*...*...* 篤実 2 *...*...*
「俺はこういうのは納得いかんが、これで一区切りなのだろうな」
「そうですね……。源氏の兵力を温存できた、ということには価値があったと思いますよ」
 
 僕は言葉を選びながら、九郎に同意する。
 源氏の兵力を温存できたということはすなわち、平家も今後源氏と戦うための体力を蓄えたともいえる。
 これから夏に向かう季節。
 この結果が今後どう作用するかは、わからない、か。
 
『源氏と平家。どちらも傷つかない方法がきっとあるはずです』
『私は平家を信じます。だから、経正さんも、源氏を信じて欲しいんです』
 
 鹿ノ口で平家の陣を張っていた経正殿にそう語りかけ、神子は平家との『和睦』を結んだ。
 
 どうも、神子のやることは気にかかる。
 なぜ、平家の頭領とのやりとりをあんな風に淡々とできるのか。
 経正殿の様子を見るに、彼が神子と顔を合わせるのは初めてなのだろう。
 なのに、神子の態度、振る舞いはどうだ。
 二度目、いや、三度目の和睦といった風の落ち着きぶりだ。
 
「……どうにも、気になりますね」
「ん? 弁慶さん、どうかしましたか?」
「いや、譲くん、すみません。僕の独り言です。君は気にしないでください」
 
 神子の幼馴染みに思考を中断されたことは面白くないが、まあ、いい。
 彼の顔は、ひどく疲れているように見える。
 初陣。一昼夜を通しての行進。疲れていないという方がおかしい。
 彼とは、彼と神子の暮らしていた世界の話を聞きたいが、今はそれも難しい。
 火を炊く音。爆ぜる音。それに匂い。
 経正殿と話はついたものの、先ほどの三草山での戦いで、多くの負傷者が出たらしい。
 源氏の陣は、うめき声と、励ます声。それに、あちこち走り回る足音で、ごった返している。
 
「源氏の軍もかなり慌ただしいですね」
 
 近くにいる小兵に話しかけると、脚を引きずりながら歩いていた男は僕を認めて腰をかがめた。
 
「はっ。今回の戦、火傷を負った者多数とのこと」
「ふふ。また薬師の出番というところでしょうか」
「はっ。火傷以外のもたくさんの負傷者が出ております。なんでも三草の川面に巨大な怨霊が出現したとか」
 事前に準備しておきました薬草も底がつき始めました。火傷のため大量の布を必要としております」
「わかりました。もう少ししたら、僕も傷兵の看護に伺いましょう」
「はっ」
 
 自分の疲れがないとは言えないが、今はそうとばかりも言っていられない。
 
 血や汚れを落とすために、僕は三草山に沿って流れる山辺川の岸まで脚を伸ばす。
 朝焼けのこの時間帯は、ようやく人の輪郭が浮き上がって見えるくらいのほの暗さだ。  
 冷たい水の流れに腕を浸すと、どこに隠れていたのか、敵を倒したときについた黒い血が広がって流れていく。
 
 ──── こんな風に、自分の記憶も洗い流せたら、僕ももう少し生きることが楽になるかな。
 
「おや……?」
 
 薄霧の中、男二人の声がする。
 源氏か。平家か。平家に寝返った源氏か、その逆か。
 僕は背後に近づくと、草陰に身を潜めた。
 
「景時さん、わかってくれますか? 九郎さんはとにかく『切れ』ばかりで話にならないんです」
「まあねえ。だってさ、譲くんもわかるでしょ? 九郎はあれでも鎌倉殿の総代でここに来ているわけだから」
「なんとか頼朝さんを説得してくれませんか? 俺、景時さんならなんとかしてくれるって思ってきたんです」
「え!? お、オレ? そそそんな、オレには無理だよ〜〜」
 
 話が見えない。
 なにかごとが起きた、それに対して、譲くんが九郎を説得しようとして失敗。
 今度は、九郎を説得できそうな人物を模索。今は景時に説得を頼んでいる、というところか。
 
「でもさ、わっかんないなー。譲くんは、どうしてそこまでして道で倒れてた公達を助けたいの?
 君、この世界に知り合いなんていないよね?」
「そ、それは……っ」
「ん?」
「──── 俺は先輩のしたいということをさせてあげたい。ただ、それだけです。
 それに、先輩が、九郎さんに責められるのを見ているのは耐えられなくて、それで、です」
 
 とんだ難題を押しつけられて、景時も返答に困ったのか、あたりに静寂が漂う。
 やがてその沈黙を破るように景時が口を開いた。
 
「まあ、君の状況はだいたいわかったよ。ただ、どうやって説得するか、だよなあ」
「……俺は確かめたわけじゃないけれど、先輩、さっきの公達のことを八葉だと言っていた。
 先輩のそばにいて、先輩を助けてくれる人だったら、平家でも源氏でも関係ない。
 どんなヤツだって僕は助けたいです」
 
 譲くんの声は熱っぽく、嘘を言っているようには見えない。また嘘をいう理由もない。
 僕は2人の背後からそっと身を潜めると、源氏軍の左奥、女人たちがいる場所へと向かった。
*...*...*
「望美! いい加減にしろ! とにかくこの軍のとりまとめは俺だ。
 お前がなんと言ったって答えは変わらない。平家の者なら切る。それだけのことだ」
「この人、怪我をしてるんですよ!? どうしてそんなこと……っ」
「人でも犬でも、看病すれば情が移る。そんなことになる前に、切り捨てた方がお前のためだと言っている」
「く、九郎さんの意地悪! 分からず屋!!」
「なんだと? お前も早く見切りをつけろ。いいな!!」
 
 戦のとき以外は、どちらかといえば『おっとり』ともいえる人柄の神子が、このような言い方をするのは珍しい。
 当てつけのような大きな足音が遠ざかったあと、僕は申し訳程度に張られた帳をそっと開ける。
 そこには、薄縁に寝かされている者、その枕元に神子の姿があった。
 寝ずの看病をしていたらしい。神子の身体は戦の最中よりも二回りも小さい
 
 足音に気づいたのだろう。神子は怯えたように肩を揺らして振り返った。
 
「……べ、弁慶さん?」
「まだ彼は意識を取り戻していないんですか?」
「いえ、あの……! 傷が深いみたいで。ほら、血が止まらないです」
 
 腕には細い添え木が二本。
 脚には大きな傷はないものの、背中から腰にかけての袈裟掛けの傷が、空色の水干を紫色に染めている。
 腕の脈を取る。
 か弱い音は指では探れず、今度は、首の付け根に指をあてる。
 弱々しいものの、規則正しい鼓動が聞こえる。ここ三日が峠、というところだろうか。
 
「これは大変ですね。……君さえよければ、僕にもこの公達の看病を手伝わせてくれませんか?」
「弁慶さん、手伝ってくれるんですか?」
「はい。君に喜んでもらえるなら。……うん? どうか、しましたか?」
 
 神子の目が膨らんだ、と思ったら、はらはらと露のような雫が落ちる。
 
「……九郎さんみたいに、『殺せ』って言わないの? 無理矢理起こして、源氏か、平氏か、って聞かないの……?」
 
 女の涙など、今まで何度も見たことがあったし、別に心を動かされることなど一度もなかった。
 女の涙は、男を引き留めるため。富に群がるため。
 それ以外の理由などなにもないとわかっていたから。
 
 ──── なのに神子の涙は、なぜ僕を痛くさせるのだろう。
 
 神子は僕の視線に恥じたように目を伏せると、涙を拭った。
 
「ご、ごめんなさい。みっともないところを見せて」
「いえ」
「……私、もう泣かないって決めてたんです。……もう散々泣いたから」
「はい?」
「……全部をやり切ってから泣くんだ、って。決めてるから」
 
 僕は怪我人の添え木を取ると、傷を確かめ、傷口を心持ち広げると軟膏を押し込んだ。
 怪我人は眉一つ動かさない。
 整った眉。一筆書きで書いたようなほっそりとした鼻梁。
 ……どこかで見た覚えがある。……この公達は。そう、もっと小さいときに見覚えがある。
 
 神子はおそるおそるといった風に怪我の具合を見ると、僕の様子に驚いている。
 
「弁慶さん。さすが、手際がいいです」
「これでも薬師ですからね。怪我人の扱いは任せてください。今は熱がありますが、この様子なら回復も早そうですよ」
「そうですか、よかった……」
 
 神子はぺたんと座り込むと、ほっと深い息をついた。
 さっきの九郎とのやりとりを聞いていても感じたが。
 ここまでこの怪我人を連れてくることも、寝ずの看病をすることも。
 それに、目を離した瞬間に、この公達は殺されてしまうかもしれないという緊張感と。
 複数の要因が重なって、神子もかなり緊張を強いられていたのかもしれない。
 
「ふふ、安心して気が抜けてしまったみたいですね。
 薬を置いておきますから、彼の目が覚めたら飲ませてあげてくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
「ふふ、そんな笑顔を向けられてしまうと弱いですね。もう少しお節介を焼きたくなってしまいます」
「はい……。ありがとうございます。でも、お節介ってなにを……?」
 
 目の縁が少し赤くなった神子は、普段以上に儚げで愛らしい。
 朝靄が溶け始めた時間、神子の薄桃色の唇に目が行く。
 つい先日、僕の部屋で知った彼女の柔らかさを思い出す。
 ……まだ、神子は、僕との行為を覚えているのかな。
 
「この公達のことで九郎と揉めていましたよね。約束はできませんが、僕からも九郎に頼んでみましょう」
「ほ、本当ですか? あの、いいんでしょうか……?」
「もしかして意外でしたか? 三草山で多くの味方を見捨てた僕が、こんなことを言い出すのは」
「えっと……。実は、少しだけ」
「ふふ、正直な人です。自分のことをよく知っているのか。……正直でないことで、取り返しのつかない目にあったのか」
「は、はい?」
「どちらなんでしょう? 答えてくれますか?」
 
 僕は神子の背中に手を当てると、自分の墨衣の中に引き寄せる。
 とっさのことで逃げようがなかったのだろう。他愛ないほどのあっけなさで神子の身体は納まった。
 
「お礼は君のここでいいですよ」
「あ、あの! ちょっと待ってくださ……っ!」
「帳が張り巡らされているとはいえ、ここは戦場。唇以上のことは求めませんから」
 
 この華奢な身体の、どこからあの非情な力が湧き出るのか。
 神子本来の味なのだろう。
 彼女の口内からは甘い、懐かしいような味がする。
 
 前回から少し時間が空いたからだろうか?
 神子の身体は初めてのとき以上に、固く緊張している。
 柔らかな舌を絡め取り、幾度か彼女の口からの蜜を飲み込んだあと、僕は唇を離した。
 ……これで、もうしばらく、神子が源氏に与してくれるといいのだが。
 
「困ったな。もう少し、君も僕に慣れてくれないと」
「そ、そんな……、無理です! 急にこんなことされても、私、どうしていいのか」
「いいですよ。順にお教えしますから」
 
 抱きかかえたときに感じた胸の膨らみ。
 まだ男を通わせたことのない少女なら、少しずつ進むのがいいのか、どうか。
 僕は、神子の身体をそっと引きはがすと、九郎がいるであろう方向に目をあてた。
 多分、譲くんに押されるようにして景時は九郎の説得に向かったはず。
 短気な九郎の機嫌も少しは落ち着いているかな。
 
「とりあえず九郎の説得は任せてください」
 
 僕の言葉に神子は眩しいほどの笑顔を見せた。
 
「あ、ありがとうございます! なんて言っていいか……。本当にありがとうございます。
 よかったですね。敦盛さん。早く身体が治るといいですね」
 
(あつもり……?)
 
 狩衣を着た少年は苦しげに眉をひそめたままだ。
 彼はまだ神子に助けられてから、一度も目をさました形跡は、なく。
 なのに、神子は名前を知っていて。確信を持って話しかけていて。
 
 僕は神子の髪をすくい上げながら、立ち上がった。
 
 この神子はいろいろ疑問が多すぎる。
 多分、ある一定の仮説を立てた方がしっくりくる。
 
「では僕は九郎と話してきます。
 眠りを妨げると怪我によくないですから、できるだけ安静に、人を近づけたりしないようにお願いしますよ」
 
 
 
 
 静かに帳を閉めながら、僕は頭の中で浮かんだ思いを一本の糸に繋げていた。
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