*...*...* Merry ! (2) *...*...*
 翌日。
 昨日よりやや痛みの増した左手を庇いながら、わたしは珪くんの家に向かった。


 食料品やシャンペンの他に、注文しておいたケーキも商店街の美味しいって有名なケーキ屋さんで調達する。
 わたしは手に持った荷物が増えるたびに、ふにゃりと下がる目尻を戻すのが大変だった。


 ―― 嬉しくて。
 大好きな人と過ごす、特別な、日。




 赤と白と緑に染まった、街。
 今日が最後だと言わんばかりに鳴り響くクリスマスソング。




 ちょっと左手がこうだから珪くんには迷惑かけちゃう、けど。


 (一緒に過ごせる)


 そのことが、それだけのことが、こんなにも嬉しいものなの?



 ふと、街を行き交う人の顔を見れば、どの人の顔もキラキラと耀いてる。
 ―― 今宵会う人、みな美しき、か……。

 急に記憶の端からそんな一節が浮かんできた。


 ヘンなの。
 こんな古文の一節なんて、それこそ受験のためだけに覚えたと思ってたのに。
 まさしく、ぴったりだ、って思えるようなこんな状況に出くわすと、
 人は、大切に大切にその言葉を口の端に載せて楽しむんだ。


 わたしは街のネオンや、ざわめきに浸るように周囲を見回して深く息をついた。
 みんななにか、幸福なものを胸にいっぱい抱えて家路を急いでいるようで。

 わたしもそんな人波に押し出されるようにして、珪くんちへの足取りを早めた。






 (もう少し、かな?)

 手にした袋を持ち直しながら、わたしは珪くんちへ向かう最後の曲がり角を折れると。
 そこには珪くんが、塀のブロックに背を預けながら空を見ていた。


 こんな寒い中、……なにしてるんだろう?


「珪くん!」


 わたしがちょっと離れた場所から声をかけると、珪くんは弾かれたようにわたしを見た。


「どうしたの?」
「いや……。おまえ、遅いから」



 手首を返して時計を覗くと、……まだ約束の時間から5分も過ぎてない。


 (遅くないよう!)


 心配症だなあ、なんて、冷かし半分に珪くんを見つめると、
 珪くんはちょっとむっとしてわたしの荷物を持ってくれた。




 不器用な、人。

 一度聞いたら、どんなことでも忘れない、って言うくらい、……そんなにも賢いのに。
 わたしのちょっとした表情の変化や態度とかには本当に敏感で。


 その時々で、緑の瞳がさまざまに変化する。



 でも、むっとしながらも次に出る行動はいつも優しいんだよね。
 わたしはくすくす笑いながら、空っぽになった手をそっと珪くんの腕にかけた。
*...*...*
 家に入ると、わたしは早速、糊の利いた生成色のカフェエプロンをつけて、キッチンへ向かう。

 そして底の広いグレーの紙袋から今日半日かかって作ってきた料理を取り出した。
 フライドチキンやエビフライ。
 クラッカーに乗せるクリームチーズ、ディップ、スモークサーモン。イチゴやオレンジ、キウイ。


 いつものお料理とは違って、ちょっとパーティっぽくした方がクリスマスらしいかな、なんて。
 もう切って並べるばかりになっているそれ。
 それはわたしがお料理の本と首っぴきで選んだものだった。


「待ってて。もう少し、だから」
「……ああ。おまえ、手、大丈夫か?」
「ん、平気」


 幸いヤケドをしたのは手の平だったし、
 こうして、お料理を並べたり盛ったりするときは右手を使えばいいし。




 ―― 珪くんと過ごせる。




 帰る時間とか、周囲の目とか、そんなの全く気にしないで。
 2人きりでいられるんだもん。


 そう思うと現金なもので自宅にいたときに感じていた、ヤケドに痛みは全然感じなくなっていた。



 ケーキもあるし、あんまりお料理のボリュームが増えてもね……。
 珪くんって、……美味しいものを少しずつ口にする、って感じもするし。
 そう思ってわたしは、たくさんの種類の食材を少しずつ持ってきていた。


「えへへ。……クリスマス、クリスマス、だよ〜」


 わたしは対面キッチン越しに、たった今見てきた街の様子を伝える。


「キレイだったよ〜。……わたし、なんだか子供みたいにはしゃいじゃった」


 もはやかなり使い慣れた珪くんちの食器棚から大ぶりのお皿を取り出すと、
 わたしは彩り良く果物を載せていった。


「ほら、あのショッピングモールのツリー! あれ、キレイだよね。
 あの前で写真撮ってるコもいたよ。みんな嬉しそうなの! って、あれ、珪くん?」


 ふとお皿からリビングに目を向けると、珪くんがいない。


「……あれ?」
「……ここにいる」







 背中越しにわたしを掴む、ひんやりとした大きな手。
 そしてそれはくるりとわたしの身体を回って。

 首筋に、それこそ手とは対照的にアツい唇を感じる。


「……っ」
「な、……


 手にしていた菜箸が、わたしの身体に合わせてぴくりと揺れて。
 珪くんは、唇を離して。  でもその頭は、何度も首と肩の間を往復している。


「……な、なあに……!?」


 珪くんは耳の後ろをちゅっと吸うと、いつもの低音で耳に息を吹き込んだ。




「……俺、昨日から、ずっと去年のこと思い出してた」
「…………」
「去年のクリスマス。……俺、あの時と変わってないから」
「変わってない……?」







「……おまえがいてくれて良かった。そう思ってる」







 あの時。
 ……もう、1年が経つんだ……。
 1年間、イルミネーションのことを黙ってた珪くんのこと、
 わたし、つい笑い飛ばしてしまったけど。


 違うの。
 本当は、本当に、嬉しかったんだよ。


 思わず抱きついて、抱きしめて。
 珪くんのスーツ、汚しちゃうんじゃないか、って思うくらい嬉しくて、泣くの止めるの、必死だった。。
 でも、付き合ってないあの頃ではそこまでする勇気がなかった。


 そのときに紡ぎ出された言葉。



 『――おまえがいてくれて良かった』



 あの時の感情が蘇る。
 1年経った今も、お互いそのキモチを持っていられる、こと……。


「わ、わたしも、一緒、だよ?」


 お友達ではなく。
 こうして恋人同士、で。
 一歩進んだ関係で。



 なおも募る、……好き、という感情の中で。


 去年のクリスマスから、ずっと。


 ……今年の冬は、2人きりで過ごせるかな、メリークリスマス、って言えるかな、
 なんて思いを温めてきたことを思い出した。



 それが、叶う、今日。
 ……こんなにわたし、幸せでいいのかな、って思っちゃうよ?


 わたしはそっと菜箸を置くと、珪くんの腕に両手を添えた。
*...*...*
「珪くん、できたよっ。一緒に食べよう?」


 何度もテーブルとキッチンを往復して。
 クリスマスだから、とわたしが持ってきたアロマキャンドルに火を灯し、少し照明を落とす。


「えっと、では……」



 やや暗くなった部屋の中で、珪くんの亜麻色の髪だけがヒカリを増して見える。
 天使が大人になるとこんな美しく、色っぽくなるのかな。


「ん?」
「あ、あのっ。……メリークリスマス。珪くん」
「メリークリスマス。……



 ずっと見ててもなお惹きつけられて。
 ……見惚れた、なんて恥ずかしくて言えないから。



 でも。



 ちょっとカッコつけて、ホームパーティなのに、こうしてかしこまってグラスを合わせたりする。
 そして、カチンという乾いたの音とともに、珪くんと目を合わせて。


 ―― わたしはそのまま目を離すことができなかった。




 不思議。

 ずっとずっと好きでいること。
 ずっとずっと好きでいてくれること。
 わたしが作るものを美味しいと言ってくれる。食べてくれる。
 心から笑ってくれる。頼っててくれる。



 多分。



 ……ううん、絶対。




 今日こうして、一緒の時間を過ごした後は、もっとずっと好きになってること。



 この人といれば、大丈夫。
 ファンとかモデルとか、大学で聞いた中傷とか、すべて笑い飛ばせるくらい、強くなれること。




 珪くん。
 ……珪くんは、どうしてこんなにわたしに力をくれるんだろう?



「……?」
「ん。……珪くん、大好き」



 えへへ、クリスマスだもん、……抑え利かなくなっちゃった。
 言い訳がましく小声で呟くと、珪くんは少し困ったように首をかしげた。


「……バカ。せっかくの料理がムダになるだろ?」
「へ?」






「……食べる前に、抱きたくなる」



 わたしは木製のサラダサーバーを手にしながら、笑って言い返した。



「ダメ、……食べるまで、抱くの、禁止」




 珪くんは、残念だなと言いながらも嬉しそうにフォークを手に取った。
*...*...*
 オードブルやシャンパンやケーキ。
 クリスマスのフルコースをすべて平らげて。
 珪くんとわたしはソファに座って他愛のない話をしていた。


 そうして。
 わたしは会話の間に、気づかれないように、ちらりと柱の時計に目をやる。

 ……まだ、11時。


 いつもだったら、珪くんと電話をしてる、そんな時間。



 でも……今日は……。
 シャンパンのせいか、なんとなく頭がぼんやりする。
 わたしはちょっと腫れぼったくなったまぶたをこすった。


 珪くんは、わたしが手にしてたシャンパングラスを取り上げると、窓枠にコトリと置いた。



「そろそろ、風呂、入るか?」
「……ん。あの、珪くん使い終わったら、借りようかな?」


 珪くんは、ほぅ、とため息をついてわたしを見た。



「一緒に、入ろう」





 今まで、何度も身体を重ねたことはある。
 何度か、2人で一緒の朝を迎えたことも。



 けど、一緒にお風呂に入ったことは……数えるほどしか、ない……。


 ……どう、したら、いいの?

 抱かれることさえ、あんなに恥ずかしいのに。
 恥ずかしい時間が、より長くなる、わけだよね……?
 けけ珪くんの、その、何も着てない姿を見る、ってことは、
 わたしの、何も着てない姿も見られる、ってこと、で……。



 う……。



 ドキドキ、する。




 わたしの沈黙を了解と取った珪くんは、ソファから立ち上がると、わたしの手を引いた。
 わたしはその手をくっと引き戻すと、珪くんの首のあたりに視線をやる。
 そしてわたしの口は、上手く思考回路がまとまらないまま勝手に言い訳を始めていた。



「や、あのっ。手のことは心配しないで。わたし、1日くらい頭洗わなくても平気、だから」
「って、身体は自分で洗えるのか?」
「んっ。自分で洗えるっ。洗えるからっ、大丈夫」
「ウソつけ。背中はどうするんだ」
「…………」
「今更恥ずかしがることなんてないだろ? 行くぞ」


 あわあわと口をパクつかせてるわたしにおかまいなく、珪くんはわたしの手を引いてバスルームへと連れていく。


 そして珪くんは自分のセーターを脱ごうとして、わたしの着ているモヘヤのワンピースに目をやった。


 手をケガするなんて、考えてもいなくて。
 この日身につけて来たのは、身体のラインがぴったりと出るクリーム色のそれだった。
 ちょっと開いた襟元で結ぶ大ぶりなリボンと、
 センターラインに細かく配置された金色のボタンがいかにもクリスマスらしくて、
 ブティックのソフィアで手に取ったら、離せなくなったんだ。


 今日このボタンを全部はめるにはこの左手のお陰で10分くらいかかったんだったけ。
 ってことは、これを外すにもそれと同じくらいの時間が必要なわけで……。
 そんなもぞもぞしてるのを見られるのも……。


 (や、やっぱり、恥ずかしいよう!)


 わたしはリビングとは違ってややヒンヤリしたバスルームの床に目を落とした。


「あ、あの、珪くんっ。先に入っててくれる? わたし、後で行くから」
「どうして?」
「えっと、あの……。あの、脱ぐのに時間、欲しいの」
「ん? ああ」


 珪くんはわたしの服と、包帯を捲いた手を交互に見た。


「バカ……。自分で脱ぐつもりだったのか?」
「だってだって、珪くんボタンの多いヤツ、キラいでしょ? 前にそう言ってたもん」
「……おまえのは別」
「って、わわたし、自分で脱ぐってば〜」


 ぐっと追いつめるようにわたしのそばに近づいて来るから、
 わたしは背中に堅い壁を感じながら、包帯の捲いていない方の手で、彼の胸を押しやった。
 すると珪くんは、空いている両手を使ってふわりとわたしを抱きしめると、
 リボンの端をするりとひっぱって笑った。


「結構便利だな、片手が使えないのって」
「ず、ずるいようっ」
「……ラッキー」


 ……こういう時の珪くんは、わたしの言うことを全然聞かない。
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