──── 夢みたいだ。
 ほんの1時間前は、体育館のカギ当番なんて、ってブーブー文句言ってた自分に『No problem』って肩叩いてやりたい気分。
 こうして、ちいねえと2人きりでメシ食えるなんて。
 ちいねえとオレの間には、ほかほかと嬉しそうに湯気が踊ってる。
 きゅるる、と、オレの腹は『もう待てないよ』と半ベソをかく。
 うわ……。オレってまだ子ども? こんな嬉しいときでも腹が減るんだ。  
*...*...*  約束 3 *...*...*
「あ、ここです! オレがおろしハンバーグとライス大盛りにサラダ。そちらの彼女がスープスパゲティね」

 ちいねえと一緒に行ったファミレスで。
 オレはウェイトレスさんが皿を置く時間さえも短く したくて、いそいでちいねえの前に料理を置いてもらった。
 別に慌てる必要なんか全然無い。
 だけどメニューを注文すれば、その料理が来るまで。
 料理が来れば、その料理を食べ終わるまで、ちいねえはオレの前にいてくれる。
 そう思うと、オレはメニューを選んでる時間も、料理を待ってる時間も気が気じゃなかった。

「ご注文はこれですべてお揃いでしょうか?」
「お姉さん、ありがと。全部揃ってますよー」
「かしこまりました。どうぞごゆっくり」

 ウェイトレスさんは、オレとちいねえを軽く値踏みをしたあと、レシートを置いて去っていく。
 オレとちいねえってどう見られてるんだろ?
 ……恋人、な、ワケない。
 じゃあ、せいぜい、どう見たって、姉弟?

「ナオくん、お腹空いたでしょ? 早く食べよう?」

 ちいねえはオレにナイフとフォークを渡してくれる。
 ふ、ふん。べ、別に、恋人同士って見てもらわなくたっていい。
 姉弟、だって、実際、ちいねえの方がオレより10歳上なんだから、全然オレはかまわないもんね。

「それじゃあ、いただきまーす!」

 おごってもらう手前、オレは、パブロフの犬みたいに、待て、の姿勢で、ちいねえが一口食べるのを待つ。
 そして、ちいねえがパスタを口に含んだ瞬間、ぱくりとハンバーグに食いついた。
 部活が終わった6時頃、部員みんなで菓子パンの買い出しに行って、オレ、確か3つ平らげたのに。
 口に含んだハンバーグの味は、空っぽの胃に染み渡る。
 ちいねえはといえば、オレが3杯目のご飯を食べるときみたいに落ち着いたペースで、スパゲティを口に運んでいる。

「ふふ、ナオくん、美味しそうに食べてる」
「うん! 美味しいよ、すっごく。……でもさ」
「はい?」
「女子っていつもそんなもので足りるの? オレ、昼飯でも足りないや。1日働いていたんでしょ?」

 間食でもしたの? と言いかけて、オレは口をつぐむ。
 えっと、ちいねえと会ったのが6時半頃。
 確か、以前聞いたことがある会社が終わる時間と、終わってから駅までの時間。
 ちいねえが間食する時間なんて、全然ない、って感じ、か……。
 ちいねえは、どこかに寄り道をするということがない。
 真っ直ぐ会社に行って。真っ直ぐ家に帰ってくる。常に正しくあるようにと躾けられた人形のように。

「ダイエットしてるなら、良くないよ〜? あんまりヤセてると老けて見えるって」
「ん?」
「この前、ウチのお袋とちいねえのところのおばさんが話してた。やせるとシワが増えるってさ」
「うん……」
「ちいねえもシワ、増えちゃうよ? ……って!!」

 モグモグとハンバーグを口に放り込みながら話していると、突然額をパチンと弾かれる。
 こ、これ、って、久しぶりのちいねえのデコピン? ちょ、ちょっと、痛いんだけど!

「なんだよ。オレが言ったんじゃなくて、お袋たちが言ってたんだよ。どうしてオレがペチってやられなきゃいけないの?」
「い、いいの! だって、ナオくん、人が気にしてること、言うんだもん!」

 オレはムキになって話し続ける。
 いーさ。ついでだから、言いたいこと、全部言ってやるんだ。

「そういえばついでだから言うけど、いくらコンビニまでだからって、スッピンで出かけるのも良くないと思うな〜」
「す、スッピンじゃないもん!」
「ウソつくなよ。オレ見てたもん。アイス食べながら帰ってきたでしょ?
 今、紫外線が1番強い時期だって言うじゃん? 日に焼けたら老化が進むって。……って! また!!」

 そう言った途端、またちいねえからのデコピンアタックに遭う。
 2回目、ってことでちいねえも容赦がない。さっきより痛い。
 きっと鏡を見たら、額、赤くなってるに違いない。

「ちいねえ! 暴力反対!!」
「うるさい! もう怒った。ナオくんのハンバーグ食べてやる」
「あ、オレが最後に食べようって取っておいた、おろし付きのところ!」
「いいの! いただきます」

 そう言うと、ちいねえは嬉しそうにオレの食べかけのハンバーグにフォークを突き刺した。
 口とはウラハラに嬉しそうに笑ってるのに、ホッと安心しながらも、オレは、小突かれた額をそっと撫でる。

「うるさいって仕方ないじゃん……。本人が全然気をつけないから、オレが意見してるんじゃん。
 ちいねえってば、素材は良いのにしゃれっ気がないだもん。よっぽどクラスの女子の方がいろいろ自分に手間かけてるよ」
「そうなんだー」
「ちいねえも、一応嫁入り前の身なんだし。そ、そだ。おふくろたちみたいになったら遅いんだからね。
 あの2人、太りすぎと痩せすぎじゃん。極端だよね。……ちょうどいいのってないのかなあ」

 ちいねえは柔らかな笑顔になると、温かそうなお茶を飲んでいる。
 って、今、7月だよ?
 オレからしてみたら、1年中どんなときも冷たい飲み物大歓迎って気分なのに。
 どうして、こんなときに熱いモノが飲めたりするんだろ。
 しかも、ちょっと、不思議な匂いがする。
 ミント? なんだろ、これ。

 ちいねえはティーカップを皿に置くと、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「ナオくん。『中庸』っていう言葉、知ってる?」
「え? 『中庸』? ちょうどいいことを『中庸』っていうの?」
「んー」
「ん? ちがうの? 過不足無いこと? それって、ちょうどいいってこととは違うのかな? どんな感じなの?」

 ちいねえは、オレが幼い頃と全然変わらない笑顔で説明してくれる。
 『中庸』っていうのは、『過不足なく、偏りがない』こと。
 昔、中国なんかで大切に思われてきた思想的なものであること。
 言葉は違うけど、西洋にも、日本にも似たような言葉があること。

 ──── 『チュウヨウ』、『中庸』ね。帰ったら家で、もう1回調べてみよう。

「ふぅん。中庸、か。ありがと。ちいねえのおかげで1つ利口になったかな」
「よかった。……そうだ、ナオくんの話も聞かせて? どう? 中学、楽しい?」

 ちいねえはのんきにオレに話題を振ってくる。
 だけど……。
 ちいねえに会っているときのオレは、背伸びするのに精一杯。
 もっと言えば、ちいねえに関する情報を引き出すことに精一杯で、自分の話に時間を割く気は全然なかった。

「オレの学校の話? いいよ。そんなの。ちいねえだって経験済みのことなんだから。
 今更聞いてどうするの? たかが10年じゃ学校でやることなんて何も変わらないって」
「そうかな? 10年って結構長い時間だよ?」

 ちいねえは珍しく食い下がってくる。
 ……10年前のちいねえと今のちいねえ。
 10年前のオレと今のオレ、か。

 ──── 変わった、かな?

 10年前って、ちいねえは15歳。……ってことはオレは? って、まだ幼稚園児の5歳!?
 マズい。5歳の頃の記憶なんてほとんどない。
 ってことは、オレが忘れてることで、ちいねえが覚えてることもたくさんあるってことで……。
 もっと言えば、その中には、今思い出せば奇声を発したくなるほど恥ずかしい思い出も含まれてるワケ、で!!

「い、イヤだなあ。オレ、ちいねえに、いろいろ恥ずかしいところを見られてるよね」
「ふふ、思い出してきたよ?」
「って、な、何!?」

 ちいねえのイジワルっぽい笑い方に、オレは勢いよくジュースを飲み干して音を立てると、少しだけ牽制する。
 って全然牽制になってないっての。

「この季節だとそうだなあ……。空に上がった花火を取ってくれって、泣いてたのとか?」
「わ!! ナシ! 忘れてよ。そういうの!!」
「ヨーヨー釣りをもう1回するんだ、って駄々こねてたのとか?」
「待った! 内緒!! もう、おしまい!!!」

 これ以上ちいねえに主導権、握られてたら、自分の、もう忘れてしまいたいような話しか出てこない!
 そう思ったオレは、強引に話題を変えた。

「それより、オレはちいねえの話が聞きたいよ。
 どんな顔して仕事してるのか、とか。昼休みにはどんな話をしてるのか、とか」
「え? 私? ……私、別に、大したこと、してないもの」
「だってさ、想像できないんだもん。ちいねえが働いているところなんて。
 まだセーラー服を着て、チャリ乗ってるところの方が想像の範囲内なんだけど」
「セーラー服、って……。私、高校の制服はブレザーだったから……。私が中学の頃?」
「そう! だって仕方ないでしょ? オレはさ、オレの景色の中に居るちいねえしか知らないんだから」

 誰でも自分の過去を詳しく知っている人間に対しては懐かしさとともに恥ずかしさもよみがえるらしい。
 ちいねえは頬を赤らめて、手で風を送っている。

「オレ、見てみたいな。ちいねえが頑張って働いているところとか、……オレの知らない世界で生きてる姿」

 オレの……。知らない、ちいねえの、世界?

 ヤバい。オレ、なに言いかけたんだ?
 もしも本当にオレの知らないところで、オレの知らないヤツらと話してる姿なんて見たら。
 オレはどんなことしでかすか、自分でもわからない。
 ……ダメだ。あいつにはあいつの生活も人生もあるんだから。
 オレにはまだ手の届かない世界にあいつはいるのに。

「そうだよね。オレの知らないちいねえがどこかにいるんだよね……」
「……えっと……。ナオくん? どうか、した?」

 急にテンションが下がったオレを、ちいねえは不安そうに見上げる。
 わわ、オレがこんなこと考えてる、ってちいねえが知ったら、それこそ、『花火取って!』って泣き叫んでいたオレより恥ずかしすぎる!
 オレはガタリとイスの音を立てながら立ち上がると、ちいねえを見下ろして言った。



「そ、そうだ! オレ、ちいねえのドリンク取ってくるよ。なにがいい?」
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