノを、日野は今ここで手にしているんだろう。
今日は戻ってくるだろう。明日はきっと戻ってくる。
部屋中、いや家中 饐えたにおいの漂うアパートメントで、俺に最後の区切りをつけさせたのは、
今日野が手にしているような2つのマグカップを思い切り壁にたたきつけた時だった。
1個はこなごなに割れたものの、もう1つは俺の執着心を表すかのように、欠けることなく無事だった。
それが腹立たしくて、今度はさらに力を入れて、足で踏みつけたんだったけな。
やり切れない。年を取るってなんなんだろうな。
思わずわっと叫びたくなるような羞恥を年輪のように身体に身につけていくことなんだろうか?
『あんたなんて人生の落伍者よ! ねえ、ヒロト、知ってた? 『運』ってうつるのよ?
ツイてないあんたといると私までアンラッキーになる。別れた方が賢明ってこと』
顔ってのはどこかうつろに煙の向こうにいるってのに、声だけは辛辣に、今も俺の柔らかい部分にツメを立てる。
ってことは、俺が今、日野と一緒にいたら、日野の『運』を食いつぶす存在になるのか?
「……ごめんなさい。私、やっぱりこのマグカップ、持って帰ります」
「っておい……」
ふと気づくと、日野は目尻に涙を浮かべて、手にしていたマグカップを箱の中に戻している。
「あの、ここは先生の部屋なんだもの。私の物を置いておくの、ってよくないですよね」
「って、そんなこと誰も言ってないだろう?」
「ん……。でも先生、苦しそうな顔してたから……」
俺は立ち上がろう、としていた日野の腰を抱きかかえた。
「── お前さん。悪いけどしばらく間、こうしててくれないか?」