*...*...* Far away〜After the "Departure"〜 #2-2 サイアイノヒト *...*...*
【October】  Heroine's Side



「じゃ、尽、出かけてくるね」
「ってバッチリ化粧して、まるでデートみたいな可愛いカッコして、どこ行くんだよ、ねえちゃん」
「えへへ。だってデートだもん」
「は?」
*...*...*
 10月初日。空は雲一つない快晴。
 秋の空は日増しに高くなって、このままぐんぐんと吸い込まれて空を飛べたらどんなに素敵だろう、なんて子どものようなことを思う。
 わたしは、この10月に入ってから珪くんの誕生日を迎えるまでの2週間の季節が大好きだ。


 わたしの今日の予定はデート。
 デートと言っても「一人デート」なのが淋しいばかりだ。けど……。

 珪くんが元気に帰ってくるまで、一人きりのデートを敢行しようって決めたんだ。
 ずっと、珪くんに浸って。ぼぉっとしてることを誰にも咎められない場所に行こう、って。


 明日はどこに行こう、なんて昨日の夜は計画を立てるのが大変だった。
 わたしは昨日の夜、ちょっとだけ興奮して眠れなかった自分を思い出してくすくす笑う。
 なにしろ。
 今まで珪くんと一緒に行ったところをすべてリテイクかけよう、なんて壮大なプランを立てちゃったから。

 今日は森林公園とプラネタリウムを候補に選んだ。
 毎月1日、に、この「一人デート」を敢行しちゃえ、って……。
 別に日にちはいつでも良かったの。別にツイタチ、じゃなくても。
 ただね。
 月が改まると、

『あ、また珪くんに会える日が近づいた』

 なんて思えるし。
 ……それだけで勝手に元気になれるのって、ゲンキンかな?


 ねえ、珪くん。……元気だよ? わたし。
 珪くんがそばにいてもいなくても。
 珪くんはいつもわたしの中心で。
 くるり、くるり。
 わたしの重心になってるんだ。
*...*...*
 プラネタリウムの上演時間まであと10分。
 チケットを一人分購入するわたしに、受付のお姉さんは一瞬だけ不思議そうな顔をして小さな窓口からわたしの後ろの様子を探る。そして一人なのだ、と納得したあと、機械的な微笑みをわたしに送る。

「……すみません」

 チケットを手に受け取りながら、頬が熱くなっているのがわかる。
 うわあ、やっぱり恥ずかしいなあ、こういうの……。
 別に「男×女」ってカップルじゃなくてもいいのかもしれない。女の子同士でも。
 けど、こういったデートコースに使われるところって、「二人」という単位が一つのユニットとなってるんだよね。
 わたしは薄暗い屋内に滑り込みながら、今更ながらにプラネタリウムの座席が二つ一組になっていることに気づいた。


『この席が一番良く見える……』


 記憶の中の珪くんが囁いてるような気がして、暗闇の中手を引かれるように、歩を進める。
 その席は運良く空いていたものの、たまたま今日が休日のせいか、もう両隣りにはカップルが寄り添うように腰掛け小さな笑い声を立てながら開演を心待ちにしている。


(……いいなあ……)


 好きな人の姿を目で感じて。声、聞けて。
 ほんの数センチ手を動かすだけで、大好きな人の息にさえも触れることができるんだもの。


(わたし、は……)

 周囲を見回す。そこにはぽかりと空いた席が取り囲んでいる。
 ……うう、暗くなっちゃダメダメ。

(ポジティブ、ポジティブに行かなきゃっ)


 そして振ってから自分の挙動不審さにまた赤面。
 ちょうど開演時間になったのか辺りが真っ暗になっていることにちょっとだけ感謝した。


 ぐぐっと背もたれが倒され、優しい女の人の声でナレーションが入る。
 様々に形を変えて、わかりやすく施された光と光を結ぶ線を目で追いながら、わたしはずっと珪くんのことを考え続けた。


 元気でいるかな? 風邪なんか引いてない? ちゃんと寝てる?


 わたしの中で。
 珪くんの匂いは日ごとに薄れていくのに、会いたさは募るばかりで。



『わたしのこと、覚えてて』

 と伝えた夏。


 そして、季節が移った、秋。



 今は、それよりも。……そんなことよりも。
 ずっと願ってるんだよ。

 珪くんが元気で。
 自分のやりたいことが思い切りできる環境でありますように、って。


 ただそれだけを。


 忘れちゃっていい。わたしのこと。
 楽しかったこと、切なかったこと。一緒に過ごした時間。
 珪くんが忘れても、わたしはずっと覚えてるから。


 ── 他の誰かに愛されるくらいなら、珪くんのために悲しんでる方がいい。


『現在私たちが見ている大熊座の中でイチバン明るい星、アリオトとドゥベの輝きは約300年前の光が地球に届いていると思われ……』


 『300年』という言葉に引かれて、わたしは星空の中、黄色の矢印がポイントしているところに目を遣る。


 続く。続いている星空。
 続いて、続いて、彼の元へも。


 今わたしたちが見ている光が300年も前のものなら。
 わたしが待つ数ヶ月や1年がどれくらいのものだっていうんだろう。

 わかってる。

 振り返ればこんな気持ちも、きっと良い思い出になってること。
 帰ってきたら、

『よく頑張ったな』


 って優しい手つきで頭を撫でてくれること。



 ……でも、今、会いたいの。会って、声聞いて。……ぎゅって抱きしめて欲しいの、に……。


 (コンナニモ ケイクン ガ トオイ)


 ── 距離も、存在も。


 『……以上をもちまして本日の上演を終了いたします。みなさまお足元にお気をつけになって……』

 ふと気づくと星空は消えて、やや段差のある足元を照らすためか天蓋の明るめのライトが点く。
 隣りのカップルがパタパタと椅子を戻して通路のあるわたしの席の方に向かう。
 そして彼女さんが一瞬、わたしの顔をギクっとしたように顧みて、慌てて小走りに彼氏さんの後を追う。


 その様子を見て、わたしは自分の頬が濡れているのに気づいた。


「は、恥ずかしいな、もうっ……」


 ゴシゴシと自分の目をこする。こすったら瞼が腫れて泣いたことが尽にばれちゃう。
 ごめんね。今日は尽に心配かけちゃうね。でも止められないの、涙腺が。


 弱い、わたし。
 どんなに強くなろうとしても強くなれない。
 ひとつの波を乗り越えた、と思ったら、もっと鋭さを増した寂しさにぶつかる。
 ── どうして、珪くんは今ここにいないんだろう?
*...*...*
 森林公園に行くはずだった最初の予定を取りやめて、私はそのまま帰宅途中にあるショッピングモールに入っていった。


 (失敗だったかな……。一人デートって)

 一人で、思う存分珪くんのこと思い出すんだ、なんて特別な気分で家を飛び出したのに。
 少しでも一緒にいる気分になれたら淋しい、って気持ちは遠ざかってくかな、って思ってたのに。
 結果はこのトボトボとした足取りが物語ってる。

 たくさん歩くことを予定して、ってお気に入りのエレッセのスニーカーまで履いてきたのに、超軽量のそれはまるで砂を詰め込んだように重さを増している。


「……あっ、ごめんなさいっ」


 足元ばかり見て歩いていたからだろう、わたしは通りすがりの男の人の胸元に弾みよくぶつかってしまった。

「……いえ」

 その人はなんの感情もない声で答える。

「!」


 わたしはあるものに気づいて改めて顔を上げる。そんなわたしをその人は訝しげに見返す。

 ……この匂い。
 清潔感のあるペパーミントの香り。
 わたしの求めていた匂い。
 多分自分の身体の芯が溶け出すほど、欲しかった匂い。


 思わず、手を、伸ばした。


 この人は本当は本当は珪くんで。

 違う外見でわたしを混乱させてるのかな?
 わたしがあんまりぼんやりしてるから、見かねてちょっとだけ誰かの身体を借りて様子見に来てくれたのかな?


「……すみません。そんなに痛かったですか?」


 呆けたように見つめることしかできないわたしに、名前も知らない人はそう言って柔らかく微笑み返す。


 ── 伸ばされた手が空を切る。


「……あ。本当にごめんなさい。わたし……」


 相手の返事も待たずに走り出す。


 きっと。
 見るより、聞くより、味わうより。
 人の身体に触れるということ、匂いを嗅ぐこと。それらは本能に、より、近くて。
 その本能に近い部分で、わたしは珪くんに会いたいんだろう。


 あまりに走りすぎたためか息がつけない。
 心が苦しいのか呼吸が苦しいのかわからない。



 泣けたら、いい。
 泣いて。
 胸の中のこの石のような感情が、溶けて、血液になって、涙になって。
 わたしの心の外へ飛び出してくれてたら。


 わたしは路地裏を見つけて飛び込んだ。
 足音に驚いて、やせこけた野良猫が飛び出す。
 肩で息をしながら、ずるずると身体の重心を壁に預ける。
 ビルとビルの隙き間。
 まるで作り物のように真っ青な空を見上げて思う。


 ……ねえ、珪くん。今日の発見。
 小説やドラマとは違うところが一つあったよ。


 会えなくなって。時間が経って。
 だんだん薄らいでいくと思っていた気持ちも記憶も。
 日増しにわたしの中で、鮮やかに強くなっていくんだ、って。
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